http://blog.livedoor.jp/nmb48matome/archives/61479897.html

 

 

 

 

この感じ、久しぶりに見たよね~~~

 

感動にも似た至高の喜び

 

昔はこんなのが山ほどいて日常だった

 

いつからか…全く見なくなってしまい今となっては「絶滅危惧種」に指定されるべき存在

 

逆にいえば?

 

いまだにこんなコメントするのがいるんだね…

 

と。

 

 

 

やっぱりひとつポイントは…

 

昔(10~5年くらい前?)までは

 

何チャンネルだかの一強とか、かの有名な「ヤフコメ」とかさ?

 

ある種の「寄り」の人たちがコメント欄を席巻、独占していた時代だった

 

「まともな」ニュースサイトや情報発信系なんかは「コメント禁止設定」が当たり前だったとか

 

しかし時が経ち

 

様々な発信が増えたことで、多くの善良なる市民たちも(良識な場に良識な)コメントをする機会が増え、コメント慣れ書き込み慣れしたことで、今まで(あの頃)コメントすることの無かったROM専(おそらく超し語)の人たちも

 

気軽にコメントするようになった

 

コメントするに及ぶようになった

 

 

じゃあ今までしなかった人たちとは何者なのかって…

 

「逆寄りの人たち」であることが多く

 

誹謗中傷や虚言妄想でテキトーなことを言ってる人たち(宗教派)に対して

 

論理的な思考で「問いただす」という科学派の台頭に繋がった!

 

 

 

何度も何度も毎度持ち出して申し訳ないけれど。。

 

私の中では最良のサンプルとなっているので今回もペタリしておきます

 

 

 

 

具体的に言えない

 

現実をしっかり見つめる科学派に追いつめられたアンチらの最後の一手とは!?

 

めちゃめちゃ面白かったやつ

 

これが何よりもわかりやすい「構図」になっていると思います。

 

 

結局、具体的に言わないで1000コメント逃げ切るっていう

 

見たらわかる

とか

見てわからない?

とか

見てわからない者には言ってもわからないから言わない

とか

 

言わない…ではなくて、言えない…

 

だろ?

 

…みたいな?

 

 

 

上の最初の画像に話を戻せば…(続き)

 

 

 

 

 

結局逃げとんねん。。。。。

 

ホントに見飽きたパターン、毎度おなじみの展開

 

議論する気はないんだ…じゃなくって、議論する技量が無いんだ…

 

だろ?

 

…みたいな?

 

 

 

昔から、アンチとそれに対抗する人たちの不毛の争いを

 

「宗教 vs 科学」のように思えて仕方なかった私は宗教派と科学派と名付けてしまったのでした

 

 

科学派の人たちというのはきちんと「現実に根を下ろして」「現実という名の地に足付けて」

 

そこからニョキニョキと茎が生え葉が生え実がなり…

 

というアイデアやテーマに対して現実とつながった、現実「からの」の思考・発想をしているのでブレない、ブレていない

 

一貫してるし、それは一貫した強さにもなっている

 

 

対して宗教派の人たちというのは

 

ボクちゃんのワ~ルドなので

 

こうだったらいいな~

とか

こうであるに違いない!

とか

こうでなければダメだ!!

とか

 

現実発信ではなくて、ボクちゃんのワ~ルドからの発信になっているので

 

現実との乖離や、現実に起こっている出来事を巧く説明できないという事態に陥りやすい

 

貧相なボクちゃんの手持ちの武器、ボクちゃんの理想、ボクちゃんの許容範囲守備範囲「内」でモノを言っているのでどうしたってそうなる

 

これら宗教派に対して、現実に根を下ろした科学派が乗り込んできて攻め込んでくる

 

宗教 vs 科学

 

※科学派は一致団結して、同じ意見と論調を用いる「共同作戦」が可能だが、宗教派は「ボクちゃんのワ~ルドA」と「ボクちゃんのワ~ルドB」とがぶつかり合う「宗派対抗(妄想合戦)」まであったりする。

 

 

こうであるからして

 

