チケット | 宗慶二オフィシャルブログ~とある現代文講師の日常

宗慶二オフィシャルブログ~とある現代文講師の日常

大学入試予備校
現代文講師

河合塾→東進→登録者35万人YouTube予備校『ただよび』校長→online塾bridge+校長(←いまここ)

鬱屈した日常を、少しだけ斜に視ることで、風を吹かせられたら…
と思います。

受験勉強の箸休めに、どうぞ。

僕は観劇が好きなんだけどさ。


ミュージカルってちょっとお値段高くない(笑)?

いい席に座ったらチケット代だって馬鹿にならないよ。一万円以上はするんだもん。

芸術を享受することへの対価がさ、日本はちょい高すぎるよね。




え?

まさか国公立二次の直前にその話題・・・?

なんつーかオレたち入試まえ、なんですけど・・・



分かる。分かるぞ、愛しき教え子たちよ。

だからこそ、この話題だ(笑)。


てかさ、このブログ、強引な展開のは、そろそろ慣れてきたでしょ(笑)。だから、まーそう言わずに、ね。



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もちろん感激するような観劇の瞬間にはそれだけの値打ちはあるよ。

かつて三島由紀夫が本物の小説に対してそう評したように、僕もまた「三嘆(さんたん)久(ひさ)しゅうしてこれ已(や)まない」。 だから、こうして不平をかこちつつ性懲りもなく幾度も足を運ぶわけだ。



いやいやそれこそお金の問題じゃない。そもそも興味がない。観に行く気になれないって人もいるだろう。

それも分かる。

セリフがなにせ歌なんだもんねー(笑)。いわゆる「歌劇」ってやつなんだけど、それってなんだか不自然で楽しめないと思う人がいるのも理解できる。



でも、僕は・・・



ぷ(笑)・・・やっぱりだ~い好きなんです!!!



普通のお芝居もいいと思うけどさ。いやーあのミュージカル特有の絢爛(けんらん)たる演出ね。

ふー心底陶酔しちゃうよね。エンターテイメントの原点にとても忠実なスタイルだと感服すらしています!


セリフが「歌」?

いいじゃんそれで!

不自然っていやそりゃ不自然だよ。

でもさ、お芝居ってのは、そういうものをそうしたものとして享受堪能できる柔軟なメンタリティーってのが大事でさ。

てかむしろ「歌」うことでしか表現できない機微ってのが、あるんだよ。

くーやっぱいいなーミュージカル(笑)。


ともかくさ。

まずはあちら側の設定したステージを、こちら側が肯定しないことには、「お話」にならない。

いわばこれって、楽しむための「通行手形」。

作り手側の提示するある種強引な押しつけを、受け手の側は、まあともあれ、そのまま受け入れる不平等な関係性があるんだよね。

で?それが何か問題?

いいじゃんそれで!

何かを楽しむ、ために、どこかを譲る。

なんつーのコレ。大人の余裕ってやつ(笑)?

仮にお金払って入場してもさ。 ほら。 ちゃんと楽しむためには、ね・・・

だから、こっちがほんとの「チケット」、なのかもしれないよ。

お金じゃなくて、心のキャパ、ってやつね。


ところで、そーいうの敷衍(ふえん)すればさ、事はミュージカルに限定されないだよね。

小説だって音楽だって、あらゆる文化ってさ、なんだこんなもんって言っちゃうとそれまでだよ。

でも冷静に考えて中身がないのかって言うと、そうではない。魂が痺れるような感動を味わうことがあるのも、たしかなんだよね。

本当に作品を愛するものにとっては、その「作品」は人生を支える最良の友になり得るわけ。

ただ一つだけ、そうしたある種の「パワー」をもらうために、条件があるってこと。

金銭的な対価や負担、では事済まない、まったく別の何かが駆動へのキースイッチになってるってこと。


でもちょっと待った。誤解しちゃいけない。 向こうの設定をそのまま受け入れる、とは言っても、虚構を真実だと解する必要なんてどこにもない。そうではなくて、虚構を虚構として、そのまま享受堪能する気持ちのゆとり。

これが、要る。


たとえばさ、遊園地のお化け屋敷を、なんだこんな作りものくだらないっ、なんて批判ばっか吐き捨ててたら楽しめないでしょ?だからって本物のお化けが出ると思って怯える必要はないよね(笑)。

ディズニランドーのアトラクションをさ、どうせオモチャみたいなもんでしょっ、ってスカした顔してたら、感動だって逃げて行っちゃうよね?だからって、本物のシンデレラが住んでるお城だって考えるのも行き過ぎ、だよね(笑)。


ああいうのは、ああいうので、「そのまま」楽しんでいいんだよ(笑)。

ね。

これが、要る。


「チケット」

幸せへの「チケット」だ、いわば。


僕はむしろ、そうした「虚構」(つまりは文化)をそうまでして構築しようとする人間のエネルギーって、ほんと凄いって感心している。

芸術と呼ぼうが呼ぶまいが、エンターテイメントには、ほんと「愛」がある。

そう思わない?

