風を見たかい? | 宗慶二オフィシャルブログ~とある現代文講師の日常

宗慶二オフィシャルブログ~とある現代文講師の日常

大学入試予備校
現代文講師

河合塾→東進→登録者35万人YouTube予備校『ただよび』校長→online塾bridge+校長(←いまここ)

鬱屈した日常を、少しだけ斜に視ることで、風を吹かせられたら…
と思います。

受験勉強の箸休めに、どうぞ。

いやまじ暑いよ・・・

風も吹かないうだるような暑気・・・


こんなときは涼しいエアコンの効いたスタバで・・・



ん?

そう。

そうなんです。


またも・・・


僕ずーーーっと教材作成してますー(涙)(涙)(涙)




あープールサイドのパラソルの下、冷たいカクテル片手にお気に入りの詩集でも読みながら、ゆったり過ごしたいぜーーー(爆)(爆)(爆)!!!



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あところで、詩集選ぶなら、キミたちはなに選びます?



僕は、迷わずリルケかポール・ヴァレリーを選びます。
鮮烈なことばの配置とバランス。
くーありゃ天才だわ。

苦悩も喜びも悲しみも虚しさも、こうして精妙に表わし出すことができたなら、どんなにか人生は豊かになるだろうと憧憬止みません。
彼らの言葉には、死してなおはっきりと脈動するある種の波動がありますから。



でも一人夜につい深酒してしまったときなんかには、石垣りんの詩文か鷗外の擬古文(小説)に酔うのが極上の時間です。
あるいは気が向けば宮崎駿『千と千尋の神隠し』。


読むともなく読まずともなし、観るともなく観ないわけでもない・・・

ぼんやりと眺めやりながら、そういうときの僕は文字や映像ではない別のどこかを浮遊しているような気がします。
それだと言うのに、そうした作品に強く心惹かれるのは、なぜなんだろう。
たぶんどの作品からもどこか懐かしく切ないノスタルジアを覚えるからなのかもしれません。


あちょっと待って。
詩なんて・・・って言う人。

よく考えてみてください。

小説なんかのストーリー展開を追うにはある程度持続的な集中力が必要ですが、詩文はそうでもありません。

もっと気楽に楽しめるものなんです。

そしてもっと深刻なものでもあるんです。


鷗外の小説は稀有な例外です。

あれは(作品にもよりますが)小説でありながら詩文と同水準に表現が彫琢されています。


文豪三島由紀夫も言うわけですよ。
「新しい文体を構築した作家は三人いる。ひとりは森鷗外。もうひとりは小林秀雄。そしてさいごのひとりは堀辰夫」


・・・ね(笑)。


ときに詩の効用ははかりしれないものがあるように思います。
だから詩に親しむことのない生活は、端的に「もったいない」。

大学入試で言うなら、一橋大や早稲田大なんかでは、和漢混淆文が毎年出題されますが、あんなものは古文や漢文の基礎的な知識があれば、文章そのものは特段に読みにくくもありません。
そもそも文章も時代の「風」の子。
だから、明治期の西欧化とその反動の対比がばっちり明確でむしろ純粋な意味の「現代文」よりよほど読解はシンプルで楽です。

本当はもっと気楽に楽しめるものなんです。

だから、詩歌も和漢混淆文も、しかつめらしい顔せずに楽しんじゃってくださいね。



夏になるとさ。
みんな手に取らない、旅行のパンフレット(笑)。
別に行くとか行かないとか、そんなの関係なく。

「夏の北海道5泊6日の旅」・・・とか。
「さくらんぼ狩りイン山形」・・・とか。

いいよねー。

んで冬は冬でさ。
「湯布院でほっこり美人」・・・とか。
「冬の城崎カニカニエキスプレス」・・・とか。

その他季節感のないものでもさ・・・
「一等前後賞合わせて6億円!」・・・とか(笑)。

いやいや季節感のあるものでも
「サマージャンボ5億円!」・・・とかさ。


いいよねーいいよねー(笑)。


こういうのって、何となくいい気持ちにならない?
どことなく浮世離れした高揚感に陶然(とうぜん)となるでしょ(笑)?



それ!
それですよそれ!

いま掴んだでしょ!


それぞ極意!詩文の味わい方(笑)。



要するに理屈じゃないんだよね。

もちろんそこに理屈をつけることはできるよ。
いくらでも蘊蓄(うんちく)を付加することも可能だよ。
文学史や文化史上の位置づけを講釈しちゃえたりもする。

でも一等大事なことはそういう「理屈」じゃないんだよねー。

くぅーそれいいねーってさ(笑)。
盛り上がれるかどうか。
そこ、なんだよね。

いやホントこれが試験だ入試だってなるとさ、突如としてあーだこーだ理屈つけて、いろいろに解釈することになっちゃうんだけどさ。
それってどうなんだろね。



詩(歌)と言えば・・・ひとつ思い出したことがあります。

そりゃもうずいぶん前、あれは僕がまだ大学生のころ。

いわゆる「宴席」と世間では呼ばれるところへ呼ばれたわけ。
「先生」と呼ばれる人種があまた集う、言わばうわばみ系百鬼夜行ね(笑)。



その席上、万葉集を研究していたとある女史先生、突然こんな話をし始めました。


「わたくし、人相を観るわけじゃないけれど、男性はそのタイプを大別四つに分けることができるのよ」って。

曰く(いわく)、「風・林・火・山の四タイプ」、で、「これは外さない」って。

でさ、つらつらと居並ぶ宴席の男性をひとりひとり指して直感的に言うわけ。

あなたは「火」、あなた「山」、あなたも「山」、あなた「林」、あなた「火」ね・・・


単なるお遊びなんだろうけどユニークな占いだなと思って興味深く見ていたら、順に回ってきて遂に末席も末席、僕の番。ちょっと緊張・・・


「宗先生は、最初に観たときからすぐ分かりました。」

ん?
なに?


「風」です。

え?

「宗先生は、『風』。」

え?オレ「風」タイプなの(笑)?
なんだかどう受け止めていいか分かりません。

その場にいた人で「風」は僕ひとりだったし・・・



説明も何もないわけで、そのときの僕としてはいまひとつ釈然としないまま、されど宴席は回り、緩み、ほどけます。


ほらもっと苛烈で情熱的な「火」とかさ、
ものに動じない堂々たる「山」とかさ、
そーいうカッコイイの言われたかったんですが・・・僕、「風」タイプ(笑)?

その寓意は今一つピンと来ないまま今に至ってます。


でもさ。

今思えばだけどさ。
考えようによっちゃ別に悪くないかもね、「風」。



たとえば先に挙げたポールヴァレリーの言葉を、これまた先述の堀辰夫が翻訳したことばにこういうのがあります。実以て(じつもって)優美きわまる文体で・・・







風立ちぬ、いざ、生きめやも




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さて今夜も宗慶二。
キミたちに吹く一陣の涼風。


人生をただ一度の「風」でくるくる回転させる、
そんな奇跡の仕業(しわざ)には、程遠いけれども。


それでも僕には僕にしかできないことがある、と信じて、今日も今から「風」になります、成増(なります)で(笑)。




みんな、待っててね!






敬愛する翁像~

僕もあなたのように、立ちあがろうとする人に癒しと力を与えられる「風」になりたい。


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