大滝詠一 NOVELTY SONG BOOK 解説 その2

 

 

第1章 それは、とんねるずから始まった
第2章 作曲の秘密

 

第3章 作詞について解析
3-0 コンセプト
3-1 初稿の歌詞!?
3-2 キムタクと“ゆうがたフレンド”への改題
3-3 ビートルズと“金はない”

第4章 つながる縁
4-1 復活のコンビ
4-2 シャンゼリゼ通りは表通りか
4-3 余波、ナイアガラ盆踊り

 

 

第3章 作詞について解析

3-0 コンセプト

「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」で詞を提供した糸井重里氏と大滝詠一さんとの取り合わせは、ナイアガラ界隈では意外なことではありませんでした。

 

2005年12月の「ほぼ日(ほぼ日刊イトイ新聞)」では、「CM」、「三木鶏郎」「大森昭男」の両氏などをキーワードにして、糸井重里氏と大滝さんとのコラボの模様が、報じられていました。

●ほぼ日刊イトイ新聞

 

この2005年12月というのが…。

まさに、大滝さんが「USEFUL SONG(仮)~お役にたちたい~」の歌唱レコーディングをしていた時期だったのですね。

 

交流のあった往時のお二人ですから、大滝さんが糸井重里氏へ歌詞を発注した際は、“丸投げ”ではなく、コンセプトの擦り合わせのようなものがあったと思うのです。

 

前回解説の第1章、第2章 をふまえれば、お二人の申し合わせはこんな具合だったのでしょうか。

すなわち、大滝さんから、困ったときに助けてくれる小林旭のイメージが示され、糸井重里氏から「お役立ちたい」というコンセプトが提示された…。
 

「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」の歌詞から読み取れる、その「お役にたちたい」という気持ちは、男女の慕情によるものではなく、明確に友人や相方(あいかた)に向いているように感じます。
 

この“友情”の要素を歌詞に入れ込んだ、いや、“友情”を歌詞のメインテーマに据えたのは、大滝さんと糸井重里氏の、どちらの提案によるものだったのでしょうか?

 

“友情”にまつわるそんな素朴な疑問について考え始めた私は、「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」の鍵となる名曲「君の友だち」の謎めく袋小路へ、迷い込んで行ったのです…。

 

 

 

3-1 初稿の歌詞!?
 

ここでは以下の両曲の歌詞を比較対照することで、大滝さんと糸井重里氏との 「ゆうがたフレンド」の制作過程を推察してみたいと思います。

 

「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」(大滝詠一、とんねるず)
「ゆうがたフレンド(公園にて)」(ムーンライダーズ)

 

まずは、ムーンライダーズの「ゆうがたフレンド(公園にて)」のおさらいをしておきましょう。

 

ムーンライダーズ 「ゆうがたフレンド(公園にて)」

 

「ゆうがたフレンド(公園にて)」は、ムーンライダーズのデビュー30周年を迎えた2006年に、アルバムに先行して彼らの久々のシングルとして発売されました。

糸井重里氏から提供された歌詞に対し、メンバー6人による作曲コンペが行われた結果、白井良明作品が選ばれました。

 

歌詞を提供した糸井重里氏の「ほぼ日刊イトイ新聞」の連載でも、「ゆうがたフレンド(公園にて)」は応援されていたのですね。

●ほぼ日刊イトイ新聞

 

歌詞の内容を詳細に見ていきましょう。

「ゆうがたフレンド(公園にて)」の歌詞は、このサイト でもご確認ください。

 

 

 

一方、大滝さんやとんねるずの「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」の歌詞は、こうでした。

 

比べてみると、「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」の歌詞と、「ゆうがたフレンド(公園にて)」の歌詞は 結構違っていることに気づきます。

 

歌詞全体から受ける印象によって、双方とも同じ歌詞だと感じられがちですが、実は細かなところで両者の歌詞はかなり異なっているのです。

 

歌詞の大きな相違点の一つ目。
それは1番と2番の“入れ替え”です。

 

ムーンライダーズ版の「ゆうがたフレンド(公園にて)」の歌詞をもう一度ご覧になってみてください。
出だしは「♪ 鈍色(にびいろ)の~」で始まっています。
一方、「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」の出だしは、「♪ あの頃は~」です。

 

次のような、大滝さんからの要望で、歌詞の改変がなされた様子がうかがえます。
【推定される大滝さんの要望の例】「出だしは“鈍色”ではなく“あ”から始めたいので、“あの頃は”の段落を先頭にして。」
 

歌詞についての二つ目の大きな相違は、リズムとテンポが変化する「ルンバ」の部分です。
ここでは両者の歌詞が、大きく異なっています。

 

このルンバ・パートでも、大滝さんの要望による改変があったことがうかがえます。
もともと短かった歌詞のボリュームを、大滝さんの要望に応じて増やしたと思われます。
【推定される大滝さんの要望の例】「(テンポ・チェンジする段落では)28小節分に長くしたいので歌詞を足してほしい。」

 

