誰にも傷つけられない言論の聖域に安住して
あいつは馬鹿だ、こいつは卑怯だ
外の奴らは何もわかっちゃいないんだと、そう声を荒げるだけに終始する。
余人の仕事を偉そうに採点してみせるだけで、自分からは決して行動しようとはしない。
軽蔑の念を隠さず、有体(ありてい)な言葉にすれば、大半が横着な臆病者である。
はん!なにもしないでそれで通ると思うからには、人間に生まれながらに人権が与えられているなどと、あるいはルソーを論じすぎたということか…
「そんな腰抜け男となると、女は相手にしてくれないぞ」
生まれながらに女までもは与えられていないのだからな。
それは自分の力で手に入れなければならないものだからな。
※人権 = 表現の自由、言論の自由にかえてみよう…「誹謗中傷」「名誉棄損」
同級生の子供くらいの女子を叩く哀れな人生
久しぶりに見た「強烈な一撃(発明品)」
こーゆー文学的???表現が飛び出すところが見ていて面白いんだよ~(*´艸`*)
悪く言う側も、もう少しひねったり皮肉を利かせたりしてユーモア交えてコメントすればよいモノを…ダイレクトにもほどがあるんだよね…
サカキバラナンタラの元少年Aですら、結婚していて子供がいる(らしい、ネット情報)
そこに至れてすらいない、同世代レースに敗れアイドルに憑りつく「哀れな人生」を送る人たちの絶望感たるや…ある種の無敵化は必定だったか?
アンチは元ファン(ヲタ)?
知らんがな。。。
なんであれポイントは
このシリーズで何度か述べてきましたように
アイドルをやっている彼女たちは芸能界で戦う者たちであり、社会的、経済的、知的、美的、人間的にどんどん高くに上がっていくことになるだろう
場合によっては成功してうまくいき、幸福のレールに乗ることもあるだろう
子供部屋を飛び出し、いい家に住み
身長も170㎝を超えんと高くに伸びるだろう
そんな(10~20代の)女の子たちを応援して、見て楽しむとか、提供されるサービスを健全に享受するとなれば
我々外の人間、ファンであれオタクであれ、ライトなタッチであれ
同様に、それ相応に社会的・経済的・美的・知的、人間的にきちんとしていなければ耐えられないだろう
その地盤がグラグラのゆらゆらの状態で
「会いに行けるアイドルダーアイドルダー」
「握手対応イイのは誰~?ダレダレー?」
言って慰み場所として気安く近づき「軽々しく」憑りつくだけでは
(あなたにとっての)ちょっとした裏切り要素(発言、行為)ですら我慢ならずに、業腹ぐつぐつ煮え滾らせる羽目になるだろう
※自分に好ましくないモノは、享受するとは言えない
かてて加えて、オタクらの中でも格差は生じる
土台がちゃんとしている人たちに対する
ぐらぐらゆらゆらしている不安定な者たちの妬み、嫉み
経済的、社会的に高いところにいる風な小奇麗な大人な男女に対する
臭くて不潔で品の無さげな者たちの嫉み、妬み、恨み
二重三重に負け越しては憎悪が倍加される
貧者がひっしになって課金してコメントして姫神様の目に留まろうと苦闘している
星を集めに日々奔走し
賜れるグッズを余さず購入すし
劇場に足繁く通い、レスをもらおうとうちわをブンブン振り回す
認知してもらおうとあの手この手を駆使してとりつく
ふとその瞬間、傍では高くて巨大な塔がドォン!ドォン!幾塔も聳え立つ
姫神様は「キャー!ステキー!」称賛する
リッチな貴公子たちの名を呼び壇上にあげてはチャットを通じて会話をし、親密な関係を匂わせる
貧者はそれを目の当たりにする…
この女…○○してやる…
こうして貧者は悪魔となる
…?
かてて加えて、アイドルをしている彼女たちはまだまだ若く、この先明るい未来が大きく開かれている…王手飛車金銀桂香歩取り並みに詰んだ行き場のない八方ふさがりの連中にとってはとても耐えられたものではないだろう?
一度は好意を覚えて憑りついたその女の子は、哀れな自分とはまるで違う世界を生きていた!?
彼女たちを「健全に」応援したり、関わったり(提供されるサービスを楽しむこと)するためには、こちら側もきちんとした土台を築いていないと厳しいだろう
とある下町に薄汚れた「お茶屋」があった…
無産階級の貧者たちが集う馴染みの茶屋だ
汚い貧者が集う汚いお茶屋だったが…
ここにだって天使はいる!
