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  チェック表(過去問)

 

 

 

マテオ・リッチ

1552年~

イタリア人イエズス会員・カトリック教会の司祭。中国名は利瑪竇(り まとう)

フランシスコ・ザビエルの夢見た中国宣教に苦労のすえ成功し、明朝宮廷において活躍した。中国にヨーロッパの最新技術を伝えると共に、ヨーロッパに中国文化を紹介し、東西文化の架け橋となった。

 

中国文化をヨーロッパ社会へ好意的に紹介しつづけた。

当時、ヨーロッパの大学ではオラーレと呼ばれる口頭試問が主流であったが、リッチらの伝えた中国の科挙が筆記試験を普及させていく契機になったと考える向きもある。

また、彼のもたらした新知識の多くは漢語に訳されたおかげで日本へも影響を与えることになった。

 

アメリカ合衆国の雑誌『ライフ』は第二千年紀(1000年 - 1999年)のもっとも偉大な百人の一人としてマテオ・リッチを選んでいる。

 

 

 

 

 

ユニオンジャック

グレートブリテン及び北アイルランド連合王国の国旗

 

イングランドの国旗(白地に赤い十字のセント・ジョージ・クロス)と、スコットランドの国旗(青地に白い斜め十字のセント・アンドリュー・クロス)が、イングランドとスコットランドの同君連合時代に組み合わされて作られた。

さらにアイルランド王国との合同でグレートブリテン及びアイルランド連合王国が成立した際、アイルランドの国旗と称してアイルランドの有力諸侯だったキルデア伯(フィッツジェラルド家)の旗(白地に赤い斜め十字、セント・パトリック・クロス)が組み合わされた。

旗の意匠が漢字の米に類似していることから、中国語では米字旗と呼ぶことがある

 

 

 

 

 

モーゼル

1872年にマウザー兄弟が設立した銃器メーカーで、ライフル

ボルト・アクション銃の新しい閉鎖機構を発明し、特許をアメリカで取得した

 

 

 

 

 

 

メトロポリタン

名詞メトロポリスの形容詞

意味は「メトロポリスの、大都市の、首都の」

転じてそれらの住民

 

メトロポリス

国または大きな地方における経済・文化の中心であり、かつ、国際的な連携のハブとなるような大規模な都市のことである

日本語では中心都市あるいは大都市と訳されることがある

代表的なメトロポリスとしてニューヨーク、ロンドン、パリ、東京などが挙げられる。多くのメトロポリスは、その周りの都市と相互に連結して大都市圏を構成する

 

 

 

 

槐(えんじゅ)

マメ亜科エンジュ属の落葉高木。

和名は古名えにすの転化したもの。別名でニガキとよばれることもある。

中国植物名は槐、または槐樹である。

街路樹によく使われ、公園や学校などの庭木としても植えられる。

新芽は茶の代わりに、蕾と種子は染料になる。

乾燥させた蕾や莢果は止血作用から伝統薬として使われる。

韓国の世界遺産のひとつである昌徳宮には、大きなエンジュの木が植えられている

 

木質は堅硬で、中国では馬車や荷車、造船にも用いられる重要な木材であった

 

エンジュの花言葉は、「上品」「慕情」

 

 

 

 

 

樅(モミ)

マツ科モミ属の常緑針葉樹

日本特産種で、日本に自生するモミ属で最も温暖地に分布し、その北端は秋田県、南端は屋久島に達する

樹高は30メートル以上、幹径は1.5 m以上にも達するものも

モミは、人里の大気汚染には弱い樹種とされる

 

モミは、モミ属の樹木としては最も温暖な地域に分布域をもつ種で、日本の中間温帯の代表的な樹種の一つである

モミの分布は太平洋側に偏っており日本海側には局所的に分布が知られるのみである。モミを欠く日本海側においてはスギがその位置に出現するという

 

モミの花言葉は、「時間」「とき」

ヨーロッパの文学作品に登場する「モミ」とは、ドイツトウヒやオウシュウアカマツを指していることが多い

 

モミの材は白くてやわらかく、加工が容易という特徴があり、天井板、腰板などの建築材、高級な棺、卒塔婆に使われる。

またパルプの原料にもなる。

クリスマスツリーに使われる典型的な樹木である。

 

 

 

 

 

李鴻章

中国清代の政治家として、諸外国の外交に奔走した

字は少荃(しょうせん)

洋務運動を推進し清後期の外交を担い、清朝の建て直しに尽力した。日清戦争の講和条約である下関条約で清側の欽差大臣(全権大使)として調印を行った。

 

淮軍(わいぐん)を創設して、太平天国の乱を鎮圧した

曽国藩の弟子みたいな感じ

ベトナムに対する宗主権をフランスに明け渡し、天津条約を締結した

 

曽国藩の後を継ぎ直隷総督に就任。この時に北洋通商大臣も兼ねたので淮軍はその後、北洋軍閥と呼ばれるようになった。

李鴻章は清朝の重臣筆頭として西太后の厚い信任を得た。