
菅の台バスセンター近くの駒ヶ池。
You Tubeでは、
薄氷に突っ込っむも前に進めない鴨が
諦めて飛ぶシーンがあります。
「諦める」とは「明らかにする」が語源。
物事を明らかにして、
出来ないことが分かったら、
次へ進むための前向きな言葉。
「諦めたらそこで試合終了」という名言がありますが、
負けることが明らかになったのに、
意地を張って挑み続けることは時間の無駄。
「諦めることが出来れば新しい試合を始めることが出来る」
元々、諦めるは仏教の言葉のようですが、
どうして「諦めることは駄目なこと。努力しなければいけないんだ」というような、
人を縛るような言葉として使われるようになったのか?
大日本帝国時代に戦争のために、
国民を洗脳させるためではないかと考えています。
動画の鴨のように努力しても出来ないものは出来ない。
諦めて別の道へ進むのが正しい生き方なのだと思います。

雪崩の跡のように見えるトレースを登ります。
つづく










