初出:2020年4月30日
お引越し、全面改定:2022年10月13日

 

Happy Ending 全曲解説 その6 「 Happy Endで始めよう(バカラック Ver.)」

 

 

第1章 2022年版新考察「Happy Endで始めよう」 New!
 その1  多幸福の謎 ~ジス・イズ・多幸福
 その2  作曲の秘密 ~ジス・イズ・大瀧詠一
 その3  曲名の意味 ~ジス・イズ・バンナイタラオ

    
第2章 ただ一つの作為、一音上げ 加筆・改定版

 

 

今回の第1章は、2020年版のコンテンツをばっさりカットし、2022年版の新考察を書きおろしでお届します。(第2章も加筆・改定版です。)

 

「Happy Endで始めよう」は、アルバム「Happy Ending」で“バカラック・バージョン”と銘打って収録されました。
“バカラック”といっても、その実はファンによく知られた“草津バージョン”。

 

2020年のブログ初稿当時も、「そうだ 草津、いこう。」というタイトルで「Happy Endで始めよう」の回をまとめました。
大滝詠一さんはこの曲を、エンディングの「温泉芸者」のオチに向けて、お遊び感覚をいかし軽いノリで作ったのだ…。
そう解釈してのことでした。

JR東海のテレビCM、「そうだ 京都、いこう。」をもじって「そうだ 草津、いこう。」のフレーズを捻りだしたものの、そもそも、JR東海沿線の以外の方には馴染み薄く、理解いただけなかったのです…。

 

初心に立ち返った “2022年版新考察「Happy Endで始めよう」” では、なぜこの曲名なのか、なぜこのCDジャケットなのか、なぜこのカップリングなのか…と、あらためて考えてみました。

 

折しも、「大瀧詠一(通称、ファースト)」の50周年記念盤リリースの発表や、はっぴいえんど関連のサブスク解禁のタイミングに重なり、それらが今回の考察へヒントを与えてくれたような気がします。

 


第1章 2022年版新考察「Happy Endで始めよう」

■その1 多幸福の謎

~ ジス・イズ・多幸福 ~

 

多幸福の「多(おおの)」という名字は、多忠修氏の名前からヒントを得たものです。

 

多忠修氏はバンドの指揮者をしながら、映画音楽なども手掛けました。

 

大滝詠一さんとの関わりでは、トニー谷の「さいざんす・マンボ」などの作・編曲者である、というところが大きなポイントになるでしょう。

 

'80年代に厚家羅漢の名義で大滝さんによってミックスされたトニー谷の「サンタクロース・アイ・アム・橇」は、「ジス・イズ・スペシャル・ヴァージョン」と題してプロモ盤になりました。

この曲で原曲の「ジングル・ベル」を上品に編曲していたのも、多忠修氏でした。

●トニー谷 「サンタクロース・アイ・アム・橇」(←クリックしてお聴きください)

 

1987年に大滝さんがプロデュースしたアルバム「ジス・イズ・ミスター・トニー谷」は、ちょっとした“トニー谷ブーム”を巻き起こしたものです。

 

「多(おおの)」という姓は代々雅楽の家系であり、多忠修氏も宮内省楽部楽生を経てジャズの道へ転身しました。
【こちらのページ】で華麗なる「多」一族を辿ることができます。

雅楽研究所「研楽庵」より

 

トニー谷のブームから10年を経た'97年になって、大滝さんはなぜ、「幸せな結末」や「Happy Endで始めよう」の作詞者名に「多(おおの)」姓を用いたのでしょうか。

 

大滝さんはこの間に、'94年に設立されたダブル・オーレコード(Oo RECORDS)の取締役に就任していました。
あの川原伸司(平井夏美)さんも同じく役員を務めました。

 

プロフェッショナルなプロデュースの手腕を発揮することを期待されていた大滝さんですが、ダブル・オーレコードは短命に終わりました。
そのダブル・オーレコードのごく短い稼働期間にリリースされたのが、Yoo-Looレーベルを冠してのアルバム、「大瀧詠一」でした。

大滝さんの名前にちなんだダブル・オー( Oo )という会社が大滝さんのために用意されて、特に “周年記念” でもない'95年3月に、大滝さんのソロ・1stアルバム「大瀧詠一」はリリースされたのでした。

 

同じ'95年のお正月からはアニメ『ちびまる子ちゃん』で大滝さんの手掛けた主題歌が流れ、その時のプロモーションの一環“ナイアガラ宣言”で、大滝さんの“活動再開”が高らかに謳われました。

 

この当時、「始まりは終わり、終わりは始まり」という謎のお題目のような言葉が、大滝さんから語られたものです。

 