ある時、それはそれは可愛い美しい女の子がアルバイトで働くようになった
あっという間にその女の子の話は知れ渡り、彼女を一目見ようと人が集まるようになった
「看板娘」は、身なりが若干みすぼらしく薄汚れて、汗水流して働く庶民派の姿は貧者の心をとらえたのだった!
看板娘のおかげでそのお茶屋はとても繁盛したそうな
ところが…
数週間としないうちに、その娘さんはいなくなってしまった
彼女目当てに足繁くお茶屋に通ってきた貧者たちは気持ちが萎えて気落ちする
哀れな人生のさなかに現れた天使だったというのに
お茶屋の店主に話を聞くところ
彼女はブルジョワのお高い家系の一人娘で
ボーイフレンドのことで両親ともめて
跳ねっ返り娘。らしく、家を飛び出し
その間、このお茶屋でアルバイトをしていたという
晴れてボーイフレンドとの交際が認められたことによってここでの仕事はやめにして実家に帰ったという
…
聞いていた話と違う…
お父さんが草鞋職人で、お母さんがお針子
弟妹が48人もいて、長女の自分が、家計を助けるために…とか何とか
嘘を言っていたのか…
ハッ…
バカにされた…
その後…
仕事帰りの貧者が街中を歩いていると
ブルジョワ貴族風の男女が腕を組んで前から歩いてくる
「!?」
その女は…お茶屋で働いていたあの看板娘ではないか!
楽しそうに、幸せそうに紳士と腕を組んでおしゃべりをしながら、前も見ずに歩いてくる
貧者の、自分の顔など知ったこっちゃない風で…高貴ないい香りを残して通り過ぎていく
コイツ…××してやる…
こうして貧者は悪魔になっ、、、
まして彼女たちは現代っ娘。なのだから
まして彼女たちは女の子なのだから
昭和やオッサンの発想、思想、やり方通りに彼女たちが動くことはない
カッコいい男の子の動画や写真くらいいくらだって楽しむ
そもそもイマドキの「あざとい」の意味すら理解できていなかっただろう?
オタクらにとっての斜め上行く予想外な言動はいつだって容易に起こりうる
「こうしてくれたらいいなぁ~」「こうでなくてはならない!」というオタクの希望にそぐわないことの方が多いくらいだろう
いちいち自分の意にそぐわなかったからといって
いちいちアンチ化されたんじゃたまったもんじゃない?
「応援する」って言っちゃってるように
応援するってことは「良い方へ」「上手くいく方へ」を願う気持ちが込められているはずで、それが上手くいったのなら、彼女たちは大なり小なり「良い場所」「良い位置」へと向かう、昇る、たどり着くことになるはずだ
過程のみならず「結果」まで込みで受け入れなくてはならない
未熟者の小娘がもがき苦しむ(努力する)のを上から目線でいいねいいね!頑張れ!と応援するにとどまらず、うまく行った後の、成功した後の幸せな展開すらをも受け入れる度量がなければならない。
そのためには、外から関わる(サービスを楽しむ)応援する側も
がっちりとした土台、基礎、経験値が無いと到底やってはいけない
アイドルとオタク、はてはオタクとオタクにすら格差が生じうるのだから
土台が脆いとアンチ化まっしぐらだ!
すべてがすべてそうだとは言わないし
資格がない!
関わるな!
とも、もちろん言わない
厳しい展開が予想されますよ?
…と。
ここで昔話
昔々、天才少年りりぽんが「結婚宣言」をしました
金星の大気もビックリのネットからテレビから荒れに荒れた大事件
しばらくして
ネット配信の番組だったかな…
「りりぽんのあれ、許せる?許せない?」
という話で、りりぽんのファン(ヲタ)の人(オッサン)が出演していて
馬主で
「許せる許せる」
「ぜんぜん気にしない」
「かまへんかまへん」
「人間いろいろあるさ」
「そーゆーのも込みで応援しているのさ」
って、大きく擁護して余裕を見せたんだよね
その人も、総選挙でそこそこの投票(CD購入)をしている人で
それでも「かまへんかまへん」…と
で
これを受けてネット上では
「馬主くらいの金持ちだから余裕なんだろ」
みたいな言われ方をされていたんだけど
そうではないんだよね
馬があろうとなかろうと、そこではなくて
自身の土台がきちんとしている人である
ココを見るべきなんだよね
(きっとその人には)子供がいて孫がいて大切な家族があって、友達がいて仲間がいて、きちんとした生活を送っていて、すると仕事にも励んでいるだろう現代人的な人間活動(営み)をきちんとしている…そこに至るまでに様々な実践と経験を積んでいる
という土台があって
その中で、健全にサービスを楽しんでいる
馬主だからとか金持ちだからとかそんなことは2の次3の次で
そこ!
