「木を見て森を見ず」という言葉は、物事の一部分や細部に気を取られて全体を見失うこと、あるいは目の前の個別事例にとらわれすぎて広い視点を持てないことへの戒めの意味で使われます。

 

生殖医療に限らず医学はデータ(科学的根拠)に基づいて行われるべきであることは言うまでもありませんが、科学的根拠はあくまでも集団データであり、上記で言うところの「森」なわけです。例えば胚盤胞と初期胚では胚盤胞の方が妊娠率がいいよ、PGT-Aをすると妊娠率が上昇し流産率が低下するよ、というようなものです。

 

しかし、森が個性豊かな様々な木々で構成されているのと同様に、人間も皆同じではなく、様々な体質の方がいます。胚盤胞をいくら移植しても妊娠せず、初期胚じゃないとなぜか妊娠しない方、PGT-A胚が全然着床せず未検査胚ばかり着床する方、あるいは胚移植ではちっとも妊娠せず、妊娠するのはいつも自然妊娠ばかり、というものです。もちろん、そういう方がおられるということと、そういう方が多いというのは異なります。あくまでも初期胚よりも胚盤胞の方が妊娠率はよいのですが、あてはまらないこともある、総論が全てではない、ということになります。

 

もちろん、最初のうちは自分の特性などはつかみきれていませんので、データに基づいて治療計画を立てていきます。「データ的には、私はどんな方法が妊娠率がよいのでしょうか」ということを考えていくような治療方針立案パターン、つまり森を見て治療計画を立てていくことになります。

 

しかし、データに基づいた方法でやってもうまくいかない場合、治療経過(自分のデータ)がだんだん積み重なってくると、だんだん個別化した方針を立てなければいけなくなってきます。このステージになってくると、イレギュラーなことが増えて型通りにやっただけでは結果に結び付かないことが出始め、場合によってはデータとは逆のことをして初めてうまくいくことも出てくるころです。もちろん、何でもあてずっぽうに片っ端からやればいいというものではなく、一定のセオリーのもとに様々な検査・治療計画を立てていくわけです。他院様のことをどうこう書くのはイケてないとは思っていますが敢えて書けば、やはりこういうところで症例数や検査・治療の選択肢が豊富なクリニックと、症例数が少なかったり型通りのことしかやらないクリニックでは大きな差が出てきます。

 

各クリニックには、各クリニックのやり方や特徴があってよいと思いますし、そういうものも医療に対する真摯な姿勢の1つでもあるとは思いますが、「森」を見るだけでなく、同時に、ちゃんと「木」(1人1人の患者さん)ときちんと向き合って、個人個人に合った何かがないか見極めようとする姿勢が、これからの生殖医療に求められるのではないかと思います。

 

これから体外受精をしようとしている方は、クリニック選びを迷うと思います。そのクリニックが勉強家かどうか、医療に対する姿勢は真摯であるか、ということとともに、上記のようなこともクリニック選びの1つのポイントになるのではないかと思います。

 

ということで、今日は、木を見ることも大切です、というお話でした。今夜はこのへんで。