結局、『ちびまる子ちゃん』への主題歌提供や渡辺満里奈へのプロデュース活動からは、'80年代のようなナイアガラ・サウンド・ブームは再燃しませんでした。

「うれしい予感」、「針切じいさんのロケン・ロール」がお茶の間で流れたのも1年半限りでした。

 

そして、ダブル・オーレコードは、'97年には“閉店ガラガラ”に至ります。

 

'97年11月に、そんな経緯をふまえて登場してきたのが「幸せな結末」、「Happy Endで始めよう」だったのです。

「幸せな結末」の発売後、しばらくして大滝さんから出たのは、“これが売れなければ引退するつもりだった”という発言。

 

ダブル・オー( Oo )をたたんで、新曲がセールス不振ならば自らも引退、という状況…。

 

これはちょうど、会社(ナイアガラ・エンタープライズ)を事実上たたんで、「ロング・バケイション」が売れなかったら引退か…という、背水の陣だった大滝さんの “ロンバケ前夜”期に似ています。

 

そんな最中でしたから大滝さんは、“多幸福”という多幸感あふれる字面とは裏腹に、引退の口上も考えて

“オー( Oo )の降伏”

という別れのサインを、その名に忍ばせておいたのかもしれない…。

 

当時はそんな説を私、唱えてみたものでした。
ちょっと“飛ばしネタ”気味だなぁとその頃は自嘲半分だったものです。

 

でも、これ、もしかして半分くらいは当たっていたのかも…。
今ではそう考えるようになりました。

 

多忠修氏は、「幸せな結末」「Happy Endで始めよう」の前年、'96年に82歳で亡くなっています。
大滝さんはどこかでその訃報を目にしたのかもしれませんね。

 

 

■その2 作曲の秘密
~ ジス・イズ・大瀧詠一 ~

Happy Endで始めよう」を大滝さんがどう作曲したかをあらためて解析してみると、大滝さんの極めて明確な意思が伝わってきました。
 

Happy Endで始めよう」は一聴すると、大滝さんの「ウララカ」に雰囲気が似ています。

 

大滝詠一 「ウララカ」(1972.11.25)

 

♪ アウ― ラ ラ ラ 」のコーラスを担当するのは、“大団円合唱団”こと大滝詠一、細野晴臣、鈴木茂、鈴木慶一の皆さんです。
松本隆氏はドラムで参加しています。
 

“はっぴいえんどっぽさ”を排した大滝ワールドのポップスでありながら、はっぴいえんどのメンバーによって奏でられているのですね。

 

この「ウララカ」は、フィル・スペクターが手掛けた「ハイ,ロン・ロン」と基本的に同じ作りになっています。

●ザ・クリスタルズ 「ハイ,ロン・ロン (Da Doo Ron Ron)」

(↑クリックしてお聴きください)

 

「ウララカ」と「ハイ,ロン・ロン」は当然ながらコード進行も同じです。

 

前述の「ウララカ」のコーラス、「♪ アウ― 」の部分はデイヴ・クラーク・ファイヴの「オーバー・アンド・オーバー」からの引用です。

●The Dave Clark Five 「 Over And Over 」 (←クリックしてお聴きください)

 

では、「ウララカ」や「ハイ,ロン・ロン」と雰囲気が似ている「Happy Endで始めよう」は、どう作曲されているのでしょうか。

 

大滝詠一 「Happy Endで始めよう (バカラック Ver.)」
 

まずは、「ウララカ」と「Happy Endで始めよう」の前半を比較すると…。
 

「ウララカ」でいうところの「♪ 表通りには人垣 (ウラウラウラウラ ウラー)」から「♪ ネコも杓子も鈴なり (ウラウラウラウラ ウラー)」まで、

Happy Endで始めよう」 の「♪ いつかどこかでー たぶんおそーらく」から「♪ あーまいささやき 愛のうたー 流れてる」まで。

 

比較の便宜上、Dのキーで統一すると、両方とも「 D / G / A  / D 」で同じ。


続いて、同様に両曲の後半を比較してみます。

 

♪ ウーララカー」から「♪  ウーララカー な表通りで~す」まで、

♪ I love you, you love me」から 「Happy end, happy end はっぴいえんどで始めよう」まで。

 

ここも、「 D / G / D / A 」 ~ 「 D / G / A (D-A) / D 」で同じ。

 

つまり、「ウララカ」と「Happy Endで始めよう」は、“なんとなく雰囲気が似ている”のではなく、コード進行が“同じ”なのです。(後者はサビで一音上がっていますが、それについては第2章で。)

 

大滝さんは「Happy Endで始めよう」の制作時、やろうと思えばいくらでも「ウララカ」から派生させたバリエーションを作れるのに、敢えて “「ウララカ」そのまま” にしたのです。

 

