アリゾナの蝶はそれほどの脅威か | 宗慶二オフィシャルブログ~とある現代文講師の日常

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大学入試予備校
現代文講師

河合塾→東進→登録者35万人YouTube予備校『ただよび』校長→online塾bridge+校長(←いまここ)

鬱屈した日常を、少しだけ斜に視ることで、風を吹かせられたら…
と思います。

受験勉強の箸休めに、どうぞ。

ナビエストークス方程式って聞いたことある?
これ流体粒子の力学方程式なんだけどね。


ん?
知らない?
なになに?
もう難しいって?

いやまだ何も話してないんだけど(笑)。

大丈夫だって。
難しい話には入らないし、入れないから。
それに、キミがもしこの方程式を「知らない」って知ってるんなら、大丈夫だよ。
なに言ってんのか分からない?
僕も分からない(笑)。



ところで難しい話って言えば、スティーブンホーキング(英・理論物理学者)が本の前書きでこんなことを書いてたのを思い出す。
「数式を一つ入れるごとに、その本の売れ行きは半減する」
ずーっと昔に読んだ『ホーキング、宇宙を語る』って本。
ケンブリッジの同僚から出版が決まったときにアドバイスとしておくられた言葉だったと記憶してるけど、けだし名言だね (考えてみると、ほんといい言葉だよね~ってくらいの意味)。
もちろんこのブログはそういうの気にしなくてもいいわけだけど。
難しい話、僕も苦手だもん(笑)。




まあともかくこれ数学なんかでいう非線形微分方程式だから、計算式に組み込む初期値のほんのわずかな誤差が、その後の時間経過とともに致命的なほど拡大されてしまうんだ(=これカオス現象ね)。解に周期性がなくて、不安的に振動するからどうしてもそうなっちゃう。


たとえばこうした流体粒子の力学方程式が妥当すると言われている分野に、天気予報なんかがあるんだけどさ。
初期値にどうしても不安定な定義をまぬがれないから、結局二週間以上先はほとんど予測できない。
ね。実際予報出てないでしょ。1年後の入学式のお天気(笑)。
あれ、これが理由。
しかたないんだよね、こういうのは。
いわば知の限界。
ずっと先までの天気予報なんてのは、だから文字通り、『数学的にありえない』 (これアダム・ファウアーの快作)。



でもでも、未来を知りたいという好奇心は治まらないかもしれない。
むしろ「できない」と言われるほどに情熱、燃えたぎらせるかもよ(笑)。
じゃ仕方ないってわけで、強引にずっと先の未来まで天気を予測しようとすると・・・どうなると思う?
ほんのわずかな誤差。
それは計算式のなかに不可避的に持ち込まれちゃうわけだけれど、結果、それが指数関数的に増大して、ありえない解を導くことになるんだ。
たとえて言うなら、アリゾナの砂漠を飛ぶ蝶のはばたきが、ニューヨークに嵐をもたらすってことになっちゃう(=これ「バタフライ・エフェクト」ね)。



いやーでもさ。
世の中には不思議なことがあるものでさ。
分からないなら分からないって正直に言えばいいのにさ。
どーしても分かることにしたがる人もいるらしいんだよね。



たとえば地震予測。

あれほんとはできるわけがない。
知ってた?

天気予報は二週間以上さき、出してないでしょ。
分からないから、出さない。
それでいいんじゃない。正直で。
そういうものだとして接する限り、混乱も実害もない。



ぷ(笑)。地震予測・・・?

気象予報にはまだ流体力学の基礎方程式が妥当している。
でも地震予測にはそうしたサイエンスの基本的な裏付けすらないの知ってた?
これだけしっかりメディア報道されてると、いかにも信憑性があるように思うでしょ。
でも実はあれはまるでオカルトの世界なんだよ(タロットカードめくってるのと同じってこと)。



断層?
それは結果だよ(笑)。
地震があった結果、生じた地盤のひずみだ。
断層が地震を引き起こすのではない。


活断層?
何十万年というスパンで地震発生の多寡(たか)を議論されたところで、いまの我々の暮らしに妥当するわけがない(笑)。


確率論的な予測?
それを言い出したら、環太平洋火山帯に属して頻繁に地震に見舞われる日本では、いつどこで地震があっても不思議じゃない。

実際、地震学会が、こと甚大な被害をもたらす大規模震災を予測して、被害を最小限に食い止めたなんていう話はこれまでただの一度も聞いたことがない。



当たらないということに焦れているのではない。
分からないと正直に言わないことに、そうして既得権益を守る旧態依然とした姿勢に欺瞞への憤りを感じるだけだ。


人がなにかを知りたいという欲求、とくに先(未来)を知りたいという欲求の根底には、ある種の不安が透けて見える。
強く居続けることは難しい。
誰だって不安にくずおれそうになるときはある。
だからそういう不安を支えようとする人の営為は素晴らしい。
誠実で虚偽のない支えである限り、ね。


占いですら、占いという虚構性の外形をきちんと提示している。
しかるに、地震予測とやらは・・・




今朝がた、突如ケータイからうぉんうぉんいう奇妙なアラームが鳴りだし、

ほぼ同時にミシミシ壁がきしみ始めた。
地震だ!揺れてる!
ミシミシいう不快な音と振幅が次第に大きくなり、震災を想像して一瞬不安が募るも、すぐ治まったようだ。
まだ分からない。
この先もっと大きな揺れが来るかもしれない。
余震につぐ余震で、精神的に疲弊しきった東北を思った。


もしこうした不安をいたずらに煽り立て、そこに商機を見いだすのなら、その学会や報道メディアの責任は重い。
しかし一方、実利なくば食ってはいけない学者と、営利で駆動するメディアには情報の質に本質的な限界があるのも事実だ。




結局僕たちは、自分の知性をきちんと磨いておく必要があることになる。
そのうえで、メディアとはそういうものだとして相応の距離でお付き合いをすることが賢明だ(「メディアリテラシー」の問題)。


ナビエストークス方程式を「知らない」ということを知っている。
それでいいんだ。

ここまでは「知ってる」。ここから先は「知らない」。
賢者の知というものはそういう誠実な地点から出発するものだと思う。


アリゾナの蝶はそれほどの脅威か。


自分の知性でしっかりとモノを見る習慣がないと、僕たちはただ踊らされることになる。





「予知できる地震はない。われわれは(地震を予知するのではなく)想定外の事態に備えるよう国民と政府に伝え、知っていることと知らないことを明らかにすべきだ」(ロバート・ゲラー 東大教授地震学者)




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