スイスとイタリアとの国境にあるアルプス山脈の峠
モンブランの東に位置するこの峠道は、古来アルプス越えの交通路として知られ、セント・バーナード犬のゆかりの地でもある
旅行者の救難に尽力してのちに列聖されたベルナール・ド・マントン (聖ベルナール)に由来する
「大サン・ベルナール峠」と記されたり、イタリア語名称から「グラン・サン・ベルナルド峠」と記されたりすることもある
- 青銅器時代には人の通った形跡があり、古代からアルプス山脈を越える重要な交通路であった
- ハンニバルが戦象を連れてアルプス越えを行った進路
- ローマ帝国の時代には皇帝アウグストゥスが街道を敷設し、峠にユピテルの神殿が祭られた
- 753年にはローマ教皇ステファヌス2世がフランク王国の国王ピピン3世と面会するために峠を越え、800年にはカール大帝がミラノでの戴冠式の帰りに越えている。
1050年、アオスタ大聖堂の助祭長ベルナール・ド・マントンは、峠に遭難者の救助を目的としたホスピス(救護所、ターミナルケアを行う現在の「ホスピス」の語源)を建設し、人々に宿泊と食事を提供した。こうした功績によりベルナール・ド・マントンは1681年に教皇インノケンティウス11世によって聖人に列せられた。グラン・サン・ベルナール峠の名は彼に由来する。
遭難者の救助に活躍したのが犬たちである。
サン・ベルナール修道院で代々育成されてきた救助犬たちは、樽に詰めた食料や気付け薬を遭難者へ送り届けた。
なかでも歴史に残るのはバリーという名の救助犬である。19世紀はじめに、生涯で40人もの遭難者を救助したバリーは、死後に体躯がベルン自然史博物館に収められて保存している。救助犬として用いられたのは2世紀頃にローマ帝国の軍用犬としてアルプス地方に移入された大型犬であるが、後にこの種は峠での活躍にちなんで「セント・バーナード」(サン・ベルナールの英語読み)と命名された。
1800年5月、ナポレオンはイタリア遠征のために4万のフランス軍を率いて峠を越えた。
このとき、ナポレオンは付近の村からワイン21,724本、チーズ1.5トン、肉800キロなどの物資を調達し、峠のホスピスに40,000フランの借用証を置いていったが、フランス帝国政府が実際に支払った代金はその一部だけであった。
1984年にようやく時のフランス共和国大統領フランソワ・ミッテランが残額を清算した。
1600年~
イングランドの貴族・軍人。王党派
清教徒革命(イングランド内戦)で軍人として出世、英蘭戦争では海軍の司令官として活躍。
イングランド共和国末期の混乱を収拾して王政復古を実現させた功によりアルベマール公に叙された
- 1665年にロンドンでペストが流行すると治安維持のため出動
- ロンドン大火が発生するとチャールズ2世から呼び戻され治安維持に当たる
- チャールズ2世からの恩賞は、北アメリカのカロライナ植民地の所有者8人のうち1人に選ばれた。現在のノースカロライナ州にある三角江のアルベマール・サウンドはマンクの爵位に因んで名付けられている。
イタリアで始まったクラシック音楽における楽曲の種類で、バロック音楽を代表する楽曲形式のひとつである
「聖譚曲(せいたんきょく)」とも
「オラトリオ」の語源は、古代アラム語の「祈祷所」をラテン語に訳したもの
元来はローマ・カトリック教会の宗教曲であるが、聖書などから取った台詞を多用し、さまざまな曲をあわせたことによる豊かな描出力が好まれ、18世紀には、聖書物語などすでにオラトリオと似たような宗教曲をもっていたドイツの作曲家たちにも取り上げられるようになった。
イタリア語で、イタリアでの街を代表する教会堂のこと
ローマ以外での司教座聖堂の大聖堂にほぼ同じ
ラテン語のDomusが語源で、神の家を意味する


