文明病を発症させる要素の一つ「不安」。

 

「不安」は狩猟採取時代からありましたが、

現代人が抱える「不安」と古代人の抱える「不安」は性質が全く異なります。

 

古代人が抱える不安は「はっきりとした不安」。

必要な獲物を確実に仕留められるとは限らず、

木の実すら手に入らない可能性もある。

木陰に猛獣が潜んでいて襲われるかもしれない。

不安に満ちた生活。

 

しかし、その不安はシンプルで対処がしやすいもの。

猛獣に出会えば、「戦う」か「逃げる」の二択しかなく、

食べものが見つからなければ「探し回る」か「「飢えを我慢する」の二択。

病気になったとしても休息する以外に選択肢がありません。

 

では、現代の不安とはどのようなものでしょうか?

 

いつか体を壊すのではないか…

会社が無くなるのではないか…

そのうち生活費がなくなるのではないか…

やがて大地震で家がなくなるのではないか…

老後の生活は…

 

どれも未来に対しての「ぼんやりとした不安」です。

 

しかし、人類に備わった「不安」は、

あくまで目の前に迫った危険への対策をうながすためのシステムであり、

いまの瞬間よりも時間軸が未来にある危険に対しては対応していません。

直近の不安に対しては対処出来きますが、

未来の不安に対して処理できるように脳は設計されていないのです。

 

現代でも狩猟採取で生活している人は「未来」という感覚が無いそうです。

狩猟採取民の時間感覚は最大でも1日。

同じ時間に起き、獲物を探しに草原に行き、木の実や果物集めに森に入る。

食料を探す時間は1日4時間ほどで、

あとは仲間と談笑したり、子供と遊ぶのが平均的な日常。

一年先はおろか、明日の計画を立てて動くこともありません。

「いまここ」がメインで永遠の現在を生きていれば、

遠い未来の不安に悩む事はありません。

 

しかし、「未来」を知ってしまった現代人が、

今さら「未来」という感覚を捨てる事はできません。

現代の環境の中で、現代と古代の時間感覚のズレを調整していくしかありません。

 

「炎症と不安」

この2つの要素がいかに現代人のパフォーマンスを低下させているのか。

「ぼんやりとした不安」が脳に「炎症」を起こし、

そのせいで増強された「不安」がさらなる「炎症」の火種に変わる。

この負のサイクルをどこかで断ち切らなければ、「文明病」は解消しないでしょう。