成功と失敗 | 宗慶二オフィシャルブログ~とある現代文講師の日常

宗慶二オフィシャルブログ~とある現代文講師の日常

大学入試予備校
現代文講師

河合塾→東進→登録者35万人YouTube予備校『ただよび』校長→online塾bridge+校長(←いまここ)

鬱屈した日常を、少しだけ斜に視ることで、風を吹かせられたら…
と思います。

受験勉強の箸休めに、どうぞ。



最近、リテラシー能力について考えることが増えました。読むちからとは、表現のちからとは、いったい何でしょうか。



成績を上げる。合格させる。僕は予備校講師なので、そのためにこそ、ここにいます。


でも読むことも、表現することも、本当はもう少し、人間性そのものに関わる事柄なのではないかなと思うのです。



合格したら、そこでキミの人生が完了するのではないよね。いやむしろそこからじゃないか、キミの人生がさらに伸びるのは。読むちからでも、表現するちからでも、合格するとスグ不要になるものでは断じてないのです。



だから僕は常々思うんです。


受験以後のもっともっと向こうまでの風景を、まるでないかのように語る受験勉強って何なのだろうって。シンプル過ぎる理屈や論理の世界だけで、あるいは分かりやすい得点技術の範囲だけで、あたかもそれが全てで、それこそが正義であるかのように語り切ってしまう話法って何なのだろうって。これさえやれば全部解けるとか、これだけで大丈夫だとか、まやかしの安心を安直に与える詐術。コスパやタイパなど効率性ばかりを語って、生きることの本当には触れないって何なんだろうって。そんなだからあるときから、受験勉強なんて、先の未来に役に立たないものだと吐き捨てるられるようになるのだと。




誰でも知ってることだけれど、現実の世界には、何事にも、はみ出した部分が常にどこかにあるもので、それがまるで意味のない無駄なものであるかのように語り切られるようになると、誰にとっても世界は突如息苦しくなるのだと思う。



そんな心の狭い論理だらけの強弁が、この教育の世界にあることが、僕にはあるまじき不恰好に見えてしかたがないのです。そんなだから、保護者も生徒たちも、窮屈な価値観のなかでぜいぜいと喘いでいるばかりなんです。





本当はむしろ無駄を楽しむ余裕こそが大切なんです。読むことの悦楽とは、何か実利を求めて読字する「作業」ではなくて、もっと豊かな、読む時間それ自体楽しむような文化的な享楽なんだよ。



楽しむこと。

味わい尽くすこと。

大コケや失敗をすら楽しむこと。



まだ身体の丸い仔犬がそうやって少しずつ上手くお散歩できるようになるのと同じように、人もそうして少しずつ世界の歩き方を体得して行くのです。



やってみる。楽しむ。転ぶ。起き上がる。またやってみる。楽しむ。転ぶ。起き上がる・・・



こうした連なりの一局面だけを切り取って、あるとき人がそれを失敗と呼ぶようになり、間違いだと非難するようになっていくにつれ、少しずつ不寛容で狭量な雰囲気が僕らの周りに蔓延することになったのかもしれないけれど、本当はこれらは一連のサイクルです。




キミは、世にある上とか下とか、成功とか失敗とか、そんな一辺倒な価値基準だけで、自分という人間が測られてたまるかと思いなさい。




大風呂敷を広げるようですが、僕はいつか、この国のリテラシー能力を1ミリでも豊かなものにできたらと願っています。






そのために、国語を楽しむ YouTube!

勉強というより享楽でありたい。


『宗慶二の国語チャンネル』



観てね!!!




↓ここ




投げられた石にとって昇っていくことがいいことでもなければ落ちていくことが悪いことでもない。これから皆さんはなにか登っているのか落ちているのかよくわからないような状態。上手くいっているのか いってないのか分からないような状態。成功に向かっているのかただグズグズ停滞しているだけなのか分からないような状態。まあそんな時間をすごく長く過ごすことになると思うんですね。自分もそうですし。誰もがそうなんだと思います。ただそこで何かあきらめたり判断したりしないでいただきたいという気がします。むしろ何がいいことで何が悪いことか分からないような状態に耐えることこそが「生きること亅なのではないかなという気がします。



イーエル大学助教 

成田悠介