先日Yahoo!NEWSを見て驚きました!
「動物言語学」…紀元前からの常識が覆る! 東大で”鳥語博士”が始める世界初の学問の驚くべき中身!
僕らは非常に多くの場面で人間vs動物という二項対立でものを語ります。そうした見方は、疑われることすらなく、その後長い時間をかけて緻密に展開し、遂にはアカデミズムという名の大聖堂の硬い思想的外郭を構成します。著名な学者が、教養のある知識人が、このことを当然の前提として思索を組み上げていたはずの、その前提が今後、崩れるわけです。
ところで巷間こうした出来事は意外にあるものであって、僕たちの「認識」はその多くが単なる思い込みに、後付けの理屈をさも論理的なふうに補強しただけであったりします。それが当然の前提である、という思考の停止。疑ったりチャレンジしたりすることそのものを許さない共同体の常識。それらが柔軟な発展的未来をもたらさない、むしろ老衰の一途を辿る他のない思想的ベクトルであることは、実は個々人のレベルではそれとなく気がついていたりもします。それでも「共同体」のレベルになると、もう抗えない。社会も会社も学校も、いや町も村も家庭すらも、そうした既存の安全圏から、一歩も外へは出られないようになってる。もしここに誰か1人でも、外へ出ようとする者があれば、よってたかって袋叩きにするか、最初から異分子であったということにしてしまうわけです。なぜそんなことをするのかって? それがナショナリズムの本質だからです。同質性の神話を守るためだからです。
学問の本当の凄みというのは、こうした牢固とした因習に、正面から堂々チャレンジできる点だと、僕は思うんです。
では学問以外の領域において、なぜ人は同質性の外に出ようとするのでしょうか。この場合、外に出たという事実にだけ目を奪われるのではなく、そうせざる得ない理由を見ようとした方が良いのかもしれません。
「人を動かすのって結局、ルールじゃなくて心だと思うから」動物言語学者 鈴木俊貴准教授