りりぽんネタでもう一つ
あの当時、りりぽんのやらかしに関して「彼女にお金を使った者だけが怒っていい」
みたいな言われ方(風潮)があった
上のそれは
その人は純粋にりりぽんを応援していた人で、Twitter(当時)に普通にりりぽんをずっと前から応援しているつぶやきで溢れていた
からの
給料つぎ込んで追加で投票したぜ!
からの
さあ、いよいよ今日が開票日だ、楽しみだな~大変な仕事も今日だけは気にならないで頑張れるぜ!
からの
「私、須藤凜々花は…」
からの
「てめーふざけるな!」
そりゃそ~だろ。。。
そりゃ怒って然るべきだろう?
人としてブチ切れることは自然な姿でしかない
そりょだれだって怒るよ
そりょ。。。
そりょはそりょとして
その人の容量をオーバーした遊び方(提供されるサービスの関わり方)になっていたことも否めない
身の丈に合った
とはよく言ったもので、身の破滅…かどうかはさておき多額のお金を突っ込んだり、りりぽん(女性アイドル)に対する過度な期待や独りよがりの希望を抱きすぎたことが、それが裏切られた時、強烈な一撃となって自分に跳ね返ってくる
※かつてのオンラインゲームや「ソシャゲ」の課金なんかもそうでしたね…
これもまた当時(りりぽんの件で)の言われ方として
「余裕こいてるヤツはお金を(そんなに)使っていない者だ」
これもまただから違うんだよね
身の丈に合った付き合い方(遊び方)にとどめていることを見るべきだ
以前、さや姉が
休業して
復帰して
一発目に(有料)配信した時
ファンの人のコメントで
「さや姉の曲、結婚披露宴で使わせていただきました」
「ええ!マジデ?めっちゃ嬉しい~」
「てか結婚おめでと~♪」
さや姉も大喜びだった
こーゆー土台がちゃんとしている人たちもたくさんいる
それにしても…だ
それにしても…「土台がちゃんとしていない人たち(負け犬、負け組)」が憑りつくことで有名な陰湿なジャンル「女性アイドル」「48系」において
「ちゃんとした」を期待することは難しいのか?
ここで私が言いたいのは「土台(経済的、社会的、知的美的人間的)」ではなくて
考え方の問題
なにかこう、大きな一つの特徴的な傾向として
- アイドルの女の子たちが
- ファン(オタク)の人たちに
- エールを送らなくちゃならない
- 元気づかせたり、パワーを与える
- そーゆー活動をしなくてはならない
- これが、アイドル(業)というものだ
- それに対して、我々はお金を払っている!
- オタク(経験不足の傷つきやすい性質)の意に沿うよう活動しなければならない
- オタクに逆らってはならない!
- オタクに不快な思いをさせてはならない!
オタクを馬鹿にしてはならない!
こーゆー考え方が支配的なように思えるのですね(ちゃんねるコメント欄の話)
ただこれは間違いで
そーゆー「側面」があったとしても、真ではない
雲が、たまたま「クジラの形」に見えてそうなったからといって
「雲とは、クジラの形をしていなければならない」
「クジラの形をしているモノを、雲と呼ばなければならない」
には、ならないのと同じこと
現実世界で女の子に相手にされないような男根弱者たる「オタク」の意に添うように、元気づけるように、応援するように、気持ちよくさせるために、然るべき活動をアイドル達はしなければならない
では、ない。
秋元大先生が中井りかに贈る言葉でも述べているように
「AKBグループは、アイドルをしている誰にでもチャンスがある」
…と
個々人そのチャンス(夢)をつかむために彼女たちは一人一人努力している
その姿を、我々外の人間は(勝手に)見て、感動して、好感覚えて、応援する(に至らしめる)
48グループは特にそれが顕著で、グループの理念の一つとなっているワケで
男根弱者たるオタクらを慰めるために活動しているのではなく、アイドル個々人が自身の夢をつかむために活動する、努力する、それを外の人間が「見る」「楽しむ」「応援する」
ただそれだけ
(あなたやあなたやあなたやあなたが)アイドルの活動を見て元気づけられたりパワーをもらったり気持ちの高まりを覚えたのならそれは二次的三次的なところからでしかなく「たまたま雲がクジラの形に見えた」のと同じこと(その逆もまた然り。)
あくまで48系のアイドル達は自分の夢をつかむために活動していく
あなたの哀れな人生を慰めエールを送るために活動しているわけじゃない