糸井重里氏が大滝さんからの要望に応じたことで、歌詞の音数が微調整されたであろう箇所も散見されます。

【例】:
 池の周りぐるぐる歩いてた 池の周りぐるぐる
 どうするのかしゃべる  どうしよう
 どろんこまみれ  どろまみれ
 まじめにやってきた  まじめに

 

他にも、大滝さんのリクエストにこたえて、糸井重里氏が細部を書き改めた様子がうかがえます。
【推定される大滝さんの要望の例】「女子高生より中高年を先に登場させて」、「葬式を天国に」
 

ムーンライダーズ版「ゆうがたフレンド(公園にて)」のほうは、歌詞の過不足ない語句選びや、全体の構成の完成度の高さから察するに、糸井重里氏の「初稿バージョン」だったのではないかと思います。
 

手直しされるのを前提にした「初稿」という意味ではなく、糸井重里氏としては、あくまでも完成版のつもりで書き上げたものの、結果的には後から改変されたので「初稿バージョン」と呼ぶ、と説明したらよろしいでしょうか。

 

「初稿バージョン」すなわち「ゆうがたフレンド(公園にて)」が、大滝さんの要望による改変を経て「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」になっていったのだろう…、というのが私の結論的な推察です。

 

松本隆氏との作詞・作曲コンビを休止してから、大滝さんは、「快盗ルビイ」や「うれしい予感」などでも、作詞者との往復形式で曲を完成させていったのかもしれません。
ここで思い出すのは、和田誠さんが「快盗ルビイ」を作詞した際のエピソードです。
大滝さんから歌詞の手直しを依頼されたことで和田誠さんがボヤいていた、という話を耳にしたことがあります。

 

ところで…。
大滝さんと糸井氏の共作で歌詞を完成形に近づける過程で、印象的な「あひるガアガア」の一節は残りました。

 

前回の第1章~第2章 でふれたように、石橋貴明が「レイクサイド ストーリー」や小林旭の「熱き心に」が好きであることは、大滝さんの頭の中にインプットされていたはずです。

シリアスなポップスの「レイクサイド ストーリー」路線の曲に「あひるガアガア」という歌詞がマッチするとは思えません。

それなのに、大滝さんから糸井氏へ「あひるガアガア」の部分の改変要望はなかったということは、つまり…。

 

大滝さんは、歌詞の大枠の趣旨は尊重し、「レイクサイド ストーリー」路線ではなく、コミック路線でいく腹を決めていたのでしょう。
 

「熱き心に」、「ホルモン小唄~元気でチャチャチャ」、主演映画「東京の暴れん坊」——。
これらの“小林旭”アイテムを用いたアプローチで曲づくりをしよう…。

 

大滝さんは、そう心に決めていたのかもしれません。

 

 

 

3-2 キムタクと“ゆうがたフレンド”への改題

前回の 詳述解説!「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」前編 で取り上げたように、2005年の同曲のレコ―ディング時点では、「USEFUL SONG」とか「お役にたちたい」というのが、曲のタイトルでした。

 

それが、2006年になって糸井重里氏からムーンライダーズへ提供されたときには、「ゆうがたフレンド」へ改題されていたのです。


この“改題”の経緯とは、どのようなものだったのか‐‐。

そんな、ふとした疑問が、容易には答えを導き出せない謎へと次第に膨らみ、私の前に立ちはだかっていきました。

 

今回の 詳述解説!!「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」後編 の発表が遅れたのも、曲名の改題のいきさつを推察していて、時間ばかりが過ぎてしまったからなのです(笑)。

 

“ゆうがたフレンド”が、名曲のタイトル「 You've Got a Friend 」に由来するのは、間違いないでしょう。

 

「 You've Got a Friend 」は、キャロル・キングのアルバム「つづれおり」(1971年)の中の一曲です。
邦題はずばり「君の友だち」です。
 

まずは、キャロル・キングの「君の友だち( You've Got a Friend )」を聴いてみましょう。

キャロル・キング 「君の友だち( You've Got a Friend )」

 

動画の終盤、4:43~の部分を聴いていただくと、キャロル・キングが
♪ ゆうがたフレンド、ゆうがたフレンド
と連呼しています。
♪ You've Got a Friend」、すなわち、「君には友だちがいるね」と歌っているのです。
 

はたして、「USEFUL SONG(仮)」とか「お役にたちたい」と呼ばれていた曲に、名曲「You've Got a Friend」のエッセンスが注がれたのは、いつ、誰によってだったのか…。

 

ここで「USEFUL SONG(仮)」と「君の友だち( You've Got a Friend )」にまつわる疑問を整理してみます。

 

【A】

とんねるずへの提供曲の主たるテーマとして「You've Got a Friend」があらかじめ固定されていて、「You've Got a Friend」の詞世界を参考に「USEFUL SONG(仮)」の歌詞が作られたのか。

 

