今回は、ちょっとスピリチュアルな世界の話しを上げようと思う。

私にとっては、スピリチュアルな世界って日常なので、滅多にブログにしないけど、

もう何十年前の話しであっても、今だ、生々しくどっちを向いても地獄にしか思えない辛く悲しい日々だったから、向き合おうにも辛すぎて出来ないし、話しても人にゃ分からんやろ思ったし、変に心の中を踏み荒らされる心配したし、

そんなこんなでJW という宗教の私の冤罪排斥に関わる人や出来事はなかなか忘れられるものじゃなかったのね。

年子のまだ幼く手がかかる娘達や低学年の息子がいて、宗教入信を反対する前夫からの暴力で利き手の薬指を後ろへおもいっきり曲げられ骨折させられ、ギブスしてろくにお勝手も娘らの入浴もままならんのに、前夫は、おまけに家事はいっさい手伝わず、深夜突然お客を連れて帰って来るなんて日常茶飯事だったし、

散々反対してた前夫も入信してからは、頭の権を乱用して自分の事以外は全て些細な事でも何がなんでも反対し、家族の楽しみを奪う前夫に苛立ち、しまいめには口論から暴力沙汰になり、右目を殴られて殆ど見えなくなっていました。

そのうち、会衆の児童性的虐待事件を知り、隠蔽する方向に気づいて一言、長老に近づき隠蔽は良い結果にはならないのでは?とただ一度きり意見を言ったところ、何をそんなに怯え警戒したのでしょうねぇ?大袈裟なほど

私にしたら突然、波風がたち一斉に攻撃され、前夫も完全曲がった考えの会衆の側に立って、総攻撃を受け、全てを奪われ黒いゴミ袋に着替えを入れて、そうなった宗教の環境とかも含め共に暮らすのは、私にとって難しくなり、二歳の乳飲み子を置いてきぼりに家を出る方向に追い詰められました。

前夫は、私に酷い怪我を負わせるばかりではなく、連れ子した年若く子供を生んだ私を、その息子の前で「おい売女!」と呼び侮辱する事など普通にやってました。

それでも会衆は、前夫をしもべや長老に用い続け、エホバって良い神より悪魔の様で正義はないのだと悟るに至り、段々に洗脳から覚めて行くキッカケになりました。

当時、その冤罪排斥問題を扱った長老とは、いくら忘れ様としても記憶に刻まれた傷が深すぎて悔し過ぎて、また置いてきた子供らが現役だったのもあり、まるで腐れ縁の様に時折、話しだけではありますが、嫌悪感一杯なのに関わらずはいられない存在になっていました。

その長老さんが先週亡くなられた様です。末期の癌ですでに手の施し様がなかった状態で病院へ行かれた様で、その人生の幕ひきは同じく癌の闘病をしている(現在は手術して腫瘍がない状態)私にとっても他人事ではなく、身内を癌で亡くしてる経験もあって

この長老兄弟が手遅れだったと聞いてから癌と言う病の終わりの惨たらしさの天罰の様な苦痛を想定する時もあり憎しみより同情が上回って行く気持ちでした。

不思議な事に変な話し、私はこの長老さんが亡くなられたのに気づいていました。

何故なら、ご本人さんが亡くなった直後、霊となって訪ねて来られ、しきりと謝りに来られたからです。

後で娘達から聞いた話しだったのですが、ずっと私への間違った扱いを気にしていた様子だったらしいです。(どちらかと言うと前夫が嫌いっぽい)

そして相変わらず、この長老さんの葬儀は、信者らが集まり明るいどんちゃん騒ぎで笑い声が式場に響いている、まるでお祝いパーリー状態だったと娘達から聞きました。

私の想像ですが、病状からしても、死に至るまで七転八倒の苦しみだったのではないかと思います。そこを信じている教理に支えられ強められていたのだと私は想像するのですが、生きてる信者らの楽園行き決定のお祝いパーリーは、洗脳から覚めてみれば常識的にやり過ぎと思います。

兄弟には、未信者のご親戚も多いらしく、人が苦しみ抜いて亡くなったのに慎みがありませんよね?相変わらず異常な信者達です。決して逆に良い証言なんかにはならないと思います。

きっとご遺体も生前とは別人の様ではなかったかと思いましたので参列した娘らに

何かでご遺体を覆ってあげて、見えない様にされてたの?と聞くと、いいや、見せてたで?と言ったので私はこれも残念に思いました。

私なら変わり果てた姿は見せてほしくないし、生前の笑顔だけ覚えていてほしいと思う。なんか嫌じゃないですか?
「ゲゲゲーっ兄弟?誰か分かれへんかった~」って騒がれるの

好きですか?そうなるの。

ゲラゲラのランチキパーリーな葬儀
変わり果てた兄弟をオッパーパーにさらす無神経さ
洗脳お花畑脳ミソって怖いです。
人には悲しくがっかりとした気持ちを強制します。

確かに私にとって、あの排斥当時以上に辛いと思うことはないほど、ダントツトップの人生の地獄に突き落とした長老でずうっと敵視してきた、憎しみの対象ではあったけど、しきりと霊になっても謝りに来られる誠実な一面もある性格でもあったのでしょうが、なんだか無神経に扱う馬●信者ばかりで切なさで胸がしめつけられる様な感覚でした。

けど、人の人生の事情は本人だけの責任でもないし、人の死を喜び、ざまぁ見ろ!と罵倒する人間にだけは成り下がりたくないと普段から思っていたので

私は目の前の霊に
「長い間、長老としてご活躍されご苦労様でした。」と深々と頭を下げてお見送りさせて頂きました。
兄弟霊はホッとしたお顔になり、他にもお別れしたい人がおられたのか忙しそうに消えて行きました。

敵であったとしても、知人が亡くなるのは、一つの時代の終わりの様で、何とはなしに寂しいものですね。にしても死んだ後魂は無になるんじゃなかったか?
私は亡くなった人しょっ中見るで?
どういう事かしら?

こんなスピリチュアルな能力を賜った者として、人の人生のファイナル・エピソードに過去の悔し過ぎた辛かった仕打ちを私は許しますと最後締めくくってあげられる人間性でいたいと思いますから
もうこの兄弟の過去の辛かった仕打ちは許して忘れ様と思います。

そして、人の倫理として私自身の勝ち気なプライドとして、あらためて心よりかつての長老兄弟のご冥福をお祈り申し上げます。