劇場に足を運ぶ人の顔って、みんなにこにこしてて、楽しそうでしょ。

ああしてみんなをわくわくさせて、幸せな気分にさせられるって、ほんと凄いって思う。

楽しいと感じるようになされた演出も、楽しもうとする受け入れ側の心の余裕も、

なんだか僕には、幸せのありかや正体を、そこはかとなくほのめかしているように思えてならないんだ。


もしそれでもミュージカルの虚飾性を批判するなら、僕の作る授業だって、キミたちが対峙する受験だって、なんなら同じことになってしまうはずだよ。

いやいや、話はそれどころじゃ済まない。

よく考えてごらん。

なんなら、友情だって、家族愛だって、永遠の愛だってさ(笑)。あるとかないとか、という議論自体が不毛なんだよね。

神はいるのかいなのか、なんていう議論と似ててさ。いつまでも尽きないし、途轍もない消耗なんだよね、その話そのものが。

ま、正直無神論者の分際で大きなこと言えた義理ではないけどね(笑)。


そーいうのは、ことばで語られ紡がれた「信念」として、ポジティブな認識を強く維持できるかどうか、単にその人の志向性に関わってる。

インディアンの酋長は誇り高く部族を守り導くが、それは彼が部族で最強の筋肉を持っているからではない。最高の頭脳を持っているからでもない。

最強の「信念」を持っているからだ。

映画『ロードオブザリング』では、主人公は勇敢な王子でもなく、武勇に秀でた妖精でもなく、腕力無双な大将でも、無限の力を秘めた魔法使いでもなかった。

ホビット族という小人族の名も無く貧弱な一青年だった。

なぜか分かるね。

彼こそが、怒りや欲望や恐怖やその他さまざまな心の闇と真っすぐ向き合う「信念」を最後まで保持しようとする者だったからだ。


そしてそういう「志向性」は、教科書では学べない。

教科書に載せられる類の「知識」ではない。

いわば「空気」によって涵養(かんよう)される、という性格のものだ。

だから、キミのそばに、虚構を、それ自体のものと分かっていながら、心から楽しむか信じるか語り伝えようとしているか、それが出来ている人がいるなら、とても幸せなことだ。

おそらくそうしたメンターはどこか浮世離れしたようなへんてこなところがあるかもしれないけれど(笑)。


まあ端的に言うとさ。

たとえば、夢をほんきで語る人(笑)。

たとえば、愛をほんきで語る人(笑)。

たとえば、命をかけて誰かを守ろうとする人(笑)。


滑稽?

そういう連中って、馬鹿げてる?


僕はそう思わない。


たしかに合理的でなかったり、無駄なことであったり、現実的でなかったり、

そうした主張に見えることもある。

というよりも、その通り、傍目からはいかにもへんてこな「信念」だろう。


でも、人は、世界は、そうした「信念」によって形作られてきたのも真実だ。

今というこの瞬間の時空だけを、もし切り取れたら、合理的に判断して、滑稽に見えるものは、たくさんある。



セリフを「歌う」ミュージカルだって、もしかしたら、そうかもしれない。

学問だってへんてこなものがたくさんあったりするかもしれない。


日常という合理性、効率性のなかで、僕たちが削ぎ落してしまったたくさんのモノがある。

でも、ものを冷徹に理詰めに断じて楽しめないことで、本当の意味で損をしているのは誰なのだろう。







さて、時は来た。

いよいよ国公立の二次型現代文。

これは確かに難敵だ。



でもそうだからこそ、強く信念を保持できないたくさんの者たちが、現場では勝手に失速していく。

試験の現場では、合格するのではない。

周りが、自分から勝手に、崩れていく。


文章を楽しめ。

設問を楽しめ。

試験を楽しめ。



受験勉強は見た目には地味だ。

しかし、内的な困難と向き合いつづけたキミたちの、砂を噛むような辛く長い時間を、僕は知っている。

耐え続けた長い時間を、ちゃんと知っている。


質問に来たり、来れなかったり。

周囲の大人や仲間に、励まされたり、傷つけられたり。

立ちあがろうとするキミが、なんども上手く行かず、苦闘する様子を、同じように痛みながら

ずっとずっと見ていた。

もっともっと、僕にしてやれたことがあったかもしれないと、いつもいつも自問自答を繰り返していた。

いま僕はキミたちを支えてやるつもりで、じつは強く支えられていたように思う。

このブログも、ひょんなことから始めたものだけれど、

キミたちから寄せられるコメントに、正直言うと、幾度も幾度も奮い立たされた。


心からありがとう。




二次を前にしたキミたちにどうしても言っておくべき言葉がある。



『ライオンキング』の若き勇者シンバは、自分の心の闇と向き合いつづけ、逃げないことを誓った瞬間、最強の「王」になった。

プライドロックの勝利者となったのは、悪辣漢スカーと戦ったときではない。

言葉で語られ紡がれた夢を、本気で信じた瞬間だ。

自分のなかの不信や自我をかなぐり捨てて、まっすぐ素直になれた瞬間だ。

もっとも困難な戦いは、そこにあるからだ。

その瞬間、歴代の王たちが夜空に煌めく星々のかなたから、彼を祝福する。



強く願えば、現実になる。

強く強く願えば、現実になる。

合格するかどうかは、いまこの瞬間に決まる。



いいかい。ここに僕からキミへの、合格に向けた最後のチケットがある。


見えないかもしれないけれど、それでも、今、たしかにキミは受け取ってくれたはずだ。


幾度もの困難を超えてそれでも手離さずそうして大切に持ち続けたキミの、そのワクワクするような合格への夢は、必ず現実化する。




スポットライトを浴びる時間がいよいよ近い。

強く信じてステージに上がれ。


そして、素直に誠実に、問われた通り、望まれた通りの解答を、自分に出来る精一杯で仕上げてくればいい。



キミを支えようとするすべての力が、キミの背中を押してくれる。





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