【B】

それとも、「USEFUL SONG(仮)」という曲が、友情をメインテーマとして扱った歌詞であり、結果として「You've Got a Friend」に通じる雰囲気があったので、ムーンライダーズへ提供されたときに「USEFUL SONG(仮)」から「ゆうがたフレンド」へと、曲名が見直されたのか…。

 

では、その「You've Got a Friend」の歌詞の和訳を参照してみましょう。

 

「USEFUL SONG(仮)」の
「 いつも呼べばかならず来るよ 」
とか
「 鈍色の空 」
に呼応する歌詞が、「You've Got a Friend」の歌詞にはもともと含まれていることが分かります。

 

【例】:
「私の名前を呼ぶだけでいい そしたらすぐに行くわ」
「頭上の空がどんどん暗くなって灰色の雲で覆われたら」

 

つまり、「USEFUL SONG(仮)」の歌詞は「You've Got a Friend」からの直接的な影響を受けているということ…。
先の仕分けでいえば、【A】のパターンの方ということになり…。
 

改題の前から、もともと「USEFUL SONG(仮)」の主たるテーマに、「You've Got a Friend」のエッセンスが含まれていた、といえるでしょう。

 

では…。
「USEFUL SONG(仮)」をふたりが共作する初期段階で、「You've Got a Friend」の要素を持ち込んだのは、大滝さんだったのか、糸井重里氏だったのか、どちらだったのでしょう。

 

大滝さんが先に「You've Got a Friend」を“発信”していたのなら話は簡単です。
キャロル・キングとナイアガラには高い親和性があります。
大滝さんが、作家としてのキャロル・キングに大きな影響を受けたことを、ナイアガラ・ファンは知っています。

 

しかし、私には、糸井重里氏が最初から「You've Got a Friend」を意識して、詞を書いたように思えました。

 

一般的には「You've Got a Friend」は、ジェームス・テイラーが歌った「きみの友だち」(1971年)のバージョンで知られています。
シングルとしてリリースされた彼のバージョンは、大ヒットしました。

●ジェームス・テイラー「きみの友だち( You've Got a Friend )」

(↑クリックorタップしてお聴きください)

 

大滝さんと同い年の糸井重里氏がこの曲「You've Got a Friend」を、ジェームス・テイラーのバージョンで親しんでいても不思議ではない、と私は思ったのです。

 

ところが…。

「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」の曲の最後で盛り上がる

♪ 俺がいる

の部分は、「You've Got a Friend」の一節、

♪ I'll be there

から派生しているのではないか、という指摘が『レコード・コレクターズ』誌上であったのです。

 

前掲のキャロル・キングの動画でいえば、1:30~、3:07~、4:15~の部分、ジェームス・テイラーの動画でいえば、1:22~、2:51~、3:55~の部分にあたります。

 

このナイスな着眼点が、かえって話をややこしくしているのです(笑)。
なぜならば…。

 

♪ 俺がいる

という歌詞は、大滝さんやとんねるずの「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」の方だけに登場するのです。
ムーンライダーズの「ゆうがたフレンド(公園にて)」

♪ 俺がいる

の一節は登場しません。
 

前項で述べたように、ムーンライダーズへ提供された「ゆうがたフレンド(公園にて)」は、糸井重里氏だけの手による混じりけのない「初稿の完成版」の歌詞だと考えられます。

その段階で、

♪ 俺がいる 」=「 ♪ I'll be there

という、いわば“「You've Got a Friend」との濃厚関連アイテム”が含まれていなかった…。

 

そうなるとつまり、次のような推察へたどり着きます。
「You've Got a Friend」由来の

♪ I'll be there 」=「 ♪ 俺がいる

をつけ加えたのは、糸井重里氏によるのではなく、歌詞の一連の改変を依頼していた大滝さんの方だろう…。

 

そんなふうに理詰めで考えていくと、糸井重里氏が最初から「You've Got a Friend」を意識して歌詞を書いていた、という私の直感は一歩後退するような気もしてきました。

 

「You've Got a Friend」の“発信者”は糸井重里氏ではなく、歌詞に

♪ 俺がいる

をつけ足した大滝さんのほうだったのか…。

 

ただし、そうなると、大滝さん発案の「You've Got a Friend」のエッセンスをいわば“横取り”して、曲のタイトルに“ゆうがたフレンド”とつけて、糸井重里氏がムーンライダーズへ歌詞を提供した…ということになってしまいます。
やはり、「You've Got a Friend」は直感どおり、糸井重里氏が“発信者”なのではないか…。

そのような堂々巡りで、考察の迷路にはまり、私は行き詰まったのですね。
一時期は私、あきらめの逃げ口上も用意しました。
私の結論は「 ♪ よくわからーなーいー 」です…、と濁して筆をおけばよいか、と(笑)。
 

しかし!!

