東京二期会オペラ劇場『フィデリオ』〈新制作〉:新国立劇場オペラパレス | 北十字の旅と音楽会記録が中心の日記

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西日本は台風の接近で大変ですが、首都圏は水蒸気の多い 蒸し暑い空気に覆われました。
そんな中、お昼前に初台へ お出かけ。


東京二期会オペラ劇場
ベートーヴェン生誕250周年記念公演
『フィデリオ』〈新制作〉 

主催:公益財団法人東京二期会
共催:公益財団法人新国立劇場運営財団
公益財団法人日本オペラ振興会

台本:初版(3幕)ヨーゼフ・フォン・ゾンライトナー
第3版(2幕)ゲオルク・フリードリヒ・トライチュケ


👗ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン:歌劇『フィデリオ』
オペラ全2幕
日本語字幕付き原語(ドイツ語)上演

14時~
新国立劇場オペラパレス


指揮: 大植英次
演出: 深作健太
装置: 松井るみ
衣裳: 前田文子
照明: 喜多村 貴
映像: 栗山聡之
合唱指揮:根本卓也
演出助手:太田麻衣子
舞台監督:八木清市
公演監督:牧川修一

ドン・フェルナンド:黒田 博
ドン・ピツァロ:大沼 徹
フロレスタン:福井 敬
レオノーレ:土屋優子
ロッコ:妻屋秀和
マルツェリーネ:冨平安希子
ヤッキーノ:松原 友
囚人1:森田有生
囚人2:岸本 大
合唱:二期会合唱団、新国立劇場合唱団、藤原歌劇団合唱部
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

今回の座席は 1階10列上手ブロック内側の通路際という、オペラを観るには(少し斜めで観るのが好きな私にとっては) 最高の席。ホールに入って驚いたのは、前3列を使用休止にしているので オーケストラピットとの壁(柵)が取り払われていたこと。つまりオーケストラのメンバーの全身が1階席からも見えたこと。これはオーケストラの音がダイレクトで届くという利点はあるものの、舞台の手前にライトに照らされた譜面やオーケストラの奏者がはっきりと見えてくるわけで、ここはどちらが良いのか微妙なところ。ただ、これは今だからこそできる取り組みですね。

今日の演目、フィデリオは 一般的な評価とは異なり、私の好きな作品のひとつ。

開演前の注意喚起の放送が流れる前に、幕があき、舞台中央に『ARBEIT MACHT FREI?』と記された門が現れました~?の意味を考えながら~。
注意喚起の放送が流れたあと、 そこで聞こえてきたのが 時計の秒針の音。これって、数年前の二期会の(日生劇場の)公演でも聴いた覚えが! 時間がこの演出で大切な要素になりそうな予感が伝わってきました。この段階で、客席は照明はそのままで、聴衆はまだ パラパラと案内されているというシチュエーション。

チューニングが終わり、大植さんが出てきて序曲が開始。この演出では『レオノーレ序曲第3番』
遅めのテンポで音楽がはじまると、紗幕に投影されたのは、ホロコーストに関わる映像。その映像にテンポがピッタリ填まっていました。 そこにはホロコーストにかかわる格言も読ませるという、徹底ぶり。終盤では、ナチの敗北のあとのソビエト侵略を思わせる場面がつきました。
これで 今日の演出が、ナチの独裁政権から東西の冷戦に亘る問題を背景にした演出だということを、わかったつもりで、観はじめることになりました。
~この段階でプログラムは半分しか読んでおらず、最初に読むべき演出ノートを飛ばして、大植さんの「バーンスタインがベルリンの壁崩壊の第九でFreudeをFreiheit変えて演奏すると決めた≪その時≫にその場にいて、歌詞の変更を意見した!」というエッセイを 先に読んだら時間切れだったのです~

演出は、とても考えられた興味深いもので、私にはドンピシャの、思考回路総動員になる、観ること重視の人向きの展開でした。←でもそれは第2幕を観てからわかったのですが…

第1幕は、ナチスドイツの時代から、ホロコーストの壁がなくなり、ユダヤ人が解放されるところから舞台が始まりました。
~フロレスタンとピツァロのどちらがナチ寄り、まあ ピツァロだろう、と思っていたら…~
その立場を明確にする前に、ベルリンの壁ができちゃいました。
~つまり、これは東西の問題を扱った演出。ピツァロはナチスドイツを破ったソ連寄りだ~
そう思っていたら、第1幕の最後が『ベルリンの壁崩壊』
~ここで1989年になっちゃうのはおかしいでしょ!第2幕どうするの?~
と、なるわけで、戦後 20歳の若者は すでに還暦でないと 話が合わないので「これは大林宣彦映画みたいに、タイムワープする物語なんだ」と頭を切り替えることにしました。

幕間、20分の休憩。こうなると 本来読むべきと思っていた演出ノートを見たくなくなるのが、へそ曲がりの私。ロビーを歩いて知り合いを探すも、今日はだれもいない。そこで早めに座席に戻ると 秒針の『カシャカシャ』という音が 幕を下ろしたホールの中に響いていました。
~時間の経過がポイントであることを 肝に銘じて 第2幕へ~

