ここ二ヶ月くらい休日は地元の山、朝熊山を登っています
いくつか登り口ありますが一番スタンダードな
朝熊岳道の登り口出会いの広場まで自転車で行って
そこからスタートってのが多いですネ
山頂から南峰には金剛證寺があって
お伊勢参りが流行した江戸時代には
「お伊勢参らば朝熊を駆けよ 朝熊駆けねば片参り」と
言われるほど伊勢神宮とともに参詣された山で
その当時の賑わいが偲ばれる遺構群がたくさん残ります
ケーブルカー駅跡からの景色は山頂からの景色よりも最高
まぁ山頂は現在木が茂って何にも見え無いからですけどネw
伊勢神宮側に下る宇治岳道を通る事もありますヨ
コチラは大正期には登山バスも通っていたというだけあって
舗装が残っている部分もあります
自分的には登山とかいうよりそういう遺構に思いを馳せて
藪の中の遺構を探したり茶屋跡に残る茶碗の欠片とかを
見つけてはしみじみするのが結構好きな山ですネ
宇治岳道は特にそういう遺構群が多くて好きな登山道ですが
この道には謎の石碑がありますが
なんて書いてあるかはさっぱり読めません
裏側には世話手代 横田吉右衛門とか
江戸小網町 鈴木金兵衛 とか彫られているのは確認できます
江戸時代に鈴木さんが朝熊詣をするのに横田さんが案内したっていうのは
何となくわかりますがあとはもうサッパリですネ ┐(´∀`)┌
たしか去年、地元ケーブルテレビで皇學館大学の放送部が
この石碑について調べたのを放送してたのを思い出しましたが
皇学館大学のyoutubeチャンネルにもそのままの動画が上がってました
コレは素晴らしいレポートですネv
鈴木金兵衛とは江戸日本橋小網町で古紙回収業を営み
51歳の時に店を畳み古帳庵の号で俳諧を嗜み諸国を
行脚して各地に句碑を残した方だそうです
因みに古蝶(帳)女は夫人の号だそうです
で、肝心の表面には何が彫ってあるかと言うと
「鶯の声くもりなし 神路山」 江戸小網町 古帳庵
「昇る日に露のむ稲のはらみかな」 同 古蝶女
だそうです いや~勉強になりました
距離を示す丁石地蔵も多いですがその多くは壊れています
廃れるものの美しさ…
楠部茶屋跡から下りていきます
裏側から見ると立派な石垣
楠部道は舗装跡が残っています
かつてはココも車が走っていたみたいですネ
現伊勢志摩スカイラインと交差する部分には
かつて車道であった証の道路標識
近鉄高架をくぐって四郷小学校裏に抜けたら
県道37号をまた出会いの広場まで歩きます
某日
いつもの様に出会いの広場に行くと東屋にこんなモノが…
「ロマンの森からのお届け物です ぜひどうぞ」
これ今話題の「おにやんま君」ですネ しかも手作りb
ありがたく一つ頂きましたv
因みに後日も追加で作ってくれてましたがご好評の内に終了したみたいです
ちょっと飽きてきたのでこの日はケーブルカー跡の橋を渡って
少し行った先の杣道に入っていきましたがすぐに登山道に復帰せず
古い方の道に真っすぐ行ってしまいました
沢に突き当たって「しまった!」と思った時にはもう既に遅し
前日の雨もあってかヤマビル地獄です
道は無く薄い踏み跡のただの斜面はヒルだらけ
しかも短パンにくるぶしまでの靴下という軽装
やっと二十一丁石だったかの所でやっと登山道に
復帰したけどこんな必死に朝熊山登ったのは初めてですw
手を付きたくなるような斜面もあったけど目の前はヒルだらけ
マムシはいるはやぶ蚊もスゴイはで散々でした(ノ∀`)
でも必死に登ったのでイイ練習にはなりましたw
靴に付いたヒルを確認しながらその都度取り払ったつもりですが
やっぱり何匹かにはやられましたネ
靴の中にも入り込んでました
今までは歩くのに慣れるのにハイドレーションバッグだけでしたが
そろそろ負荷も増やさないといけないので
先日からはザックに水を6ℓいれて登山
やっぱズッシリきますネ
肩凝るわw
あと一回ぐらい登ったら練習登山は終わりかな
モンベルのクロノスドーム2型(2.43kg)を一年前に買ってて
それを持ってテント泊登山の予定やったけど
実際の持ち物を全部入れたら結構ずっしりきたので
慌てて軽量テントを追加購入
ネイチャーハイクのクラウドアップ2 雪用スカート
グランドシートも付いて1.86kg
メッシュのインナーやけどフライシートがスカート付きなんで
シュラフを工夫すれば何とかなるかなと思って購入
部屋での初張りはニャンコが先でしたw
爪たてやんといてヨw
あとは天気だけが心配
晴れますように(。-人-。)