謎はあっさり解けました。
直感を信じて、“糸井重里氏と「You've Got a Friend」との関わり”について調べてみると…。


糸井重里氏が数年前にキムタクのラジオ番組に出演したときに、“人生の一曲”という選択の場面で、キャロル・キングの「You've Got a Friend」を選曲していたのです。
 

番組『 Flow 』公式サイト

 

『ほぼ日刊イトイ新聞』番組出演時の文字起こしページ

 

そのときの模様を少し長くなりますが、引用(粋)してみましょう。
 

木村
糸井さんの「人生の1曲」というのを教えていただきたいんですけど。

糸井
あれこれ言い訳しないで言うと、キャロル・キングの「You've Got A Friend」という名曲があって。
いま、ふいに、やっぱりこれにしよう、って決めることができたから、これにします。

木村
それは、ご本人ひとりのバージョンですか。
それとも、ライブで、男性ボーカリストと歌った‥‥。

糸井
ああ、ジェームズ・テイラーと歌ってるのがありますよね。
両方いいですけど、「TAPESTRY」っていうアルバムに入ってるやつでいいかな。

木村
なんでこの曲になったんですか。

糸井
あのね、ほんとは、ビートルズを挙げたいんですよ、やっぱり生き方としていちばん影響を受けたのはビートルズなので。

でも、キャロル・キングの「You've Got A Friend」と「TAPESTRY」っていうアルバムは、なんだろうなぁ、じぶんの世界を広げてくれたような気がするんですよね。
 

「You've Got A Friend」っていうのは、あなた友だちいるじゃん、ってことでしょ?

「友だちがいるんだよ」
「なんだったらわたしがいつでも駆けつけるから」
っていう、それで歌ができるんだ、っていうこと。

なにかにつけて「友だちがいる」っていうのを、考えるきっかけになったのは、あの歌かなぁ。

木村
あの、ぼく、この歌をキャロル・キングさんと一緒にやったことがあります。

糸井
え! あ、「スマスマ」?

木村
はい。

糸井
いやぁー‥‥それは、すごいなぁ。

木村
すっげー、いま自慢しちゃった(笑)。

 

ジェームス・テイラーとキャロル・キングのデュエット・バージョンの存在を知っているキムタクもすごいですが、それよりもすごいのが…。
 

キムタクは有名なバラエティ番組中で、キャロル・キングと共演して「You've Got a Friend」を歌っていたのですね!!
放送時期は2008年ごろのようです。そういえば、遠い記憶の中で見た覚えが…かすかに…。

ま る め☆のんびり社長おし@ryo_bluebird さんのX(Twitter)ポスト より

 

とにもかくにも、「You've Got a Friend」の要素は糸井重里氏が“発信者”だった、と結論づけてよさそうです。
なんといっても“人生の一曲”なのですから。

 

ラジオ番組『ゴー・ゴー・ナイアガラ』の第1回と第2回('75年6月放送)が「キャロル・キング特集」だったように、キャロル・キングのワークスが大好きだった大滝さん。

 

そして、“人生の一曲”にキャロル・キングの歌唱を選ぶ糸井重里氏。

 

双方のあうんの呼吸で、ふたりの共通項“キャロル・キングの「 You've Got a Friend 」”は、歌詞の主幹となっていったのでしょう。
そんな共作の往復運動の過程で、大滝さんが「君には友だちがいるね」から一歩踏み込んだ決定打として、「俺がいる」の一節ををリクエストしたのかもしれませんね。

 

 

 

3-3 ビートルズと“金はない”

金はない”という歌詞は、「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」にも「ゆうがたフレンド(公園にて)」にも登場する、共通の重要フレーズです。

 

ムーンライダーズにとっては、ファースト・シングルの「スカンピン」、20周年記念のシングル「ニットキャップマン」に続いての“金無しソング”となりました。

ちなみに「ニットキャップマン」は「ゆうがたフレンド」と同じく、糸井重里氏が作詞していました。

 

「ゆうがたフレンド」の曲の誕生の経緯をふまえれば「結果論」ということにはなりますが、ムーンライダーズと金無しソング“3曲”との浅からぬ縁があったことになります。

 

“金はない”という重要フレーズの起源について、「何もいらない俺だけど」(ダニー飯田とパラダイス・キング)あたりを思い浮かべたのですが、どうやら違いそうです。

 

ハナ肇とクレージーキャッツが歌う曲に「 ♪ 飲まねえ~ 」なんて歌詞があって、それが「 ノーマネー = 金はない 」に転じたのでしょうか…?


「クレージーキャッツの影響はありか、なしか」について、少し論じてみましょう。

 

「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」の曲中でテンポ・チェンジするルンバ・パートは、小林旭の「ホルモン小唄~元気でチャチャチャ」から派生しているのだろう、というのが私の見立てです。

大滝さんの頭の中では小林旭と切っても切れないイメージのある、ペレス・プラード楽団が“チャチャチャ”の有名曲「キエン・セラ」をマンボ・アレンジで演奏していて、大滝さんはそれを「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」に取り入れた…と。

※詳しくは、前回の 詳述解説!「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」前編をご参照ください。

 

 

上掲の大滝さんの発言をふまえても、大滝さんにとってペレス・プラード楽団とクレージーキャッツのマッチングは良さげなのです。

しかし…。
ハナ肇とクレージーキャッツの曲で「 ♪ 飲まねえ~ 」(ノーマネー = 金はない)という歌詞は見当たりません。

 

