今日は昼食のあとに都内へ🚃💨
上野に着いたら、超混雑(で流れと逆方向の歩き!)。「何で?」と思うや、多くの人が写真を撮っているのを見て 納得。上野公園は 紅葉(黄葉)の終盤でした。
私は公園を抜けて、藝大まで。
藝大プロジェクト2025
👗ビゼー:『アルルの女』
演劇、オーケストラ、合唱による《アルルの女》全曲全幕上演
東京藝術大学奏楽堂
17時〜

台本:アルフォンス・ドーデ
作曲:ジョルジュ・ビゼー
五戸真理枝:演出
東 彩織:ドラマトゥルク
長沼 仁:舞台監督
鷲崎淳一郎:照明
落合美聡:学術アドヴァイザー
【出演】
バルタザール:久保田勝彦(劇団銅鑼)
フランセ・ママイ:横堀悦夫(劇団青年座)
ローズ・ママイ:津田真澄(劇団青年座)
フレデリ:河野顕斗(文学座)
イノセント:君澤 透(劇団青年座)
ヴィヴェット:石森咲妃(文学座)
ミチフィオ:川辺邦弘(文学座)
ルノー:倉野章子(文学座)
マルク:福本伸一(ラッパ屋)
【器楽伴奏】
山根風仁:指揮
上杉清仁:合唱指揮
大光嘉理人:コンサートマスター
西沢央子:ハルモニウム
藝大プロジェクト2025特別オーケストラ
藝大プロジェクト2025合唱団
期待度でいえば、先々週の『月の世界』よりも高く、今年度、私にとって 最も注目している公演です。
公演前に ロビーで「ハルモニウム」のミニコンサート。
ビゼーの鍵盤作品が1曲 演奏されました。
今日は舞台をひと目でとらえられる、後方ブロックの前寄り中央で観ました。
マイクをつけての演技のため、台詞はどこで、どの向きで語っても、舞台正面からのように しっかり耳に届きました。
ドーテの「アルルの女」(風車小屋便り)は、中学時代に岩波文庫で読んで以来、機会ある毎に手に取っている文学作品。ですから「風車小屋便り」の「アルルの女」が私の頭に入っている『アルルの女』でした。
演劇版は ドーテ自身が原作を戯曲に改めています。もちろん私は 初めて知る(観る)ものでした。
戯曲版のあらすじは
【第1幕】
バルタザールがアルルの女に夢中になり、結婚話で喜ぶのも束の間、アルルの女は既婚者で 夫から逃げた女ということがわかり、家族から諌められる。
【第2幕】
苦悩するバルタザールの幼馴染みのヴィヴェットが、ママイの言葉に勇気を得て、バルタザールに好意を打ち明ける。最終的に、バルタザールがヴィヴェットへの結婚を申し出るところで幕。
休憩ののち
【第3幕】
聖エロワの祝日。結婚前夜にアルルの女の夫、ミチフィオが現れる。「アルルの女」を強制的に連れて帰るという言葉を聞いたバルタザールの心が乱され、最後に自らの命を絶つ。
舞台はオーケストラの前に(2段の)台を置き、後方にもオーケストラに隠れない高さの空間をつくり、その中央にサイロを暗示させる3m程度の塔を置いたもの。
役者さんは文学座、他の劇団員の白熱の演技に、久しぶりに観た演劇ということもあり、集中させられました。
バルタザール強烈な性格のあぶり出しと、それを取り巻く、第2幕でのヴィヴェット、第3幕でのローズ・ママイの胸を抉られるような演技が強く印象に残りました。また、フレデリの白痴から知恵が入るところの変化の演技が見事てした。
音楽(オーケストラと合唱)は、藝大の学生?中心という感じでした。器楽はもう一歩というレベルでしたが、所々で演劇への参加、もちろん台詞や演技まであるもの、を加えた演出は、暗いストーリーの中で 明るい光となっていました。それと 2つのホルンが「ピストンホルン」と「ナチュラルホルン」と分かれていたのは、ビゼーの指示によるもの?それとも… その使い分けと 音のぶつかりをじっくり聴きたかったですが、私の席からは難しかったです。
戯曲となった3幕のストーリーは、現代日本の多くのテレビドラマや映画に触れている私には、このストーリーで3幕まで引っ張るというのは 冗長だなぁという印象も。まぁ これが19世紀後半のフランスの劇場で観られていた姿だと思ってはいたものの…
最後に、オールカラーの詳細な時代背景などが説明されたプログラムは、資料的にも貴重なものになりました。ただ、この戯曲のあらすじが5行のみというのは専門家的観点(誰もが戯曲のストーリーを知っていると思いこんで)の編集で残念でした。原作のみしか読んでいない方、のみならず 原作も知らない(ビゼーの音楽しか知らない)方に対して、今回は 演劇とクラシック音楽との横断的な公演ということを考えれば、もう少し丁寧にストーリーの展開を載せても良かったのでは?と思いました。
期待度に対してはマイナスになってしまいましたが、観ての印象はとても高い公演でした。ただ1日だけの公演で、3000円にもかかわず、当日券が出る(当日で完売)ということが残念でした。このような他ジャンルとの融合企画がこの国で伸びないのは、日本という国の 物事に対する(価値の)評価の在り方のせいですね。学校教育の方向と評価を変えない限り…と感じました。





