夏の京都はもー蒸し暑い蒸し暑い。
今年のヨーロッパ特に花の都パリなんかは最高気温43度くらいあって、京都の最高気温37度などより温度は高かったわけですが、体感どっちが暑いってもう断然京都の夏です。公道をセグウェイ(✳︎注)が激走しクラクションの音もけたたましい騒然としたパリ市街では、ことさら日陰を選んで歩かないと数十メートルで体力が激減し意識レベルが減弱化し気絶に至ります。そこで生きるために1€のボトルウォーターを求めて彷徨うことになるわけですが、これではもう観光しに来たのか水飲みに来たのか判断に苦しみます。ましてやルーブルやヴェルサイユのエントランスで長い列になど並んでしまうと、めらめらと炙る炎天下と無風状態でもうホントの地獄です。芸術芸術などと余裕かましている間に、灼熱の太陽に炙られて本物の天国が接近します。鑑賞する前に召還されます。
ところが・・・です。
我が国京都の茹だるような暑気と来たら。
盆地にどんよりと滞留する湿気がジリジリと人体を町ごと茹で上げるのか。否が応にも急上昇する不快指数はもー別格です。これは気温という単一のパラメータでは測りきれない暑さで、かつてアフリカ人のマラソンランナーが日本の公道を42・195キロ走り切ったあと「アフリカより日本の方が暑い」と明言したことがありましたが、体感比較してみるとこの感覚は確かに言えることなのです。今夏、何かの間違いで賀茂川ないし嵐山を散歩しようと日中出掛けたカップルの何組かが帰らぬ人となったとか。皆さん、これがホントの釜茹地獄でなくていったい何なのでしょうか。
さてそうなると人は何を求めるかお分りでしょうか。
流しそうめんです。
当然です。
そして流しそうめんと言えば、今、僕が夏の京都にいることを忘れてはならないのです。
さてここ京都貴船には川床でいただくことのできる流しそうめんがあります。
流しそうめんというくらいですから、そりゃもうそれなりに長い竹筒の中を流れてもらう必要があるということにもなりましょう。僕なんかに言わせれば、流れる距離がことさら重要でして、小さくまとまるより、綺麗な水に乗ってすーっと流れるその距離に比例してそうめんが近づく際の緊張感と喉ごしの清涼感はいや増すもの。
そこでせっかくいただくなら京都の川床で。
貴船の冷たい清水につるりとした喉ごしがたまらない。旨いとかもうそういうレベルではないですねこれは。それにつけても川床の涼しさといったら天然のクーラー。いやいやエアコンのような人工的な涼しさではなく、ひんやりとして涼やかな自然風が足元を吹き抜けてもう格別。そんなダイナミックでパノラミックな自然の景観のなかでいただくそうめんです。
受験生のキミ!
あと数ヶ月!
あと数ヶ月!
しっかり勉強頑張れば、キミにも流しそうめんが待ってるぞー!
夏が暑ければ暑いほど、貴船でいただく流しそうめんが旨くなるように、受験勉強にもがけばもがくほど、合格した瞬間の喜びは格別なものになるものです。本当に大切なことは、苦しいときにどれくらい前向きになれるか、先が見えないときにどれくらい誠実に努力を続けているか。努力の果てにキミにどんな喜びが待ってるのか、僕には分からないけれど、その成果と意味は完全にキミだけのものです。誰か他所から評価されることではないんです。キミがくぐり抜けた困難の総量に正比例して、キミだけの喜びはひとしお大きく感じられるはずです。
ずっと、僕はキミを応援してます。
本当の人間の価値は全てがうまくいって満足している時ではなく、試練に立ち向かい、困難と闘っている時にわかる。(マーティン・ルーサー・キング)
(✳︎注)正しくはセグウェイではなく、電動キックボードでした。セグウェイは体重移動により駆動するもので、独立したブレーキシステムが搭載されていないため、公道での使用が禁止されているのが原則であるようです。訂正しお詫びします。