3月4日は、父の誕生日。
今は亡き父は、「クソ」がつくほどマジメで誠実なひとだった。
父は潔癖な法曹人だった。
市議会議員などから菓子折りや果物を提供されても
絶対に受け取らなかった。
父の留守中、贈答品を家へ置いていかれたときなどは
「返しなさい」と言われ、あとで返したこともあった。
相手方が「なにかしらのワイロ」を持って訪問しても、
絶対に対応しなかった。
父の仕事ぶりに感心した相手側の893の親分が、
「今度は先生に依頼したい」と申し出てきたこともあったが、
父は笑いながら、すぐに断った。
明け渡し事件で、相手方の企業から数千万円の報酬と引き換えに
住民側の依頼を撤回するよう
根回しされたときも、きっぱりと断った。
貧しい庶民なら、多くが大喜びで飛びつきそうな破格の金額だったが、
父は見向きもしなかった。
それどころか、金で買収しようとする相手方の企業に対し、
怒りを露にし、めずらしく不機嫌になった。
今時の、金に汚い国会議員とは、真逆の誠実さを何度も見てきた。
父は常に潔癖なひとだった。
空襲で家を焼かれ、裕福だったわけでもなく、
子供時代は劣等生で、運動神経も鈍いほうだった。
教師から、「おまえは将来ドカタだ!」と言われ(完全なパワハラ)、
「進学できたら、裸で逆立ちして町内を回ってやらぁ」などと、
さんざっぱらバカにされたせいで反骨精神に火がつき、
苦学して東大まで行き、卒業後、司法試験に合格した。
まさに筋金入りの「努力の人」だった。
弁護士の中坊公平先生が京都から会いにきたこともあった。
普段の父の姿から、
真の意味での「誠実さ」とはなにか、
言葉よりも実体験で感じ取ることができた。
ヨソサマで受けたがらない不利益な案件が回ってきても、
損失を打算的に考えることなく、よく引き受けた。
苦労しても報われない結果が幾度となくあった。
不器用で、仕事の取り組みの要領は遅かったが、
一度くらいつくと、とことん調査して熟考した。
その分、やり直しも多かったが、
粘り強い胆力や対応力は、誰にも真似できなかった。
経済的に困窮しても
インチキワイロに便乗して利益を得ようなどという
浅はかな思考回路は微塵もなかった。
父は青年期に、代用教員として小学生を指導したこともあった。
人道的に正しく、真の意味で、絵に描いたような
「正義」のひとだった。
2014年5月5日の早朝に亡くなり、
今年(2026年)で12年を迎える。
つい、この間のことのように、よく覚えている。
5月5日は、通称:土方歳三の誕生日でもある。
偶然とはいえ、やはりなにか因縁があるのだろう。
あとで気が付いたことだが、
父の仕事場や家の周辺には、
沖田・近藤・市村・長倉・原田・斎藤といった姓の人々がおり、
「まんま新選組じゃないか」・・と思ったことも。
そして、これは2025年8月2日に発刊した電子書籍
『土方歳三の謎』1:名前の謎の
「おわりに」の部分にも書いたが、
★amazon kindle 電子書籍
『土方歳三の謎』1:名前の謎
※全て個人制作でAI依存無。
※出版社等の関与は一切無。
父の連れ合いとなった母親の曾祖母は
慶應4年3月6日の「柏尾の戰(官軍との勝沼戦)」前後に、
新選組隊士ら(当時は「甲陽鎮撫隊」の近藤や土方など)と
直接接触していたという逸話(事実)もあるので、
やっぱり新選組とは、なにかしら縁があったわけで。
( ̄▽ ̄)時間的に遅くなってしまったので
オヤジ関連の話の続きは、次回へ繰り越し。