ハナ肇とクレージーキャッツ 「アッと驚く為五郎」
 

前掲のシングルの「酒のめば」とカップリングの「アッと驚く為五郎」に登場する、ハナ肇のギャグ

♪ アッとおどろく たーめご~ろうー
は、浪曲「清水次郎長伝」の節回しが元ネタです。
 

そして、清水次郎という役名の小林旭が、清水ならぬ銀座の次郎長に扮していざこざを解決する…という映画「東京の暴れん坊」が、「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」の重要な元ネタであろうことは、 前回の解説 に述べたとおりです。

 

あー、それなのに…(笑)。
「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」の曲中には、ハナ肇とクレージーキャッツの直接的な痕跡が見当たらないのですね。

 

その一方で、「大滝詠一 NOVELTY SONG BOOK 読本」にあった湯浅学先生の解説では、“ルンバ・パート”の雰囲気の例示として、アーサー・ライマンの「タブー」が挙げられていました。

 

ややこしいのですが、実は、先述のペレス・プラード楽団はマンボ・アレンジで「タブー」も演奏しており、日本ではアーサー・ライマン版の「タブー」よりも有名です。


「ホルモン小唄~元気でチャチャチャ」は、“夜のお供に…”みたいで“精力的”な歌詞ですから、加藤茶の“ちょっとだけよ”でおなじみのペレス・プラード楽団バージョンの「タブー」と絡めて論じると、話のオチがつきますかね…(笑)。

 

ペレス・プラード楽団 「タブー」(おなじみのメロディは0:27~から始まります)

 

 

さて、ハナ肇とクレージーキャッツやザ・ドリフターズは本項のお話の枕(まくら)でして、本題はここからです。

 

先ほどの「大滝詠一 NOVELTY SONG BOOK 読本」において安田謙一氏の解説では、“ルンバ・パート”の雰囲気を、ビートルズの「ユー・ノウ・マイ・ネーム」的だと評しておられ、私には最初、それが極めて突飛(とっぴ)な例えに思えました。

 

しかし、始まりが「 Love Me Do 」で終わりが「 You Know My Name 」というのは、ビートルズ・ファンにとって当たり前の常識というか共通認識であるらしく…。

 

突飛な例えにさらに私の突飛な推論を上乗せして発展させてみますと…。

 

「ユー・ノウ・マイ・ネーム」が「 ノーマネー 」に聞こえることから、歌詞の “金はない” の一節を見て、大滝さんが作曲時に

♪ 生まれてきたときゃ はだかじゃないか

からの箇所を、「ユー・ノウ・マイ・ネーム」的に展開させたりしたのかも…という説を捻り出してみました。

 

つまり、大滝さんがいわば“ラスト・ワーク”において、糸井重里氏からのビートルズの波動に影響されたのでは…ということですね。

 

このような「 You Know My Name 」と「金はない」を結びつけちゃおう!という二段重ねの「突飛(とっぴ)」な発想は、無理があるでしょうか(笑)。

問題の「ユー・ノウ・マイ・ネーム」を、あらためて聴いてみましょう。

 

ビートルズ 「ユー・ノウ・マイ・ネーム」

 

動画の2:18~の箇所でリズム・パターンが変わってから、聞こえてくる歌詞は、ほーら、

「 (You)ノーマネー 」

にしか聞こえなくなった…。

 

糸井重里氏はビートルズに詳しく、ビートルズ・マニアの方々が詰めかけたイベントで、鈴木慶一さんと対談しているほどです。

『ほぼ日手帳』~ビートルズになりたい。

 

大滝さんも、その辺の事情を知らなくはなかったでしょう。
 

ビートルズの“ラスト・シングル”だから、それが大滝さんの“最後のワークス”に登場していると考えれば、“おさまり”がよい…。
 

ただし、ことはそんなに簡単ではなさそうです。

 

大滝さんにとって、「USEFUL SONG(仮)」は“最後”だったのか、それとも“始まったばかり”だったのか…。

次章では、ナイアガラ音楽史にとって「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」がどんな位置づけになるはずだったのか、について推察してみます。

 

 


第4章 つながる縁

4-1 復活のコンビ

2005年に「USEFUL SONG(仮)」がとんねるずサイドからボツとされた後、大滝さんは、市川実和子のアルバム「Pinup Girl」(1999年)制作のときに世話になった鈴木慶一さんへ、歌詞をおさがりに出した…。

当初、そんな裏事情があったのだろうと、私は勝手に想像していました。

 

しかし、実際には別のストーリーがありました。
糸井重里氏から直接、ムーンライダーズへ「ゆうがたフレンド」の歌詞が提供されていたのですね。

 

鈴木慶一さんをはじめムーンライダーズのメンバーは、「ゆうがたフレンド(公園にて)」の歌詞には、その前身として「USEFUL SONG(仮)」が存在していたことを、糸井重里氏から知らされなかったのだそうです。

