お疲れ様です
今日はタイトルの通り
サブカルチャーの話。ということで
芸能活動を始めてからあまり触れてなかった
私の根本であり人生でもある
音楽の話をしたいと思います。
目次
- 年間250本ライブを観る女
- ファンからカメラマンに
- カメラマンからイベンターに
- 日本から海外に
- 将来的な話
1.年間250本ライブを観る女
私はコロナ前特に2018年頃は
数えてみたら年間で250本以上のライブに行くほどライブが大好きな女でした。
ジャンルは様々ですが、"ロック"か"ヒップホップ"という括りでまとめられることが多いアーティストだったと思います。
初めて好き‼️と思ったアーティストは小学生4,5年生くらいの時でORANGERANGEでした。
めちゃくちゃ流行ってたけど誰よりも詳しくなりたくて、過去に出た写真集とかまで揃えてた...
小学生のお小遣いは全部ORANGERANGEに使いました笑
その時、MUSICAとかWhat's in?とか音楽雑誌を買うようになって、自然とデビューしたてとかインディーのバンドに詳しくなって。
これ言うとちょっとダサいなって思ったりするけど敢えて言うと
ワンオクは5人の時から聴いてたし
RADWIMPSはふたりごと出す前から聴いてた
そんな小中学生でした。
その後ORANGERANGEのRYOさんの結婚をきっかけに(普通の人はだいたいかっちゃんが抜けたタイミングだよね)ORANGERANGEじゃないアーティストを探すようになって
RIP SLYMEにハマった‼️
そこから流れるようにJ-HIPHOPって言われるようなジャンルを聴いてて、KREVA、nobodyknows+、SOUL'd OUT、HOME MADE家族、SEAMO、、、懐かしいな
その頃、2007年(この年ははっきり覚えてる)
雑誌よりもスペースシャワーTVが私のメインストリームだったんだけど
・Base Ball Bearのドラマチック
のPVに一目惚れ‼️
そこから、PVランキングみたいなのばかり見てて
・フジファブリックのパッションフルーツ
・マキシマムザホルモンのぶっ生き返す
この3つと出会って「音楽好き」って思うようになった。
フジファブリックの志村さんとは中学3年くらいの時にお別れすることになっちゃったけど、
あの頃のスペシャの番組は今でも私の思い出。
そして、高校生になって、自分で稼げるようになってからはバイト代の全てをライブに捧げてきました。
人生で初めて行ったライブは
UKFC on the Road2013‼️
それから毎年(オンラインになっても)必ず参加。
新木場でトップバッターだった
the telephonesには並々ならぬ思いがあるし
この時1番の目当てだった[Champagne](現:[Alexandros])の今の人気っぷりには脱帽です。
⏬ライブ時代の仲間との写真。この頃は高1だった子も今じゃ成人してるもんなぁ⏬
そしてライブに行けるようになって
初めて東名阪まで通ったバンドが
The Flickers
今は解散してしまいましたが、私の人生で最も重要でエモいバンドです。
そこから高専生活はずっとライブ漬けで、就職も音楽関係の仕事もあるテレビとかコンサート関連の特殊美術という電気工事屋さんだったわけです
会社員になってからは、お金の余裕も段違いだったので、退勤後はほぼライブハウスに居ました。
2.ファンからカメラマンに
私が20歳になる頃には、ライブハウスやフェスでそこそこ名の知れたオタクになっていて、軽趣味のカメラで写真フリーのライブなんかを撮影してアップしていました。
会社員しながら、退勤後はライブに、土日は3現場とかいって、、、
そしてとある年の誕生日に
初の自分主催のDJパーティーを開くことに。
それもあって冬のボーナスでSONY α7を購入。
その時すぐに撮影を許可してくれたのが、お世話になってた副島ショーゴさんとRIPSLYMEのPESさんのパーティーでした。
Dragon Ashの桜井さんに挨拶できたのは熱かったな。
そこからより一層カメラとライブにのめり込んでいきました。
3.カメラマンからイベンターに
毎年1月は自分の誕生日パーティーと題して
「ノ・ゾ・キ・ア・ナ」という企画を打っていた私ですが、3年目くらいからバンドも交えてライブハウスで企画を打つようになりました。
それがかなり順調で、誕生日以外にも企画を打つように。
自分のイベントで自分でカメラをしながら自分でDJもして。
なんか最高に音楽にまみれた生活でした。
そして、イベント主催の他にWeb制作や映像制作の知識がついた時に、会社員を辞めることを決意。
退職後100日間のニートを経て
フリーランスのクリエイター兼イベンターとして独立しました。
過去に呼んだアーティスト
UCURARIP/INNOSENT in FORMAL/the twenties/弱虫倶楽部/Yap!!/ギリシャラブ/鳴ル銅鑼/Zantö/w.o.d./CRYMAY/No Buses/Suspended 4th/他
呼んでから大手事務所に所属決まったりタイアップとったバンドとかもいて、
インディーズをディグるのに全力を注いでいました。
しかし、そんな生活もコロナ禍で少しずつ変化していきました。
4.日本から海外に
ちょっと話は脱線しますが段々と好みの音楽も変化していき、気がついた時にはUK Indeeに精通していました。
(これはイギリスの人にも驚かれるくらいの事実)
とにかく普段から海外メディアをチェックしてデビュー前後のバンドの音源を聴き漁り...
それをプレイリストにしていく、それが趣味になっていました。
SUMMER SONICの中継でThe1975のライブ中に自分の顔がアップで抜かれた時は感動で死ぬかと思いました笑
5.将来的な話
コロナ禍で私の好きだった音楽業界はかなり厳しい状態になりました。
大好きだったライブがなくなり、クリエイターとしての生活を送る中で、
・より一層自由な表現者として活動したい。
・自分が有名になることで周りのバンドやクリエイターの力になりたい
そう思い芸能活動を決意。最初はインフルエンサータレントみたいなものを目指してとあるサブカルな事務所に所属しましたが、芸能活動は全くさせてもらえず....入る事務所を間違えたと思い退所
その後ミス東スポを受けた2020年7月が私の芸歴スタートの時とさせていただいてます。
そして今、ミスコン2冠に輝いて
私はプロレス大好きなグラビアタレントとして活動しています。
というのも、このコロナ禍でライブに代わり私を支えてくれたのがプロレスだったからです。
プロレス愛については⬇️の記事で
将来的な目標はずっと変わっていません。
・より一層自由な表現者として活動したい。
・自分が有名になることで周りのバンドやクリエイターの力になりたい。
それに加え、
今年の1月から自信でデザイン×芸能の会社を設立。ミスコン2冠を達成。
グラビアアイドルとしてはグラビアントップチームというチームに所属。
事務所に所属してくれてる皆、ミスコンの仲間たち、グラビアントップチームの仲間たち、そして何より活動を応援してくれているファンに少しでも多くのものを返していきたいと思っています。
⏬自分の作品。ポップアートとしてcollageartとsilhouetteartの2つで展開中⏬
長くなりましたが、私にはこうやって表にあまり出していない話がたくさんあるので
たまに小出しにしていきたいと思います笑