プラットホームの並び方 | 宗慶二オフィシャルブログ~とある現代文講師の日常

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大学入試予備校
現代文講師

河合塾→東進→登録者35万人YouTube予備校『ただよび』校長→online塾bridge+校長(←いまここ)

鬱屈した日常を、少しだけ斜に視ることで、風を吹かせられたら…
と思います。

受験勉強の箸休めに、どうぞ。


いや恐ろしいわ


なにがって、横入りですよ横入り。



人のする所作・振舞いってのは、皆さん、物理的な挙動以上の社会的な意味に満ち満ちていましてね。たんに物に手を伸ばしただけとか、たんに人の身体に触れただけとか、そういうことでは済まんのですわ。分かりますね。だから横入りというのもですよ。たんに横から入っただけ、では全くないのです。小さな罪だから見逃せという、そのさもしく卑屈な精神も含めてですよ、その本質はむしろ人を食ったような不潔な振舞いであり、見逃すことのできない狼藉であり、許されざる暴挙であり、反社会的な醜行なのですよ。






JR新快速を待ってたときのことです。


プラットホームに並ぶ僕の前に、突然男性が1人割り込んで来ました。はーいコレ来ました来ました。皆さん。横入り男です。そのとき僕は先頭から2番目。で僕の後ろには20人程度の人の列。コレさ。いやそんなの出来る?的レベルの横入りですよ。卑怯なことしておいて堂々と踏ん反り返る態度に、思わず読んでた本から目を離しました。呆れ顔の僕に気がついたのか、あろうことかこっちを睨んで来る始末。なんだ文句あるのかという目顔です。止せばいいのに、つい言ってしまいました。みんな並んでるんですけど。



「2れつ!」



それだけ言って勝ち誇ったように平然と並び続ける横入り男。2列で並ぶルールだ、とでも言いたいのでしょう。僕は横入りを正当化するその言葉を耳にするや、なぜか彼のふてぶてしい態度が突然許せないような気になりました。だからおもむろに歩み出て、堂々とソイツの前に並び直したのです。そんな強気で来るとは思わなかったのでしょうか、それとも近付いてきた僕に危害を加えられると勘違いしたのでしょうか。慌てて僕から距離を取ってやけに素直に後ろにつきました。さらに何度も振り返って非難と蔑みの目線を送り続けてやった結果、少しずつ威勢をなくし静かになりました。




冷静になって、少しの後悔が僕に訪れます。確かにそのホームは2列縦隊のルールでした。そして確かにそのときの僕の前にはスーツの男性が1人立っていて、僕は彼の隣ではなく後ろに立ったのでした。そして僕の後ろには20人ほどの列が出来てた。そういう状況でした。




ここで皆さんは疑問に思うかもしれません。

なぜ宗慶二は2列に並ばず先頭の男性の後ろに立ったのかと。



分かります。非常によく分かります。


しかし皆さん。思い出してみてください。こういう場面は時として繊細な力学が働くものです。上手く伝わるか分からないけれど、僕が男性の隣でなく後ろに並んだのには、そのときその場の「感じ」みたいなものがありました。