大滝さんへの配慮もあったのか、糸井重里氏は、この詞の出自について口をつぐんでいたのですね。

 

今回の「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」で、縁があって大滝さんとコンビを組むことになった鈴木慶一さんは、新たに「大滝さんに寄り添って歌った」と、語っていました。

 

鈴木慶一さんからは、各種のインタビューやイベント出演時に、次のように明かされました。

 

鈴木慶一さんへボーカルで参加してほしいとの依頼が、'22年になってからナイアガラサイドからあった…。
 

「イスタンブール・マンボ」を歌えばいいのか?と思っていたら、実は幻の“もう一つのゆうがたフレンド”の存在を知らされた…。


'22年の年末から'23年の年明けまでのタイトなスケジュールの中で、自宅スタジオで自分で録音した…。


最初から最後まで通しで歌って、というリクエストだったが、考えた末に1番と2番を大滝さんと歌い分けたり、ハモリもつけたりした…。

 

ムーンライダーズ・ファンからしたら、30周年記念のシングル曲の歌詞が実はおさがりだった…ということになれば、複雑な感情が渦巻くかもしれません。

 

ムーンライダーズのメンバーやファンへの配慮という点を考えると、「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」で鈴木慶一さんをボーカルに起用したのは、関係各方面をすべて丸くおさめる妙手だったとも言えます。

 

私はつい、そういう策士的なプランニングがナイアガラの制作サイドにあったのでは、と裏読みしてしまったのですが、ところがどっこい…。

 

そのような“プランありき”でなく、鈴木慶一さんが「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」の方も歌ったら素敵になるだろう、という純粋な思いから、“大滝さんと鈴木慶一さんのデュエット”が実現したのだそうです。

 

ことの実相について、ライターの田中久勝氏による“ナイアガラ関係者”へのインタビューから、引用してみましょう。

 

「今度のノベルティ企画があるからデュエットで、と考えたのではなく、ムーンライダーズ版の『ゆうがたフレンド』をライヴで聴いて『あっちの曲も慶一さんに一緒に歌ってもらうと楽しくなりそう』って思いました。」

 

これを読んで私、なんと清らかで上品なコメントか、と心洗われたのですね。

 

結果として、ファーストアルバム「大瀧詠一」(1972年)の「いかすぜ!この恋」から半世紀年ぶりに「冗談ぢゃねーやーず」が復活しました。

大滝詠一 「いかすぜ!この恋」(←クリックorタップしてお聴きください)

 

この「冗談ぢゃねーやーず」はジョーダーネアーズ(The Jordanaires)にちなんで、大滝さんがシャレで名付けたユニット名です。
ジョーダーネアーズは、エルヴィス・プレスリーのバックの4人組のコーラス隊として知られ、「Heartbreak Hotel」や「I Want You, I Need You, I Love You」など多くの有名曲に参加しました。

 

THE JORDANAIRES 「 LOVE ME TENDER 」(曲は0:23~から始まります)

 

永遠にお蔵入りかもしれなかった「USEFUL SONG(仮)」が、“多羅尾&慶一”コンビ再結成のうえでリリースされ、さらに“幻のとんねるず版”まで世に出たのですから、大滝さんもさぞかしビックリされていることでしょうね。

 

 

 

4-2 シャンゼリゼ通りは表通りか

前項の冒頭で述べたように、私は当初、市川実和子のアルバム「Pinup Girl」つながりで、大滝さんが世話になった鈴木慶一さんへ「ゆうがたフレンド」の歌詞を提供したのだろう、と思い違いしていました。

 

その「Pinup Girl」に先行してリリースされたのが、市川実和子のシングル曲「ポップスター」。

ノベルティ・ソングというよりむしろ正統派のポップス曲に思える「ポップスター」が、なぜか今回の「大滝詠一 NOVELTY SONG BOOK」に収録されています。

 

市川実和子 「ポップスター」

 

この「ポップスター」は、大滝さんからかまやつひろしへの提供曲「お先にどうぞ」をバックにして、サビ以外をそのまま歌えます。

 

かまやつひろし 「お先にどうぞ」

 

ちなみに、「お先にどうぞ」のいわゆる元ネタ曲の一つに、ジャッキー・デシャノンの「Should I Cry」が挙げられます。

 

ジャッキー・デシャノン 「Should I Cry」

 

この「お先にどうぞ」は、大滝さんにとって、他人への提供曲(作詞・作曲)の一作目だったのです。
これはナイアガラ史において、大きな意味をもつイベント(出来事)です。

 

かまやつひろしへの提供曲「お先にどうぞ」が世に出たのは1975年でした。
“他アーティストへの初の作品提供(作詞・作曲)”という意味合いをもつ「お先にどうぞ」と同じ位置づけなのが、'99年の「ポップスター」(作詞:小野小福、作曲:大瀧詠一)なのだと思います。

 