Happy Endで始めよう」は「ウララカ」じゃければいけないんだ、という大滝さんの明確な意思が感じられるのですね。
その“意思”については、次項「その3 曲名の意味 ~ジス・イズ・バンナイタラオ~」でふれます。

 

 

■その3 曲名の意味
~ ジス・イズ・バンナイタラオ ~

Happy Endで始めよう」の草津バージョンことバカラック・バージョンが流れたのは、ドラマの第6話でした。

●『ラブ ジェネレーション 第6話』(当該箇所頭出し済み)(←クリックしてご覧ください)
 

実は、“混浴温泉”の舞台は草津ではなく、伊東温泉 サンハトヤだったのです。

だから、草津バージョンではなくバカラック・バージョンに改題した…、というわけでもないと思いますが…(笑)。

 

『ラブ ジェネレーション』で主人公の二人は最終的にハッピーエンドを迎えます。
ドラマ終了後の翌春'98年4月には、全11話の総集編と後日談部分を足した特別番組『ラブジェネレーション'98 ハッピーエンドから始めよう! 』も放送されています。

 

ドラマのストーリーをふまえて、大滝さんが「Happy Endで始めよう」という曲名にした…。
これ、表向きの理由としてはありでしょうが、大滝さんは別の意味も込めていたのでしょう。

 

先述の “売れなかったら、引退” という発言もあったことから、当時「Happy Endで始めよう」という曲名を聞いて思ったのは、「幸せな結末」のソロ作品でセールスがこけたら、はっぴいえんどの再結成でもするつもりなのだろうか?…というもの。
もちろん、そう単純な話ではありません。

 

ここで注目したいのは、はっぴいえんどの解散コンサートです。


はっぴいえんどは'72年いっぱいで実態としては解散していたのですが、翌年9月になってから“解散コンサート”が開催されました。
はっぴいえんどのメンバーが各々、解散後の新たな活動に関わる新人や新曲を披露するという、いわば各自の威信をかけたステージでした。

●「空とぶ・ウララカ・サイダー」~『CITY - LAST TIME AROUND』(1973.9.21)より~
(↑クリックしてお聴きください。当該部分の頭出し済み)

 

解散コンサートでひときわ喝采を浴びたのが、この「ウララカ」を含むメドレーが披露されたときでした。


はっぴいえんど活動中から人気だったシングル曲「空飛ぶくじら」、テレビで流れて話題のCMソング「サイダー73」。
そして、それらとともにセレクトされた「ウララカ」は大滝さんにとって意味ある曲だったのでしょう。

 

「ウララカ」のコーラス「♪ アウ― ラ ラ ラ」の「♪ ラ ラ ラ」の部分は、はっぴいえんどの「はいからはくち」のシングル・ヴァージョンの「♪ はいからー ら ら ら」に由来しています。

 

そう、「はいからはくち」は「12月の雨の日」のカップリングだったシングル・バージョンの方が、アルバム・バージョンよりも先に世に出ています。

 

はっぴいえんど 「 はいからはくち (シングル・ヴァージョン) 」 (1971.4.1)

 

一般には「♪ ハーイ、ジス・イズ・バンナイ・タラオ」で始まる、アルバム・バージョンの方が馴染まれているかもしれません。
リズム・パターンやアレンジがシングル・バージョンとは大きく異なっていますね。

※2ndアルバム「風街ろまん」(1971.11.20)収録

 

●はっぴいえんど 「はいからはくち  (アルバム・ヴァージョン) 」(←クリックしてお聴きください)

 

この「はいからはくち」は、はっぴいえんどの活動後期にはシングル・バージョンのリズムでステージで演奏され、なんとメロディも「ハイ,ロン・ロン」調に変えて歌われていたのです。

 

大滝さんもライナーノーツでこう解説しています。

 

72年にはフィル・スペクターの「DA DOO RON RON」のコード進行とサウンドで「はいから」の詞を乗せたバージョンをステージで演奏していました。

 

大滝さんが解説するそのバージョンのいわば “再現” を聴けたのが、ファースト「大瀧詠一」とナイアガラ・レーベル作品をひっさげてのライブ、「ファースト・ナイアガラ・ツアー」でした。
大滝さんは '77年6月に全国5会場を巡っています。

 

「ファースト・ナイアガラ・ツアー」での「ウララカ~はいから~ロンロン~サイダー」と題されたメドレーでそのバージョンが再現されており、その10年後の'87年6月には、吉田保さんによるリミックスを得て「 DEBUT SPECIAL 」に収録されました。
 

●「ウララカ~はいから~ロンロン~サイダー」(「 DEBUT SPECIAL 」より)

 (↑クリックしてお聴きください。当該部分の頭出し済み)

 

