お腹が空いたという直クンに誘われて、半ば強引に連れて来られたのはいわゆる芸能人御用達の会員制バー。カウンターが見渡せるソファ席に案内されて、“とりあえず”の生ビールをオーダーする。


「あーーーっ、腹減ったーーー」


写真付のフードメニューをパラパラと捲る直クンを、何気なく見つめながらタバコを手に取り、火をつけた。間接照明のみの店内は、黒を基調としたモダンな造りで。他人には干渉しない、大人が大人の時間を過ごす空間。


「直クン、こんなお店どこで知ったの?」
「ああ、この前海に教えてもらったんだよ。女口説くのに良い店があるって」
「なにそれ?」


俺が笑うと、直クンも笑って。


「海も、適当に遊んでっから。そういや、ハルは?今彼女いんの?」
「ふふふ…、昨日まではいたんだけど」


直クンが呆れたように笑って、俺はめいいっぱい肺まで吸い込んだタバコの煙を静かに吐き出した。


女なんて、くだらない。
恋愛なんて、メンドクセェ。。
愛を囁くのは、ドラマの中だけで勘弁してくれって、ほんと。


苦笑し合ってたところに、生ビールが運ばれてきて、軽くグラスをぶつける。一気に半分まで飲み干したところで、直クンの動きが止まった。


「…どした?」


グラスを握り締めたまま、カウンターを見つめる直クンの耳に俺の声は届いてない。


「…ゆず?」


半信半疑のつぶやきに。その視線を辿って行くと、カウンターに1人の女性が座ろうとしていて。俺たちの不躾な視線を感じた彼女は、長い黒髪を耳にかけながらゆっくりと振り返った。


「…もしかして、ナオ?」


親しげに名前を呼んで、こちらに近寄ってくる彼女は、驚いたような、それでいて嬉しそうに微笑んでいて。俺たち2人の前で立ち止まった。


「マジ久しぶり…つーか、1人?」
「ふふ…楽しくないお酒に飽きちゃったから逃げ出してきたとこ」
「なんだよ、それ」


さりげなく横にずれて、空いたスペースに座るよう促す直クンと、それに素直に従う彼女。


「こいつハル。知ってるだろ?」


初めて俺を真っ直ぐに見つめた彼女は、軽く会釈した後、首を傾げる。


「どっかで会った事あったっけ?」


真っ直ぐに俺を見つめて、必死に記憶を辿る姿が何だか可愛い。


「俺のこと知らない?」
「……知らない」

「だーーーユズっ!おまえ相変わらずテレビの無い生活送ってんだろ」


直クンは、脱力して、ソファに仰け反るように身を沈めて頭を抱える。


「有名人…さん?」
「どーもー、ルーナのハルでーす♪」


仕事用の笑顔でおどけて自己紹介してみせると、彼女は困ったように微笑んで。


「へっ?るーな?……ごめんなさい、テレビってあんまり観なくって」
「いえいえ、あっ、ちなみにルナは俺らグループの名前ね」
「…俺ら?」
「えっ?」
「え?直も…そのルナってグループなの?」
「そっ、正真正銘のアイドルなの♪」
「えぇぇっっ、何で教えてくれなかったの?」
「てか、何で知らねーんだよ。俺、大学ん時からこの仕事してんだけど」

「うっそ。よくサボる人だなぁとは思ってたけど…」


本気で俺らを知らない彼女は、テレビの中で、歌って踊って笑顔を振りまく俺たちを見たことないわけで。
どんな生活してんだよ?と軽くツッコミを入れつつも、あまりにも普通に接してくれる居心地の良さに自然と表情が柔らかくなっていく。


「まぁいーや。それより、おまえ今何してんの?」
「ふふふ、秘密」
「んだよ、それ」


直クンの、丁寧ではない言葉遣いに、懐かしさが伝わってくる。


―――へー…直クンてこんな顔するんだ?


メンバー1のシッカリ者の直クンの飾らない笑顔が微笑ましかった。


「あのー、名前教えてもらってもいい?」
「え?」
「名前」


ニッコリ笑って、直クンが『ユズ』と呼ぶ彼女を見つめる。


「やだ…言ってなかったね。柚木です。柚木美夕」
「へ?」


彼女の名前を聞いた途端、直クンの表情が固まって。彼女は、淋しそうに笑ったんだ。


「なー溝口サンは?」
「……私、もう溝口じゃないんだ」
「へ?」
「……別れちゃった」
「ワリィ……変な事言った」


ヤバイって顔して、直クンが謝ると、彼女はクスクスと笑って。バーテンが運んできたウィスキーグラスの中の氷を、指で弄びながら、上目遣いで直クンを見つめる。
憂いを含んだ表情も。アルコールのせいなのか、少し海んだ瞳も。男心を擽るには充分過ぎるほど充分で。綺麗な女なんて見慣れてるはずなのに、目が離せない。


「もう随分前の話だから……気にしないで」
「…マジごめん」
「もう…相変わらずなんだから」
「………へ?」
「相変わらず心配性」
「そうか?」
「相変わらず、優しすぎて…ホッとする」


手の中のグラスに視線を落として、彼女はクスクスと笑っている。そして。ふっと、彼女の瞳から何の前触れもなく、大きな涙が零れ落ちた。彼女さえも予期していなかったのか、その涙に困ったように笑って、グラスをテーブルに置くと、両手で顔を覆う。


「……ごめん」


痛々しい程に伝わってくる彼女の強い想いに、直クンが戸惑ってる。彼女を抱きしめたいのに、行動に移せないのは…俺のせい。仕方ないなー…と心ん中で独りごちて、勢いつけて立ち上がり、鞄を手に取る。


「直クン、俺帰るね」


驚いたように俺を見つめた直クンは、それでも俺を引きとめる事はしなかった。彼女は、涙で濡れた顔で申し訳なさそうに、俺を真っ直ぐに見つめる。動き始めてしまったキモチを邪魔するほど、野暮じゃないんで、悪しからず。


「とりあえず、ココ直クンのおごりね」


軽くウィンクなんかしてみたりして。ポンポンと、彼女の頭を優しく撫でて。俺は、店を出た。

今日初めて会った、名前さえ呼んだ事のない女は、俺の名前すら呼んだ事がないわけで。これっきりの出会いだって思ってた―――…。




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