今となってはアンチ(あるいは宗教派)の人たちも

 

知性が低っっと、、、っと失礼

 

ある程度賢く鋭いコメント、発想、創造物を繰り出さないとやれない時代になっちゃってる

 

科学派から一方的にボコボコにされて「逃げるしか術がない」という一辺倒の戦況模様

 

 

傍から見られて「気持ち悪っ」って思われてしまうような類は「負けからスタートしている」ということを思い知るべきで

 

そこから這い上がって逆転し勝利を掴むためには

 

よっぽど鋭く、賢く、英知に長け富んで組み立てて語らなくちゃならない

 

 

 

今までは宗教派の大多数で仲間内で「あ~だこ~だ」「馬鹿だアホだ無能だ」『そうだよね~』で良かったけれど

 

どーゆーこと?

どーゆーこと?

具体的にどうぞ?

 

という科学派からの攻撃に対して脆いのは、今までずっと仲間内でワイワイはしゃいできたぬるま湯育ちなので、信ぴょう性を突かれることに対して特に際立って弱い

 

「現実に基づいた」「科学的手法による」「説得力のある」弁舌に堪えない

 

今までは攻撃「する」側だった人たちが

 

気づけば攻撃「される」側になっているというのもまた面白い

 

 

アイドルや運営に対して「無能!」と言い放ち、上から目線で偉そうに語ったとて

 

科学派からの簡単な質問に答えることが出来ずに逃走するしか術がない

 

コメント欄の上(最初)の方であ~だこ~だと連投しておいて

 

科学派に絡まれた途端、スっといなくなる

 

さっきまでの威勢のよさはどうした?

 

…と。

 

 

じゃあ宗教派が粘って頑張れば頑張るほど

 

バカだアホだと「ゴミの投げ合い」になるだけでしかないっていう哀れさ

 

 

そうではなくて…

 

わたしはちょっと期待してるんだよね…

 

 宗教派に超雄弁な怪物が現れて

 

科学派たちを論破、撃破していく世界線…

 

あるいはいつの日か「AIに文章を考案してもらってそれをコメントする」みたいなアンチハイテク時代が到来するとか?

 

 

 

 

 

これもまた面白いでしょう?

 

200~300コメントある中に、1つ2つ現れるという深の奥場を突いた神の声

 

鋭い指摘

 

りりぽんの時もそうだった…

 

右の方でぶわわぁぁぁっと激しく燃え上がっている横の方で、2つ3つ「ちゃんとわかってるわぁ~」って鋭いコメント

 

 

「推しのため」とか「推しの人生」とか言うけれど?

 

じゃあその推しメンが恋愛やスキャンダルなどやらかした時、こーゆータイプの人間はどういう行動に出るのだろう?

 

推しの人生だもん、推しのためだもん、かまへんかまへん

 

恋愛?

 

キミの人生だもん、自由にやったらエエがな

 

って…

 

なるわけ

 

ないよね?

 

まさにこーゆー者たちこそが手のひら返してアンチ的な誹謗中傷に走るのであって

 

推しのため、推しの人生に捧げる

 

ではなくて

 

ボクちゃんのため、ボクちゃんの人生、ボクちゃんの生きる糧

 

だろ?

 

…みたいな?

 

 

こーゆー鋭い指摘はAIが考案した文章を用いているのではなくて、そのコメントを繰り出したその人の頭脳による

 

 

私が名付けて勝手にそう呼んでいる「科学派」という者たちがこうであるからして

 

こーゆー人たちを相手にしているのだから

 

虚言妄想ボクちゃんのワ~ルドでモノを言いたい宗教派の人たちは当然のように苦戦を強いられるし突き詰められれば逃げるしか術がなくなる

 

互角に張り合って健闘するためにはそのひくっ、、っと失礼、もっともっと知性を磨いてワ~ルドのクオリティを高めたり防衛戦術に磨きをかけていかなければならない

 

 

地に足付けたその「地」が妄想虚言による創造物でもいいから

 

しっかりそこから生やす根茎枝葉実花を論理的に筋道立てて構築しなければならないし

 

それができてから戦場に出てきなさい、と。

 

イマドキ貧相なひのきのぼうだけ持って軽々しく戦場に出てくるんじゃない

 

…と

 

ゲームは遊びじゃねー

 

なんて言葉が昔流行ったようですが

 

コメントは遊びじゃねー

 

とも?

