先日、日本受精着床学会が名古屋で行われました。4月に行われた日本生殖医学会が今一つ盛り上がりに欠けたことや、名古屋ということで東京や大阪からも参加しやすかったこともあり、盛会となりました。筆者も参加・講演してきましたが、参加報告はまだ後日するとして、学会に参加すると、すでにベテランといわれる年齢になった今も学びの大切さを痛感します。
そこで思い出したのが、大学生活の6年間に塾講師として中学生に数学を教えていた頃のことです。
その中で、数学が嫌いで伸び悩む生徒によくこう聞かれたものです。
「先生、数学なんて勉強して何の意味があるんですか?」
私はたいてい、まずこう問い返しました。
「〇〇さんには、将来の夢や目標がありますか?」
漠然としたイメージを語る子もいましたが、まだ中学生ですから、多くの子は明確な将来像を持ててはいません。
そんな子たちに、私は毎年こう伝えていました。
「君たちにも、いつか本気でやりたいこと、なりたい職業、取りたい資格が必ず出てくる。
そのとき数学は必ず力になる。
なぜなら数学は、医学・物理・工学・経済・芸術――あらゆる分野の基盤だからだ。
例えば、君たちが大好きなゲームの裏側では、虚数(複素数)やサイン・コサイン・タンジェントがしっかり働いている。
プログラムそのものが数学でできている。
クルマも電車も飛行機も、微分積分を使わなければ根本的な説明はできない。
デジタル音楽には周波数の知識が欠かせないし、美術を語るにも図形の理解が必要だ。
確率を計算できず、グラフを描けなければ、あっという間に詐欺や誤魔化しに騙されてしまうだろう。
シェフも分量や割合を考えるし、営業も経営も株も、みんな数学だ。
それだけではない。人間はどうしても感情に流されがちだが、社会では論理的に筋道を立てて考えることが極めて重要だ。
そのトレーニングを体系的にできるのは数学しかない。
『なぜそうなるのか』を式に書き、説明できるようになる練習は、数学だからこそできることだ。
さらに、『コツコツ勉強する力』は学生のうちにこそ鍛えられる。大人になってから新しく身につけるのは難しい。
君たちも、いずれ本気でやりたいことを見つける日が来るだろう。
だが、そのために必要な勉強が必ずしも楽しいとは限らない。
そのとき、学生時代に培った『コツコツ勉強する力』と集中力が、どんな夢であれ将来の自分を支える土台となり、一生の財産になる。
それが勉強の意味だ。
――分かったなら、ゴチャゴチャ言ってないで勉強しなさい。」
当時の私は鬼教官ぶっていたけど、数学って本当に面白いし、少しでも数学って面白いな、楽しいなと思ってもらいたいなと、それはそれはたくさんの時間をかけて創意工夫をこらした授業の準備を毎週していたことを今でも時々思い返して懐かしく感じます。
そんな感じで通勤途中にSNSを見ていたら、こんな投稿が目に留まりました。
なんかいくつかのバージョンもあって出典も不明なんですが、心を打たれたので紹介します。
「勉強の意味」
なんで勉強なんかしなきゃいけないの?という質問に母が机にコップを置いてこう答えた。
「算数」を学べばこの中に200mlの水があると数字で見えるようになり、
「理科」を学べばこの水は水素と酸素からできている事が知れる。
「社会」を学べばこの水がどこからきたのか?がわかり、そして世界にはこの綺麗な水を飲むことができない人たちがいることを知れる。
「美術」を学べばこの水の反射を綺麗に描く事ができるようになるし
「音楽」を学べば同じコップでも水の量で音を変えられることにも気づける。
「技術」を学べばこのコップがどんな素材でなぜ漏れないかがわかり、人の“創造”の凄さを知ることができ
「保健体育」を学べばこの水が体にどれだけ大切なのか健康を支える命の正体が見えてくる。
「道徳」を学べばこの水を誰かと分け合うことの大切さを学べて思いやりの心が育ち
「国語」を学べば今私が話した“全部の意味”を“正しく”理解できるようになる。
「英語」を学べばこの話を世界中の人と分かち合えるようになり
「哲学」を学べばこの話に何の意味があるのか考えられるようになる。
でももし何も学ばなかったらこのコップの中にあるのは「ただの水」で終わる。
だから勉強するの。
この世界をただ見ているだけの人生で終わらせない為にね。
いやあ、深いなあ。
決して不勉強であるつもりはないけど、妙に刺さるものがあって、日々の仕事の中にも、もっと学びの心がないといけないな、とあらためて思いました。
ということで、今日は学会からの「勉強の意味」についてお話してみました。
次回もお楽しみに。