外来で時々ご質問いただくものの1つに「受精卵はどのくらいの期間凍結できるんですか?」というものがあります。10年くらいなら全然大丈夫です、と回答するのですが、不思議そうな顔をされることもあります。おそらく、家庭用冷蔵庫で肉や魚を冷凍しても、数カ月たてば大きく味が落ちてしまうことと比較されているのだと思います。そこで今日は冷凍技術についてお話したいと思います。

 

冷凍技術については、生のものを凍結する過程と、冷凍庫の管理と2つのポイントがあります。

 

家庭用冷蔵庫の冷凍庫内温度は-20℃前後です。思ったより低いなと思った方もおられるかも知れませんが、これは冷凍庫の扉を閉めっぱなしにして、しばらく経った時の話です。電気冷蔵庫がなかった時の大昔の冷蔵庫は、上部に氷を置いてその下部のものを冷蔵する方式であり、電気冷蔵庫が出た当初も冷却器が1つで1ドアタイプだったため、上部に冷却器を置いてキンキンに冷凍を行い、冷たい空気が下に行く性質を利用してその余熱というか余冷?で下部をゆるやかに冷蔵していたようです。2ドアになっても流れでその構造が続いたのですが、当時は、いわゆる片開タイプのドアだったため、上部の冷凍庫のドアを開けるたびに冷たい空気が一気に手前下部に流れ、0℃以上まで庫内の温度が上がってしまいます。そうすると、ドアポケット付近の冷凍食品などは微妙な凍結再融解を繰り返されているようなもので、どんどん鮮度が悪くなってしまいます。

 

そのため最近では、冷凍庫を最下部あるいは中央に配置し、片開きタイプではなく、箱を手前に引いて上部から出し入れするような形に変化してきました。これで庫内の温度変化はだいぶマシになったはずなのですが、-20℃程度だと食品内の酵素はまだ生きており、緩やかになるとは言えタンパク質の分解は進んでしまい、結局は緩やかながら鮮度が落ちて数カ月で美味しくなくなってしまうのです。冷凍庫を過信してはいけない理由はこういったところにあります。

 

従って、食品を本当に長期保存するためには、-60℃のディープフリーザーに入れることが重要です。いわゆる大学や研究機関での様々な研究のための試料なども、長期保存したいものや大切なものは、-60℃~-80℃で凍結するのが一般的です。この程度の温度までなら、電気冷凍庫で凍結を維持することができます。逆に言えば、実験や研究の世界では、-20℃の冷凍庫は冷蔵庫よりはマシ程度で、あまり信用には値しないということになります。

 

 

ところで、世の中のほぼ全てものは、温度が下がると体積が減ります。0℃(摂氏0度)の気体は、温度が1度減ると体積が273.15分の1ずつ減ることが知られています。従って、温度が-273.15℃になると体積がゼロになってしまうので理論的にあり得ない、従って理論的に存在し得る最も低い温度は-273.149999℃であり、-273.15℃を絶対零度と呼ぶことにする、-273.15℃を、0K(オーケーじゃないよ、ゼロケルビン)と呼びます。人間が知り得る限り、これより低い温度は実際にも理論上でも存在しません。

 

私たちがよく使う温度は摂氏はセルシウス温度と呼ばれ、℃のCはセルシウスの頭文字です。もともとは、水が氷る温度を0℃、沸騰する温度を100℃と定義し、その間を100等分したものです(今は温度の定義が再定義され、水の沸点は99.984℃です)。もう1つ華氏温度(°F)というものがあり、これは日常世界で起こり得る最低の温度を0°F、ヒトの血液の温度が96°F(96は、7と9以外の全ての1桁の数で割れるので便利)、羊の直腸温≒発熱した時の人間の体温を100°Fとしています。人間は風邪を引くと羊さんになる、というのは体温の問題と、寒いのでモコモコ着こんで羊っぽくなるのと2つの意味があると言われています。温度には、摂氏、華氏、ケルビンの3種類が存在するものです。なお、温度間隔(1度の幅)は摂氏とケルビンは同じです。

 

 

閑話休題。とにかく、物体は温度が下がると体積が減る(=密度が高くなる)のです。では、水は0℃の凍る直前が最も体積が少ないのでしょうか。答えはNoです。水の体積が最も小さくなるのは約4℃であり、4℃を下回ると体積は徐々に増え、0℃で氷になった瞬間に10%ほど体積が増えます。さらに温度が下がれば徐々に体積は減っていきます。川や池が氷っても魚が凍死しないのは、川や池の底には、最も密度が高い4℃の水があるからと言われています(それ以外にも地熱の影響があると考えられています)。