 

SNSの利用時間が世界一長いイスラエルでは

 

「おしゃべりはイスラエルのナショナルスポーツ」という言葉があるほど議論好きで議論が盛んだ

 

何かについて述べれば必ずそこには「反論」がつきもので

 

一方的に述べて退散することなどできやしない

 

反論されるのが嫌なら述べなければいいし

 

述べたからにはしっかりと反論に対抗しうる術を持っていなくちゃならない

 

昔ながらの馬鹿だアホだは容易く駆逐されていく

 

 

 

 

ところで、上のくだりでちょっと面白かった点を1つ…

 

 

 

 

 

緑線の言い方って

 

ソシャゲよりもひとつ前の「PC(無料)オンラインゲーム」の黄金期に特に流行って使われていた言い方

 

我々課金者様が課金しているからお前ら無銭共らはこのゲームで遊べているのだ、ありがたく思え

 

って。

 

で、これは

 

今となっては的外れで間違ったものの言い方だったことが知られていてる。

 

その言い方を今この時代に持ち出してしまっているところがもう、彼(コメンテイター)が墓穴を掘る形で敗北確定してしまった敗因の一つ

 

※そもそもこーゆーものは「いじり」「皮肉や風刺」から始まっているモノで、本気で言っていた(使われていた)わけではないところがポイント。「はいはい、課金者様がいるから我々無銭は遊べいるんですよ~😝」とか、「さすが課金者様は神様だ!(たかがゲームに馬鹿じゃないの?)」とか。

ところがそれを「その通りだ!」と真に受けちゃう人たちが多くいて、「そーゆーモノだ!」と流布されて定着しちゃう現象

 

 

彼の主張

  • 他の趣味を捨てて課金する人がいるから(無銭も込みで)みんなが遊べる
  • 重課金者がいるからシステムが回っている

 

コレを真に受けて

 

その世界線でたどってみよう

 

 

 

極端に振り切って、バカみたいに極端な話として

 

NMB48のファンの人が、重課金者から無銭からライト層まで合わせて1000人います

 

…と

 

重課金者はそのうち100人です

 

あとの900人はほとんどお金を落とさないライトなタッチでNMB48を楽しんでいます

 

さてさて…

 

ある時、突如として何かが起こりました!

 

たとえば…ハロプロが「なんば組アイドル」を作ったとか秋元Pが「なんば坂」を作ったとか、なんでもいいんだけど

 

突如、何かが起こって

 

900人のライトな層がNMB48からごっそりいなくなりました

 

まるまる900人抜け落ちていなくなりました

 

残るは重課金者100人だけとなりました

 

ちょうどこのタイミングでNMB48が「新曲出しま~す」

 

まったく、暢気なものですね

 

重課金者100人まるまる残っているでご安心を

 

従来通りたっぷり売れました

 

10万枚売れて

 

オリコンチャート第一位!

 

やったね♪

 

さすが重課金者、よっ!神様!

 

作ってるね~世界を、さすがです!

 

それからしばらくして…

 

YNNやりま~す

ゲー研やりま~す

○○やりま~す

こんなことやりま~す

 

数字がすべて100人、100回、100席…

 

10期生が加入しました~X(ツイッター)始めま~す

 

フォロワー数100、100、100

 

劇場公演もスカスカ

 

 

 

 

 

オンラインゲームで言うならば

 

課金してくれる人がいるから開発・運営が潤ってサービスの提供が継続され、アップデート(新要素追加)ができるわけで、それは間違いなく課金者様様だろう

 

でも問題は、真の問題はそこではなくて

 

そもそも「それで遊ぶ人たち」がいるから、ゲームがゲームとして成立している

 

