アニメ「鬼滅の刃」に興味のない方々は失礼します。

「鬼滅の刃柱稽古編」の最終回は凄かったですね❗

なに?あのクオリティーの高い作画
実写版か?と思う、産屋敷家の爆発のシーン
上からのアングルで、瓦がスロービデオの様にゆっくり吹き飛んで行く事で、ドンだけ大規模な爆発だったかを物語っていませんでした?

そもそも、鬼の始祖、鬼舞辻無惨が産屋敷家を嗅ぎ付けて、門から入って来る時の怖さは、

わやわやと歩く度にモヤの様な煙が舞い上がり、瞳は鬼らしく紅梅色に光っていて、どぇりゃあ不気味で怖かったよねぇ?

産屋敷家を自分家だって想像してみ?半泣きどころか、チビるよな?(笑)
原作を読んで知ってるものの、実際動きのあるアニメになると同じシーンでも迫力が違うね~

さすがはプロ
演出が完璧ですわ~

私もええ年こいてアニメにはまるって、中学くらいに見ていた「アタックNO 1」以来の感動ですわ~笑
アタックも最終回は感動のあまり泣きましたもんね

昭和な世代は、大人になったらアニメは見ないものと価値観があったけど、時代は変わり大人でも楽しめる時代になりましたな😃

たかがアニメと言っても

何より、人生に疲れきった事、折れそうになった事がある人には、いちいちセリフが熱く、深く

主題歌の格好良さにしびれたり、その時、その時の心情ではっと救われる事もしばしばあったりして

最近では、何だか自己嫌悪でどうしようもなく詫びしい気持ちになっていた時があって、

そんな時、鬼にされたネズコが兄の炭次郎が謝ってばかりなのを叱りつけて
「一生懸命やってダメだったんだから仕方ないじゃない?人間なんだから思う通りにばかりならないわよ?」と言うセリフに

めちゃくちゃ、ぐさ~っと心にささってしまい、思わず涙が出てしまった事がありました。

思えば、私の様に小さな子供を置いて家を出るって、批判される事はあっても正しく理解される事は滅多にありませんからね
何であんな辛い人生やったんやろう?と思い返す事もあるわけで
ふいに心に刺さるセリフがあったりして、それがまた悲しかったりするのですね。

そんなセリフが滲みる人生なんか送りたくなかったヨヨヨん😖とかね?(笑)

後、鬼滅の刃は何年か前に流行っていたのは知ってたけど、その頃は全然興味がありませんでしたが、世の中で流行るにはそれなりに理由があるのだろうと思い、それを見極めたくて初めて最初の炭次郎立志編を見たのですけど

その時水柱の富岡義勇が
「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」
と言った時、初めて聞く難しい言葉やなぁと思いつつも、私はJW の「輸血拒否」を思いました。

それと、自分の人生を身勝手に思い通りに操やつり、知らない間に大切な物を奪われている人間関係も思いました。

自分の人生はあくまで自分が主体でなければ幸せではないと思います。
けど、現実はなかなか強くなれないところもあって、ついつい人の口車に乗ってしまって失敗したり人生のバランスを崩してしまったり後悔もまた多くて、

このセリフには、押し付けられた何かで自分を忘れ、現実に折れてしまってはならないのだと意識を持って戦う元気が出ました。

その後、ご存知炎柱、煉獄さんの壮絶で潔い生きざまや、劇中の数々の深いセリフ

特に、「老いる事も、死ぬ事も人間という儚い生き物の美しさだ。」
「老いるからこそ、死ぬからこそ堪らなく愛おしく尊いのだ。」というセリフだけど

映画無限列車編が公開された頃、私はまだ「鬼滅の刃」の情報には薄かったけど、このセリフを聞いた時、
不滅を夢見る鬼舞辻無惨と、JW の宗教が人生の良いものを全てを捨てさせ、

輸血をなんだかんだ拒否させて命の重さ、尊さを軽視して、後になって「我々はそんな事を強制していない」と言い逃れる汚さを重ねる事で、意味ある言葉の様に思えた記憶がありますな。

単純に宗教ごときが左右出来る薄っぺらな問題でもないのに、何故他者の尊厳に口出し出来るのかと腹だたしい気持ちで普段から思うところがあったからです。

私は、末の息子の出産時、現役だったけど、輸血を必要とする難産で、輸血拒否は当然と硬い決意で臨んだけれど、

前夫の隠し様のない、どこかウキウキと笑みがこぼれる有り様に、人として大きな失望を覚えた時があり、

輸血拒否して私が死んでしまうかもしれない事に、残されるであろう幼子達や、連れ子の息子の事を考えたら、どこかウキウキと笑みなど溢れるものだろうか?とがっかりと気分が悪かった事がありまして

家族として愛などないと現実を見せられた気になり、楽園、死者の復活、その希望の為、血を避けよと命じる神に死に至るまで忠実であれとJW は、アクビや居眠りをしながらこうした教理を無責任に洗脳して守らせるけど

私個人は、本部のある米国の医療費は馬鹿高く、その医療費を使わせず自分達の贅沢の為だけに搾取を狙った闇の背景がある気がしてならないのだ。

宗教に微々たる異論を口にしたり、はっきり辞めると言うだけで、非人道的な制裁を加える冷酷非道さは、まるで光の使いを装おった邪悪な悪魔の様で、これまた鬼舞辻に操られる下っ端の鬼達の様に思え、違うとは言えないし、言わせるつもりもない。

日本のアニメの最近のクオリティの高さは世界でも優秀とされるからと言って、何だか大袈裟な話しなのかもしれないけど、

鬼になった側の辛い経緯や、凛と覚悟と欠片の甘さも捨てて、人のなん十倍も強く、再生可能な鬼に立ち向かって行く、それぐらい気荒で変わり者じゃなきゃ負けてしまうだろうと思わせる柱や鬼殺隊は参考になるセリフが多く感心する事が多くないだろうか?

それで作者は、もしや宗教で苦労した経験でもあるのか?と疑いたくなった。(笑)

何はともあれ、今世紀傑作な作品に出会えて良かった😄今後のストーリーの劇場公開が楽しみだ
なんしろ大病の爆弾を抱えている身の上なので、劇場版三部作、どれくらいの頻度の公開か分からないけど、見れたらいいなと願っている。