第2幕がどの時代から始まるのか と見ていると、紗幕に投影された映像は、米国の9.11の映像。
そして 今回の演出の鍵となる『壁』については、私の脳裏から完全に消えていた『パレスチナの壁』になっていました。
ここで、私の頭からは『オペラの背景の時間』についての拘束が、完全に解放されました。つまり、このオペラを通して、自由を分断する『壁』を考えて欲しいという演出であろうと。
すると最初に幕が開いて舞台に置かれていたのは『ARBEIT MACHT FREI?』の門が崩れ、文字が歯抜けになったもの。するとピツァロの出てくる前に フロレスタンが その文字を『REIHEIT』とし、フィナーレ前の2人の命が助かった二重唱で、レオノーレがあたまに≪F≫を加え『FREIHEIT』が完成しました。

この閉鎖された空間に 不当に捕らわれた人の解放を、20世紀~21世紀に起きた閉鎖(壁)の問題を絡めての舞台作りは、私的には大満足の演出でした。舞台後方の壁と前方の紗幕への 様々な映像の投影が、とても効果的でした。その分、舞台上はさっぱりとした空間での演技。
フィナーレの大詰めのソロと合唱とのアンサンブルでは、舞台後方の『壁』をすべて取り払い、舞台の奥、左右までまっさらに見せました。またその場面で、舞台のそれこそ後方に まあるく並んだ合唱団。最初は全員がマスクをしていたのですが、合唱が始まる直前に、レオノーレが『マスクを外せ』と合図をするや、マスクを外すという場面は、直接的には『コロナからの解放』ですが、他にも様々な意味が感じられた 秀逸な場面の瞬間でした。
唯一、開演から舞台との間に下ろされていた『紗幕』ですが、今回の演出、投影には必須の道具でしたが、これこそ 舞台と観客を分ける≪壁≫と感じました。そこで『いつこの紗幕が上がるのか』と思っていたら、最後の歌唱が終わったあと、オケのコーダに入ったところ。つまり紗幕はコロナ対策であることを明瞭に示した演出になりました。私的には最後のアンサンブルと合唱のが始まる場面、合唱がマスクを取る場面で 紗幕を上げて大団円にして欲しかったです。しかし そのストレスこそ、今 まさに全世界の人々が感じている、自分と隣との間に作らなければいけない≪壁≫なのかもしれませんね。

そして終わってみれば、気になるであろうと思っていた、オーケストラピットもまったく問題なし。それより、舞台左右の離れた 高い位置にある字幕も 気にならないくらいの存在感のなさ。終わってみれば、字幕もほとんど(しっかり見たかったのに)見なかった感じ。それだけ舞台(と紗幕の映像)に集中したってことです。

この制約がある時に『よくぞここまで!』と思わせてくれる演出でした。
ただ、音楽を聴きに来た方には、特に 紗幕に投影された映像や格言などが『情報過多』に感じられたでしょう。賛否両論を巻き起こすことを狙ったような 実験的な演出、私はその前向きな取り組みにブラボーと言いたいです。

最後に歌手の方々についてですが、ソーシャルディスタンスを考えたであろう中で、不自然に思わせない舞台を見せてくれました。

ブラボーが掛けられない(『掛けるな』と、開演前のアナウンスにしっかり入っていました)ので、アリアのあとや カーテンコールで めちゃフラストレーションが溜まりました。なので、以下「ブラボー」な歌手の皆さんをここで書きます!
声に立ち姿に圧巻の存在感の、妻屋さん。もう言うことなし。
10年近く前に、愉しいブログを読んでいた 土屋さん。ホール全体を鳴らす力強い歌唱に驚きました。
眼鏡を外されて 人違いをするも、張りのある端正な声の 福井さん。
細めの声で、今日の大きなホールと 直接音を全力で鳴らすオケに、音の圧力では「頑張れ~」と応援したくなってしまったものの、コケティッシュな動きが役にはまっていた冨平さん。
張りのある輝かしい声の松原さん。冒頭の二重唱でしっかり聴衆の気持ちをひとつに掴みました。

そして、音楽全体をまとめた指揮の大植さん。冒頭のレオノーレ序曲第3番では、こってりとした音楽を聴かせてくれたものの、そのあとは 良い意味で 目立つことなく、歌手をしっかり支えたという印象。まぁ、ベートーヴェンにコテコテの音楽は合わないですからね。
ただ、第2幕のフィナーレの冒頭のオーケストラの同音反復などは、真っ直ぐに心に突き刺さる音に感動。そして最後のアンサンブルと合唱では、煽って一気に燃え上がらせるのかと思いきや、正確なリズムとバランスの良い管楽器やティンパニに好印象でした。
ただ、私の好みの古典派寄りの音楽でしたが、大植さんに期待してしまうロマン的な過剰な表情を ベートーヴェンにどう仕掛けるか…を期待したところもあるので、そこでは ちょっぴり残念でした。

今日は最高の席で観れて、大満足でした。コロナ対策の市松模様の座席配置でも満席になっていなかったのが 本当に残念でした。


さぁ、これからゆっくり プログラムの演出ノート読みます。演出の意図と180°(つまり正反対)なら笑えますが、90°違って(まったくずれて)いたら、どうしましょう。

オペラって、やっぱりいいですね。
でも、ブラボーは 熱演した歌手やオケや演出家にいっぱい掛けたいです。