駅のプラットフォームには、待つべき場所を指示するシールプレートが下に貼られてあることが多いですが、このシールの「面積」が意外に混乱の一因になってる気がします。いや混乱と言うのは適切ではありません。ケチな野郎につけ入る隙を与えてしまっていると言うべきでしょうか。あのシールプレートですが、路線によってはそれが比較的小さくて、成人男性が横並びに2人立てない程度の大きさのものがあります。その場合、シール図面から少しはみ出るように並び立つわけで、本当なら特段に問題にはなりません。ああいうものは「およそこのあたり」で並んで待っててね、という以上の意味はないからです。都市部なら23に分割して乗降口に5人並んで立つよう指示する割合大きなシールが貼られてる駅もあります。しかしコレが小ぶりな指示シールであったりすると、皆さん見かけたことはありませんか、ど真ん中にこれ見よがしに立って、あるいは荷物を置いたりして、または身体を左右にゆすったりなどと、まあとにかく隣に他の乗客が並べないよう威嚇ないし示威行為に及ぶ人。たまにいますよね。さもしい人です。さて皆さんはそんなときどうするでしょう。こんな場面では、あえてそれでも隣に並ぶタイプの人と、ややズレて左右どちらか斜め後方に並ぶ人とに分かれるのではないでしょうか。もちろん隣に立つことは正当な権利です。だって下のシールプレートに2列と表記されているわけですから。だからこれ見よがしに真ん中に人がいても、胸を張って指定場所からやや離れた隣に立つ。まあそれも一つでしょう。しかし想像してみてください。いくぶん前から先頭でずっと立って電車を待つ人に対して、しばし後からホームに到着した自分が、全く同じ権利を主張するのにいささか躊躇いが発生するような場合もあるのではないでしょうか。ましてやシールプレートのど真ん中に譲る気などさらさらないことを声高に叫ぶかごとく仁王立ちする狭量な御仁です。わざわざ隣りに並び立つ必要はないこともありましょう。君子は危うきに近付かないものです。ことさら事を荒立てず、そっと斜め後ろに付いて並ぶ。もうそれでよい。そういう大人の妥協もあっていいはずです。だっていずれ電車が到着すれば、左右どちらかから電車に乗り込むわけで、そうなると乗車のタイミングは同じです。何もプラットフォーム上で醜く場所取り合戦に勤しむ理由はありません。心静かに後ろに並べば特段に問題にはならないのです。もちろん誰もがそのようにしてしまうとプラットフォーム上のそこかしこに、いたずらに長く伸びる列が大量発生することになるわけですから、これだって程度問題なのですが、現実にはそこまでには至らないようです。







つまり現場には常にその現場の微妙な「空気」があるものなのです。人の振る舞いを見るに、その場の雰囲気や人間関係にどのくらいの繊細な認知を得て、それにどのような反応するのか。そのあたりに人物が出る、という感じがしてなりません。






さてここまで来るともう皆さんお気づきのように、僕の前に立ってたスーツはまさにその隣に誰も立たせないぞ的男その人だったわけです。つまりそういうことなのです。僕はその場の空気を過剰なほど正確に読んでしまう。これはまあ一種の職業病でしょう。



だから僕がそのとき2列を構成していなかったのは確かに事実です。しかしながらですよ。その間隙に付け入るかのように、あるいは2列で並ぶルールにあたかも忠実であるかの偽善的なフリをして、僕の後方20人ほどの人をすべて抜いて、ホーム先頭の位置に堂々と割り込んでしまうのですから、その根性。驚きます。社会性が足りないと言えばそうなのかもしれません。しかしどうもそうした非難は的を射た指摘であるように僕には思えないのです。そんなヤツでも社会性はあるにはある。でもその薄弱な社会性を安易に乗り越える私利への地滑り的な自制心の無さと厚顔ぶりが、なんなら彼の日常で習慣化し卑劣な人格を醸成した挙句、彼をして卑怯な振る舞いへと向かわせしめた。あるいはそうなのかもしれません。




いやはや人間社会は難しい。ルールがなければ無法地帯と化し、あったらあったで逆手に取って利用しようとする輩(やから)が現れる。とは言え僕は教育者。ここは世のためです。どうでしょう。そろそろここらで僕が前にずいと歩み出た経緯をご理解いただけたでしょうか。



ただし良い子は決してマネをしてはいけません。僕は特殊な訓練を行っています。




また懸命な皆さんならすでにお気づきでもありましょう。成熟した理性的な大人が取り得る最善の方法は、そもそもこの日の僕のような荒っぽいものではなかったはずです。




他人を変えることは激むずです。多様性を生きるこの時代ならなおのこと。「あんまり」気にしない、という強靭なメンタルを養うよう努めるべきなのです。