 

食品冷凍において、0℃付近でモタモタしていると凍った時の体積の増加で細胞が破壊されてしまって味が起こるので、この温度帯を急激に通り過ぎることで細胞が壊れる時間を与えず、鮮度高く保つことができるのです。


何度か書いたことがありますが、回転寿司等で安価に食べることができるマグロは、どんなに美味しくても生と明記していない限り、ほぼ全て冷凍です。味を落とさない冷凍技術のキモが瞬間冷凍です。

 

こうした瞬間冷凍とディープフリーザーの技術向上により、マグロなどは専門のマグロ冷凍保管業者がいて、本気出して凍結・保管・解凍を行って、ディープフリーザーから出したその日に食べれば、プロ中のプロが食べても区別不可能と言われるレベルにまで凍結技術は進んでおり、超がつくような高級寿司店でも近海マグロがイマイチな季節は冷凍マグロを出すお店が増えているようです。マグロはいつでも味が同じイメージがあるかもしれませんが、季節によりマグロの種類も上がる場所も違うし旬もあります。しかし、他の魚には旬を求めてもマグロはいつでも美味しいものが食べたいというニーズは高いですので、美味しい冷凍マグロは欠かせないのです。もっとも物流自体も進んでいて、近海でいいマグロが上がらなくても、アメリカ(ボストン等)やカナダ、地中海からもいいマグロが空輸されますので、とにかく近海の生マグロが一番、とはいかなくなってきた時代のようです。

 

回転寿司も、豊漁で安い時に冷凍マグロをいい状態でたくさん買っておくことで、安価で美味しいマグロを提供することができる、というわけです。(ただ、ディープフリーザーから出されたあとは、-20℃で店舗へ輸送され、そのまま-20℃の業務用冷凍庫で保管される期間はそれなりにあるでしょうし、解凍も高級店ほどちゃんとできているとも思えませんから、寿司チェーンやスーパーなどでは、生マグロがあるのであればそちらのほうが美味しい可能性は高いですが、それでも冷凍マグロの味は昔よりはるかに進歩しています)

 

 

そして、やっと本題ですが、卵子、精子、受精卵も、急速冷凍(瞬間冷凍)技術により生存率が大幅に上昇しました。これらの凍結技術をガラス化法と呼びますが、ガラス化法が一般化するまでは緩慢凍結法が主流だったのですが、ガラス化法の登場により凍結の信頼性が一気に上昇し、新鮮胚移植から凍結胚移植全盛の時代へと突入するのです(最近では少し揺り戻しもありますが)。

 

なんといっても卵子、精子、受精卵は液体窒素で保管しますが-196℃と絶対零度に相当近い温度であり、酵素はもちろん分子運動もほとんどなくなるような温度です。マグロが-60℃程度で数年保存できるわけですから、氷点下的にはその3倍以上の超低温であり、イメージ的にも半永久的に近い形で保存可能というのは納得しやすいのではないかと思います(ちなみに、ドライアイスは-79℃ですが、個体なので輸送等には非常に向いているのですが、固定の場所で長期保存するには液体窒素のほうが便利です)。

 

ところで液体窒素は気化すると体積が何百倍にもなりますので、完全に密閉すると爆発してしまいます。そのため、多少は気化した窒素が外に出られる構造になっており、蒸発分の液体窒素を定期的(週1~2回)補う必要があります。ラボにとっては日常業務ですが、大人が両手をまわしても届かないような太さのタンク20本前後の全てを日々きちんとお世話するのは結構大変です。

 

筆者が研修医の頃は、液体窒素の補充は筆者の仕事だったのですが、自分のシフトとか休みとか、ちゃんと補充したら記録や報告をしたり、液体窒素の業者への発注も忘れないようにしないといけないし、足にこぼしたら凍傷になってしまうし、色々な意味で非常に神経を使ったのを覚えています。

 

このようにして、皆様の卵子、精子、受精卵は凍結され、長期保存が可能になっているのです。

 

 

なかなか、こうした話をきちんと解説しているサイトもありませんので、今日は少し脱線が多かったですが、卵子、精子、受精卵についてお話しました。面白かったよ、という方、ぜひ、いいねとフォローをお願いします!