ふわふわとした、まるで天使の羽に包まれてるような。まっ、そんなキャラじゃねーけど、実際そう感じたのは事実。とにかく幸福感に満たされていて、いつまでもこの柔らかで優しい感覚に抱きしめられていたい……
「……み?」
どこか遠くで名前を呼ばれたような気がして。ゆっくりとまどろみから、現実へと意識が引き戻された。
「……うーみ?」
手の甲で瞼をこすりながら、重たい瞼を何とか開けると、そこには穏やかなミュウの笑顔があった。
一瞬、ココがどこで、自分がダレなのかさえ分からなくなる程、その笑顔はキレイで。むしろ、そんな事どーでもいい…と思ってしまうほど、俺はミュウに見惚れていた。
「海?」
不思議そうなカオして、覗き込まれる。瞬間、ドキリとして、いつもの冷めた言葉が口をついて出る。
「…呼び捨てかよ」
「かわいくない」
軽く人指し指で、デコピンされて。俺は、苦笑するしかなかった。
「イテーよ」
ゆっくりと身体を起こして、ようやくミュウの部屋で眠ってしまった事を思い出す。
「……はよ」
「おはよ♪はい、約束のコーヒー」
そっと、テーブルに置かれたマグカップからは、ゆらゆら湯気がたっていて。コーヒー独特の苦い香りが漂っている。
「俺、寝てた?」
何とも間抜けな質問に、ミュウは笑って。
「随分気持ち良さそうに」
「わり……」
「アイドルって、体力勝負なのね?」
ワンッ!とシッポを振りながら、ルナが俺の膝に飛び乗ってくる。小さな小さな頭を撫でながら、マグカップに手をのばす。彼女の淹れてくれたコーヒーは、苦すぎず熱すぎず、丁度良い濃さで、なんだかすごくホッとする味がした。
「ねぇ~、ミュ~~?」
「ん~~?」
「今夜、カレー食いてぇ」
自然と口から出た言葉。出逢ったばかりの彼女に、心を許しきってる自分が可笑しくて。どんな関係?と問われても説明のしようがない程、お互いの事なんて何も知らないのに。一緒の時間を過ごす事は、しごく自然な事のように思えた。
「じゃあ、悪いけど帰りにルー買ってきて」
「それってコンビニに売ってんの?」
「ふふっ…世間知らず」
「んなもん、買ったことね~し」
「はじめてのおつかいだ」
「うっせ~」
「一人でおつかいできるかな~?」
「バカにすんなよ」
楽しそうに笑うミュウを見て、来て良かったと思う。エレベータに乗り込んで、気付いたら8階のボタンを押してた。
なんだろう、もう一度会ってみたかった。
なぜだろう、もう一度会いたかったんだ。
「そろそろ仕事行くわ」
空になったマグカップをミュウに手渡すと、受け取りながらミュウはポンッと俺の背中をたたいた。
「しっかり稼いでこいよ」
「ハイハイ」
「ハイは1回!」
「はーい」
当たり前のように、ルナと一緒に玄関までついてきて見送られる。
「いってらっしゃい」
「ん…イッテキマス」
笑顔で手を振るミュウと、シッポを振ってくれるルナに別れを告げて、俺は801号室を後にした。エレベーターの横にある階段を、軽やかな足取りで駆け上がる。こんなのも悪くねぇ。こんなに晴れ晴れとした気分は本当に久しぶりだった。………はずなのに。
――――――……最悪
部屋の扉の前で蹲っている女に気付き、溜息が零れた。一気に表情が冷めていくのが、自分でもよく分かる。
「なにしてんの?」
ゆっくりと顔をあげた彼女は、何度か抱いた事のある、ただそれだけの女。瞳に涙を浮かべていて。まるでドラマの中のヒロインのように、切羽詰った表情で、俺に抱きついてきた。
「海…会いたかったよ」
―――面倒臭せぇ…
「悪いけど、これから仕事」
冷めた口調で、俺にしがみつく華奢な腕を解き、背中を向けると、今度は背中から抱きつかれる。
「やっぱり好きなの…海じゃなきゃダメなの…」
「あのさ…そうゆうのウザイんだけど」
「……海」
「帰ってくんない?」
俺は、振り返る事さえせずに、自分の部屋に1人身体を滑り込ませた。さっきまでの穏やかな感情が、ギラギラとした苛立ちに侵食されていく。やりようのない不安定な場所で、出口の見えない闇の中に放りこまれたような。ザワザワとした落ちつかない気分に吐き気がする。モノクロのリアル。笑顔という無表情をはりつけて、見知らぬ他人の為に理想を演じ続けるエゴイスティックな世界が、俺の全てだった――――――。
