「え?」
その言葉が俄かには信じがたくて、ぼくはたっぷり五秒、
寂しそうにオレンジ色の缶を傾ける純乃を眺めてしまっていた。
「だから、引っ越すんだって。一年前の蓮都みたいにさ」
手袋で缶ジュースを包むように持ちながら、淡々と純乃は言った。
「だって」
やるせない思いに包まれながら、ぼくはぎゅっと口を閉ざした。
引っ越す、という言葉と、目の前にいる大好きな彼女が、
何だかうまく実を結ばない。
「しょうがないの。転勤だから。大人の都合ってやつでしょ」
一年の間にやけに大人びた横顔で、冷めたように純乃は言い放つ。
大人の都合。
なら、大人なんて今すぐに地球上から滅んでしまえばいいとぼくは思った。
自分たちの都合でぼくの世界から純乃という女の子を
拭い去ってしまうなんて、それなら大人なんて滅んでしまえばいい。
でも、現実はそうはいかない。
簡単に大人が滅ぶことなんてできなくて、それと同じくらい、
純乃が引っ越しを中止することなどもちろんできない。
大人には簡単にできることでも、九歳のぼくには果てしなく遠かったから。
「やだよ、そんなの」
駄々っ子のようにそう呟いたことは覚えている。
「しょうがないでしょ」
その後、瞳を震わせながら純乃がそう言ったことも覚えている。
涙に呑み込まれそうになるぼくらを優しく包んだ夕日の色も、
涙に濡れた頬を乾かしていった風の温もりもはっきりと思い出せる。
けれど、なぜあの時純乃に思いを打ち明けなかったのか、それだけはどうしても思い出せない。
それから一週間して、純乃は本当に、ぼくの世界からいなくなってしまった。
純乃のいない春にも、秋にも冬にもすぐに慣れた。
けれど、夏だけはどうしても。
純乃と出会い、共に過ごした百パーセントの夏。
純乃抜きの世界には慣れても、純乃抜きの夏が成り立つ訳がなかった。
夕焼けを見るといつも、夏と共に訪れ、夏と共に去って行った純乃を思い出す。
あの日から、あの夏から、ぼくの夏は止まったままだ。