すなわち、提供曲の「ポップスター」と「お先にどうぞ」を重ねて捉えることで、“ナイアガラ史の循環”が透けて見えてくるように思えるのです。

 

1970年代前半、ナイアガラ初期の頃のトピックを年表にすると…。

 

「大瀧詠一(ファースト)」(1972年)
    ⇒「ウララカ」を収録
「お先にどうぞ」(1975年)
「ナイアガラ・ムーン」(1975年)

 

2000年前後の、ナイアガラ後期の頃のトピックを年表にすると…。

「幸せな結末/Happy Endで始めよう」(1997年)
    ⇒「Happy Endで始めよう」は「ウララカ」を下敷きにしてソロへの移行期をふり返る
「ポップスター」(1999年)
「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」(2005年)

 

時代をこえて、これら2枚の“ナイアガラ年表”が、重ね合わさるように感じます。
 

大滝さんは、ナイアガラ史の因縁のようなものにこだわっていたようで、ナイアガラ史の循環の中で“互いにつながりのない無意味な曲”は、作ってこなかったように思います。

前掲のように、2枚のナイアガラ年表をひらりと重ね合わせたとき、「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」と重なる位置にあるのは「ナイアガラ・ムーン」です。
これらはどのように符合するのでしょう。

 

「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」の背骨となる下敷き曲は、詳述解説!「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」前編 のとおり、「オー・シャリンゼ」でしょう。

 

楽曲「オー・シャリンゼ」の歴史 ←クリックorタップしてお読みください。
簡単に概略をまとめると…。
「オー・シャリンゼ」の元曲は'68年に英国のポップ・グループによって歌われた「ウォータールー・ロード」。
曲の舞台はロンドンの「ウォータールー通り」だった。
'69年にはフランス語の歌詞をのせて「シャンゼリゼー Les Champs-Élysées」として発表された。
その際にパリのシャンゼリゼ通りへ舞台を置き替えた。
'71年にはダニエル・ビダルが「オー・シャンゼリゼ」のタイトルで歌ったレコードが日本で大ヒットし、以後、フレンチポップスとして長く親しまれている。

 

ともかく、「オー・シャリンゼ」の曲の舞台は、パリのシャンゼリゼ通りなのです
 

「オー・シャリンゼ」を、パリ暮らしも経験した歌手のKAN(カン)が詞を変え「表参道」としてカヴァーしていたこともありました。

KAN「表参道」 ←クリックorタップしてお聴きください

 

 

「表参道」、「シャンゼリゼの大通り」と聞くと…、私はこちらを思い出すのです。
 

 

大滝さんの「ウララカ」の元タイトルは「表通り」だったのだそうです。

 

「表通り」というフレーズを聞けば、ナイアガラ・ファンは
♪ 表通りは人垣~
という「ウララカ」の歌詞をすぐに思い浮かべることでしょう。
 

実は、鈴木慶一さんは、大滝さんの「ウララカ」にも参加しているんですね!!

曲中で聴かれる「♪ アウ―」のコーラスで!(上から2番目のパートだそうです)

「ウララカ」といえば、ナイアガラ史では、大滝さんがはっぴいえんど時代に「はいからはくち」へ自分の好きなフィル・スペクターの要素を加えてライブ演奏したことがきっかけで誕生した曲であり、ソロ活動への橋渡しになった曲ともいえます。

 

※ 「Happy Endで始めよう」を作った意味は「はっぴいえんどからソロへ」の移行期の再現や振り返りだった…。
そして、「Happy Endで始めよう」の元となる曲、「ウララカ」はナイアガラ史の道標となった重要曲だった…。
というお話について詳しくは、
「ウララカ~はいから~ロンロン、Happy Endで始めよう」 の回をご参照ください。

 

大滝詠一 「ウララカ」

 

大滝さんのソロ活動の歴史、言い換えれば“ナイアガラ史”は、表通り(=ウララカ)で始まり、シャンゼリゼの表通りで終わったかに見えます。

 

いや、終わりではなく始まりだったのか!?
 

もう一度、先ほどの年表を2枚重ねて透かして見てみましょう。

 

「大瀧詠一(ファースト)」(1972年) ※ウララカ収録
「お先にどうぞ」(1975年)
「ナイアガラ・ムーン」(1975年)

「幸せな結末/Happy Endで始めよう」(1997年) ※ソロ開始をふり返る
「ポップスター」(1999年)
「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」(2005年)

 

「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」に呼応する存在として、「ナイアガラ・ムーン」が見え隠れしている…。
大滝さんは、「USEFUL SONG(仮)」を契機として“「ナイアガラ・ムーン」の再現”をやりたかったのかもしれない…。

そんなふうに思えてきます。

因縁めいたものを感じた大滝さんが、「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」のイントロの出だしを「ロックンロール・マーチ」(「ナイアガラ・ムーン」収録)と同じにしたのは偶然でなく必然でしょうか…。
 