ゲームをゲームたらしめている

 

ということを失してしまっている発想

 

それが「課金者様様論」

 

ゲームは鑑賞物ではなくて、素晴らしいなぁ~と眺めるものではなくて

 

ログインしてプレイして遊ぶものだから

 

内に入って遊ぶユーザー、プレイヤーがいなければ

 

重課金者たちのどんなに過剰な課金があってもゲームがゲームとして成立しえない

 

そしてその遊び手とは、無課金だろうが重課金だろうが1は1でしかない

 

マッチングしないとか

マッチング相手が毎度おなじみの顔触れとか

ユーザー間のアイテムの取引、売買

市場の規模とゲーム内マネーの行方、回り方

攻略情報

 

その他いろいろ

 

※一回あったのが、10人PTを組まないと入場できないステージがあって、人がいなさ過ぎて10人集まらないで入場することが困難になったゲームとか。「なんでク●ゲーの分際で10人とか制限付けてんだよ!」みたいな言われ方をされていて、しかしとうとう変更されることは無くそのままさーびすしゅーりょーしていった。。

 

 

過疎っ過疎のゲームあるある

 

どんなに重課金者が頑張っても「この領域」には一切及べない

 

どんなに課金が凄くても、そもそものプレイヤーたちがそのゲームで遊んでくれないことには始まらない

 

fallguysとか、1時間もマッチング待機までして遊びたいだろうか?

 

たくさんの遊び手がいるからテンポよく回る「遊びが捗る」…っていうところ

 

重課金して手に入れたアバターで着飾ったキャラクターを鑑賞するゲームではなくて

 

guysらがfallするゲームとして成立させてfallするguysらのゲームたらしめる

 

guysらがfallしてナンボだし

 

fallするためのguysらがたくさんいてナンボの世界

 

guysらがfallすることでfallguysをfallguysたらしめる

 

そのためにはたくさんのfallするguysらがいてくれなくちゃならない

 

guysらがfallしないfallguysなんてfallguysではないからね?

 

そして、fallするguysを操縦するパイロット(プレイヤー)は無銭だろうが重課金だろうが1人1機しかこなせない

 

あなただけのguys

 

私だけのguys

 

あんなguys

 

こんなguys

 

いろんなguysたちがfallするゲーム

 

それがfallguys

 

なにをゆ~とんねん。。

 

 

ひとつ面白い話があって

 

かつて、ソシャゲ(スマホの簡易なゲーム)の方であった話

 

凄まじい売り上げを誇って

 

何十億、何百億と儲けていたゲームがあった

 

年間…ではなくて、ひと月にだからね?

 

ひと月に何百億と儲けていた簡易なゲームがあって

 

それはそれは「課金課金課金課金課金描きん」まみれの凄まじい内容で

 

まさに「札束での殴り合い」

 

当然、ライトな層はどんどんどんどんやらなくなっていなくなっていった

 

最後、廃重課金者たちだけが残って

 

マッチングのたびに毎度おなじみの重課金者たちがマッチングして

 

重課金者たちの都合上「この時間帯でしかマッチングが成立しない」みたいな事態になって

 

そして、サービス終了

 

あっけなくしゅ~りょ~

 

運営も、見切りをつけるのが早かった

 

ゲームをゲームたらしめるのはあくまで「遊び手たち」であって課金云々は二の次三の次という傑作的な例

 

(その手のオンラインゲームの話)

まずなによりもゲームがゲーム(遊び相手がいる遊び場)として成立していなくちゃならない

 

重課金者がシステムを回しているかどうかは知らんけど。。

 

それをそれたらしめて成立させているのは「多くの遊び手たち」なんだよ

 

…と

 

 

 

NMB48に話を戻せば…

 

上のたとえは書いたように「バカみたいな極端な例」ですので現実的ではないしあり得ないけれど

 

要はそういうこと

 

だって逆にすごいじゃない?

