「あなたはどこに愛を探していますか?」という本の中での引用。それを引用します。

社会学者で歴史学者のカール・ジンマーマンという人が「家族と文明」という本の中で、これまで崩壊した文明の記録に共通して見られる傾向として、8つあると述べているとのこと。


今日はその2つを紹介。

1. 結婚がその神聖さを失い、離婚が普通の事になる。

2. 結婚式が持つ伝統的な意味が失われる。


両方とも、今の日本にあたっていますよね・・・

 最近、うちの教会でお年寄りが病気になったり、怪我をしたりしている。中年の兄弟たちは、つかれたとか、若くないとか言っている。

彼らから聞くのは「もう年だ」というあきらめにも似たつぶやきである。

「もうだめ」という消極的なメッセージを発しているのである。そして彼らが老いに向かう時の根拠となるのは、信仰や聖書ではなく、自分の考え・価値観・努力・経験である。

 しかし、それがクリスチャンの姿だとしたら、悲しいと感じる。

日々栄化されていく、キリストの似姿に変えられていく、成長していくはずではないのか。

 老いと信仰について、日本の教会は聖書から学んできていないのかも。老いを聖書ではどう捉えていて、どう考え、この世での晩年をどう生きていくのか。大きなテーマであると思う。

 そこに喜びを見出せたら、世代間ギャップや若者が教会に来ないとか嘆く必要もないのではなか?老いを積極的に捉え、生き生きと生きているじーさん・ばーさんがいたら、それは非常に魅力的な教会になると思うし、若者も集まってくると思う。



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 爆乳少女をセレクトする新レーベル「ボンバーガール 爆乳少女」の第1弾として、DVD『まい15歳 Iカップ105cm』(アムモ)が発売された.......... ≪続きを読む≫


性の商品化のさいたるものですねぇ・・・

女性は、顔と乳としか見られないのかと・・・

結婚して妻の人格に触れるにつれ、自分がどれほどこの世界のポルノ(女性=人間の商品化)の偽情報と悪影響をうけてきたのかわかりました。

人間である女性としての妻を知る事によって、自分もさらに成長させられている気がするのです。


人格をあらわす名にさえも興味をもたれず、顔と乳にしか興味をもたれないこの女性が、尊い自分を商品化することをやめ、人格そのものを愛してくださる神ご自身であるイエス様と出会う事を望んでやみません。


「あつくなればなるほど、うすくなるものなーんだ?
うすくなればなるほど、あつくなるものなーんだ?
あつくなればなるほど、おもくなるものなーんだ?」


大人のなぞなぞ。
簡単か。


「天気が暑くなればなるほど、女性の服が薄くなり、
服が薄くなればなるほど、男の視線は熱くなり、
熱くなればなるほど、男性クリスチャンの罪意識は重くなる・・・・」


服薄すぎ!
今朝の電車の中で、見かけた女性のワンピースは、
下乳まで見えるほど胸開いているし、
昨日の女性は、谷間をやたら強調すぎ。

昨日は妻も一緒にいましたが、視線をそちらに向けないのが精一杯。
愛する妻を見つめてがんばりました。

でも、今日は無理。
ガン見してしまいました。
結婚しても同じ誘惑はあるんだよなぁ。
「エロ視線を受けた女性の心情」も、当然、推し測らなければなりませんが、
目の前にニンジンぶら下げられる男性の心情も推し測らなければならないと思います。

ちなみに、昨日その谷間をやたら強調した服装の女性の話を妻にしたら、

「そんな人いた?」と存在にすら気づいていませんでした。
それほどまでに、魅かれる対象が違うんだなぁと思いました。


 「特攻隊の犠牲の上に今の日本の平和があるように、イエス様の犠牲の上に神と私たちの平和があるのだ」とメッセージをしたメッセンジャーがいた。正直、比喩としてなりたっているのかなぁと思いました。

 イエス様の犠牲の意味は、以下のとおり色々あります(ノンクリスチャンの人には難しいかもしれませんが勘弁してください)。


 ①神の子イエス様の犠牲は、罪の赦しの為。私たちの身代わりの犠牲

 ②神との和解・神との平和の為の犠牲

 ③死の淵にいた人間を生かす為の身代わりの犠牲

 ④罪の支配からの開放の為の犠牲

 ⑤人間が人間として回復していく為の犠牲。

 ⑥犠牲になったのは神の子イエス様ご自身


特攻隊の死とは全然違うことを一つ一つこれから考えていきます。

<続く>