「ナイアガラ・ムーン」の特徴といえば、「ウェット&ドライ」、「メロディアス&ノベルティ」のバランスをとった「大瀧詠一(ファースト)」とは趣を変えて、全編がドライでノベルティ路線な曲へと、舵を切ったことでした。
そして、収録曲に通底するのはニューオリンズ・サウンドのエッセンスでした。

とんねるずとのシングル曲の仕事を契機に、市川実和子のときのように、とんねるずのアルバムも引き受けよう…。
中身はノベルティ・ソングばかりのアルバムにしようか…。

 

ニューオリンズ・サウンドの響きとともに、そんな構想が大滝さんの頭の中に浮かんでいたのかもしれません。
 

その“思い”は絶たれたかに見えて、2023年の現在にそのノベルティ・ソングをパッケージしたアルバムが生まれました。

 

今回の「大滝詠一 NOVELTY SONG BOOK」も、1曲目が “ロックン・ロール+ニューオリンズ” の「ロックン・ロール・マーチ」ならぬ “ロックン・ロール+音頭” の「NIAGARA ROCK'N' ROLL ONDO」で始まるのは意味ありげに感じます。

 

大滝さん…、21世紀の「ナイアガラ・ムーン」…、ノベルティ・ソングを集めたアルバム「大滝詠一 NOVELTY SONG BOOK」ができましたよ!

 

この盛り上がりの波に乗って、「ナイアガラ・ムーン 50th Anniversary Edition」がもうすぐやってくる、、、かもしれません。

 

始まりは終わり 終わりは始まり 〈 by大滝詠一 〉

 

 

 

4-3 余波、ナイアガラ盆踊り
 

「ナイアガラ盆踊り」の企画を聞いたときに私は、「大滝詠一 NOVELTY SONG BOOK」の売れ行きが芳しくなくて、壮大なプロモーションが仕掛けられたのか!?(笑)…と思わず邪推してしまいました。

 

ところが、事実はそうではなかったのです。

 

当初は代々木第一体育館で開催されるJ-WAVE関連イベントの時期に合わせて、盆踊りをやろうというアイデアが出たそうで…。

 

その中で「ナイアガラ音頭」を使いたいという声が、仲立ちの方を通じてナイアガラサイドへ届き、結果的には全面的にナイアガラをフィーチャーした「ナイアガラ盆踊り」へと、企画が発展していったそうなのですね。

 

関係各位のご尽力により、実質、2カ月くらいの準備期間で実現にこぎつけてしまったそうです。

 

「 大滝詠一 NOVELTY SONG BOOK / NIAGARA ONDO BOOK 」の年に、「ナイアガラ音頭」で盆踊りをしたいという声があがって…、という奇跡のマッチングが起こった末の、ミラクルが「ナイアガラ盆踊り」だったのです。

 

'23年7月15日からの3日間、老若男女のナイアガラ・ファンが原宿の地に集いました。
私は中日の7月16日に参加し、金沢明子さんの「イエロー・サブマリン音頭」の生歌唱を浴びて、感激は最高潮に達しました。

 

誰も踊りの輪に加わらないのではないかという事前の心配は杞憂だったようで、皆さんが笑顔で踊り狂っていました。

 

'76年の布谷文夫withナイアガラ社中の「ナイアガラ音頭」発売当時、盆踊りプロモーション企画に参加したかったけれど、世代的にもリアルタイムでは体験できなかった…。
そんなナイアガラーの友人も遠方からかけつけて盛り上がっていましたね。

 

「ナイアガラ盆踊り」には野宮真貴さんも駆けつけてくれました。
渋谷にほど近い地で夜の7時過ぎに、野宮真貴さんの生歌唱で聴く「東京は夜の七時~盆踊りVersion~」は格別でした。

 

ナイアガラ・エンタープライズ代表の坂口修さんが、彼女のデビュー30周年記念アルバム「30」などのプロデュースを手掛けてこられたりした縁もあって、野宮真貴さんは三夜通しての盛り上げ役を買って出てくれたようです。

 

「ナイアガラ盆踊り」は終わってみれば大成功で、主催者発表の企画名称がなぜか「第1回 ナイアガラ盆踊り」に変わっていました(笑)。
第2回以降があるのでしょうか…。

 

こうなると、次回以降は金沢明子さんに続く奇跡にも期待してしまいます。

細川たかしの歌う「Let's ONDO Again」、角川博の歌う「うさぎ温泉音頭」、リンゴ・スターの歌う「イエロー・サブマリン」…。
 

あっ、リンゴ・スターの前で盆踊りを舞ったら、ビートルズ・ファンの暴動が起きますかね?
 

今回の 詳述解説!!「ゆうがたフレンド(USEFUL SONG)」後編 の迷走と苦労で、反省し学んだことは、「専門外の歌詞の研究とビートルズの研究には手を出すな…」です(笑)。

 

長い長いお話に最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

 

次回は、中断していた「Happy Ending 全曲解説」の「れんたろうの名曲納戸的ブログ(新館アネックス)」への引っ越しシリーズを再開いたします。
そして、その「2023年追記」では、衝撃的な秘密を掘り起こしてみたいと思います。