主体(主役)はヲタではなくて、アイドルの側である
課金合戦に参加するから協力頼む~
って、協力するならするですればよい
しかし、だれがタワー投げただのいくらつぎ込んだだの、コメント読んでもらっただのと
そんなことはど~でもいい
主体はアイドルであり、物が売れて嬉しいのは売ってるオッサンたちだけなのだから
それは、ちゃんねるであれまとめサイトであれなんであれ、儲けて嬉しい側がそこにはいるだけで、どんなに頑張ってコメントしたところで主体があなたにはなりえない
寄合で集まってあ~だこ~だと共鳴しあってぶちまければ、主役(主体)になれたかのような錯覚と寄せては返す陶酔感に心地良い気分で浸れるのだろう
しかし現実は何一つあなたに寄り添うことをしないものだ
カウンターコメントのあるあるで
「自分でアイドルグループつくって、自分でやったら?」
という(できるわけないがな、という)皮肉たっぷりの反撃手段がよく使われる
あるいはもっと単純に
「コメント欄でゴチャゴチャ言っていないで推しを応援してあげれば?」
「握手券・お話券を買って推し上げてやれば?」
…と
フランス革命の引用ついでに持ち出せば、バスティーユ陥落の段において、ミラボーに唆された「カミーユ・デムーラン」は自ら行動を起こした
行動を起こして、富と名声と、妻を手にしたカミーユだ!
ゴチャゴャゴチャゴチャ御託を並べて語ることには何の意味もない
残念ながらフランス革命とは違って
いちアイドルグループの運営スタッフ大人たち、アイドル達が、いち個人のあなたの思いに寄り添ってくれることはないだろう
あなたを中心にあなたの都合でまわっているわけではない世界や社会や、提供されるサービスの仕組みについて理解して
楽しむための然るべき行動を以ってサービスなりパフォーマンスなりを享受する、堪能する
アイドルグループをつくる度胸もお金もないのなら
提供されるサービスを楽しむために
ただそれだけ
※カミーユ・デムーランは、バスティーユ襲撃の際にパリ民衆を扇動したとされる人物。
あいるはたとえば、昔のイッテQの話
イモトの山登り
番組が企画して
イモトが努力して
見事、山に登る
その姿に我々視聴者は感動する
ただそれだけ
これを違えて
「イモトは山に登って我々視聴者を感動させなければならない!」
「イモトは山登りの努力をする姿を視聴者に見せて元気を与えなければならない!」
そう言うのは違う
向こうが勝手に企画してお仕事をしていく過程で、結果的に我々視聴者はイモトに感動しイッテQに楽しませてもらう
イモト、イッテQを好きになって、応援したりもするようになるだろう
それはもうなんだってそう、例えばスポーツ、ワールドカップ、サッカー、女子バレー、今だとラグビーバスケ卓球でもなんでも
「我々観る者を感動させるためにやらなければならない!」
「そのためにお金を払っている!」
なんて言い方が馬鹿丸出しになるのは言うまでもない
これが、芸人イモトや、スポーツ選手とは違って
「女性アイドル」としてのやり方、「女性アイドルならでは」という点以外ではだいたい同じ意味合いになる
彼女たちは芸人ではない!
スポーツ選手でもない!
そりゃそうだ。。
だがしかし…
だがしかしぃ?
「応援する(至らしめる)」という点では同じ事
主体はあくまで彼女たちアイドルの方
この点をたがえて理解している(あるいは期待している)と
やはりちょっとしたことが(あなたにとって)裏切り的要素となって跳ね返ってくるだろう
資格がない!
関わるな!
とは、もちろん言わない
厳しい展開が予想されますよ?
…と。
何をどう取り扱って、何を思おうとそれはあなたの自由だ
しかしその自由は、アイドルたちの側にもあるし
あなたの意にそぐわないことなど山ほど起こる
プロ意識が無いだのと非難したとて、彼女たちは彼女たちなりの自由がある
ゆえに相手に押し付けるのではなく
自身の土台をしっかりすること
身の丈に合った付き合い方、関わり方をすること
もっと言えば女性をきちんと理解すること
女性に思いやりをもって接すること!を体得すること!!
カルーセル麻紀さん
「届くわけないじゃないの」
「何言ってるの」
オモロ。。
次回は…
ガチ恋オタクの反論を見ていく
ここからなぜ売り上げ指標が無用の長物なのか
コメンテイター大好物の神話「売り上げ指標」完全否定する
まさかのパート14へつづく。。