 

メンバーやYNNがYouTubeやりまーす

 

って、やるだけで数字が4000~7000くらいさも当たり前のように素早く獲得する

 

ゲー研やりま~すって、常に安定して4000~7000の数字になるし超えることもある

 

新人メンバーが入ってきて、Xやりま~すってやれば

 

フォロワー数が4000~7000速攻でさも当たり前のように獲得する

 

一般人の目線で言うとその数ってとてつもないところだからね?

 

100行くことすら大変なのに、瞬時に1000超えるって…

 

なになにやりま~~すって、やるときはいつだってぶわっと集まってくる「数字たち」のすべての人が重課金者なのだろうか?

 

100人しかいない重課金者のファンだけで、○○やりま~すって

 

100人、100回、100席

 

でも安心して?

 

新曲(CD)だけはしっかりガッツリ売れるから

 

重課金者が100人まるまる残っているから

 

彼らがガッツリ買ってくれるから

 

CDだけは売れるから

 

それでいつも通りに儲かったからって

 

100人しかいない観客のために「大阪城ホールでライブやるぜ!」

 

って、果たしてなるのだろうか?

 

 

 

https://video.twimg.com/ext_tw_video/1791433447443140608/pu/vid/avc1/720x746/ke_3uVwL-z0ecNbP.mp4

 

 

 

STU48のここ最近の大きなコンサート

 

スター候補生たちが6、7人一気に卒業していったのと合わせて

 

ガラガラが話題となって「いよいよヤバい!?」と危惧されている

 

でも安心して?

 

CDだけはいつも通りにガッツリ売れてるんだから

 

これが凄いよね?

 

重課金者がシステムを回している

 

という世界線が、コレなのかもしれない…

 

重課金者は、こーゆー世界が訪れるのを待っているのかもしれない?

 

数が少なければそれだけ認知してもらいやすいし?

 

 

 

余所は余所、うちはうちで

 

NMB48はまだまだ多くの遊び手たちが遊びに来てくれるし

 

だいぶ前になっちゃうけど、「東京虫」とかなんとか言っちゃって東京での選抜ライブはガッツリ売れたりとか

 

新人がついったーはじめまーす言えばぶわっと4、5000のフォロワーが全メンバーさんに付いてきたりとか

 

「たくさんの遊び手」がいるって良いことだし、ファンの側の視点からしても楽し気且つ嬉し気に映るものです

 

 

 

 

 

 

 

ここまででちょうど5000字なので

 

もうひとつ、面白かったくだりを

 

 

 

 

 

 

 

http://blog.livedoor.jp/nmb48matome/archives/61498590.html

 

 

 

 

 

 

どっちが上かは知らんけど…

 

離れてるなぁ~。。

 

だいぶ離れてるなー;;

 

 

 

 

 

fallguysのくだりではしゃぎすぎてエネルギーを使い果てしてしまいました

 

書きたかったことの大事な部分まで完走ならず。。

 

しめくくりで言いたかったのは…

 

 

 

割と誰しも見かけたことくらいはあるかと思いますが

 

「反対意見を述べる」

「いいねいいね、と盛り上がっているその中で反対意見を述べる」

「すると、アンチ扱いされる」

 

 

反対意見を述べただけでアンチ扱いされる、アンチに認定される

 

 

これはやっぱり間違っていて

 

きちんとした言葉や「タイプ:科学派」のようなやり方で述べられている反対意見であればそれは立派なご意見ご感想の類となるだろうというのが私の考え方でして

 

見る側も聞く側も読む側も誰もかれもがここを逸しては良くないでしょう

 

それを見分ける聞き分ける嗅ぎ分ける能力を持っていなくちゃならない

 

反対意見とアンチコメントは全くの別物だし

 

逆にいえば

 

知性がヒクッ、、、っと失礼

 

反対意見を述べるあなたのコメントのクオリティによっては、アンチコメントと見られてしまうことだってあるかもしれない

 

ということ。。。。。。。

 

 

 

妄想虚言の宗教派たちが「いいねいいね!」と盛り上がっているその中に

 

科学派が「反対意見」を述べる

 

すると、科学派がアンチ扱いされてしまう

 

とか