ここで再び、大滝さんの解説から。
 

その(「はいからはくち」の)「DA DOO RON RON」バージョンのサウンドとメロディーが同じで歌詞を変えたのがこの「ウララカ」です。

 

すなわち。

クリスタルズの「DA DOO RON RON」」

直接「ウララカ」へ

ではなく…。

 

「はいからはくち(シングル・バージョン)」

 はいからはくちの詞を「DA DOO RON RON」」のメロディに乗せる

「ウララカ」

 

という経緯を辿っていたのです。

 

Happy Endで始めよう 」は、この「ウララカ~はいから~ロンロン~サイダー」のメドレーの世界を新曲にしたものだと言えそうです

 

“はっぴいえんど解散コンサート” と “ファースト・ナイアガラ・ツアー” そして “デビュー・スペシャル”…。
 

これらを経て生まれてきた「Happy Endで始めよう」は、だから、言い得て妙な曲のタイトルだと言えるのですね。

 

ここで思い出すのは「その1  多幸福の謎」の項で取り上げた、「始まりは終わり、終わりは始まり」という大滝さんの言葉。

“引退覚悟だった”という「幸せな結末」の曲中には、大滝さんがデビューを目指したコンテストで歌った「メアリーへのメッセージ」が織り込まれています。


Happy Endで始めよう 」にも同じような意味合いの仕掛けが組み込まれていると思うのです。

 

“「幸せな結末」での完結” とは裏腹に、「 Happy Endで始めよう 」では、はっぴいえんどを経て大滝さんのソロ活動が始まっていく経緯を曲にした「ウララカ」を下敷きにしているのですから。

 

そこには、“オー( Oo )の降伏” どころか、背水の陣でも退かない“不退転の決意”が込められているような気もします。
その思いは「恋するふたり」のときに披露された「戻 Return 」の一言に結実しているのかもしれません。

 

本項「曲名の意味 ~ジス・イズ・バンナイタラオ~ 」の最後に、大滝さんの「ウララカ」についての解説から、“あふれんばかりの想いの吐露” と思える部分を引用しておきましょう。

 

この曲(ウララカ)の元が〈はっぴいえんど〉時代の「はいからはくち」であり、更にこの曲が〈はっぴいえんど〉から大瀧詠一へのソロへのきっかけとなった作品であることを記すために、メンバーでコーラスを行ったり、間奏をサックスではなくギターにしたのです。

 

Happy Endで始めよう 」の作曲者の表記が、 “大瀧詠一” ではなく “多羅尾伴内” になっているのも、この大滝さんの解説のような経緯をふまえてのことなのかもしれませんね。

 

 

第2章 ただ一つの作為、一音上げ

ドラマ「ラブ ジェネレーション」の演出を務めた永山耕三さんから、

「草津へ行く話があります」

と聞くやいなや、

「さらにもう1曲つくったよ」

と即座に曲を仕上げた大滝詠一さん。

 

作詞は、「幸せな結末」と同様、二人の共同作業で進められました。

 

Happy Endで始めよう」は、ドラマの第6話で流れた草津バージョンの方が、市販バージョンよりも先に作詞されたのです。

 

歌詞はこんなふうにドラマのストーリーに沿ったものになっています。

 

♪ 今年のふーゆは 草津に行こう

  わがままなー君 口ずさむ バカラック

  雪降るよーるは ワルツを踊ろう

  あーまいメロディー 僕からのプロポーズ

 

ドラマのモチーフとして大滝さんが提案した「 True Love Never Runs Smooth 」というフレーズは、ジーン・ピットニーが歌ったバート・バカラック作品のタイトルでもあることから、歌詞に“バカラック”が登場しています。

 

バート・バカラックの曲は、転調が多用されたり、ワルツが多いのが特徴です。

 

「ワルツを踊ろう」という歌詞は、そんなイメージから生まれたのかもしれません。

 

バート・バカラックのワルツの有名曲には、ジャッキー・デシャノンの「世界は愛を求めている」や、 トム・ジョーンズの「何かいいことないか子猫チャン」などがあります。

 

ここでは、バカラックのワルツのうち、ジャック・ジョーンズの「素晴らしき恋人たち( Wives & Lovers )」(1963年)に注目したいと思います。

 

フランク・シナトラやアンディ・ウィリアムスもカバーしており、スタンダード・ナンバーの味わいがあります。

 

Jack Jones 「 Wives And Lovers 」

 

この曲の特徴は、ワン・コーラスの中で“1音上げ”の転調をしていることです。

 

歌いだし0:060:16のところ、すなわち「 ♪ Hey! Little Girl ~ 」の部分の旋律がそのまま…、

 

続く0:170:27のところ、すなわち「 ♪ Don't think because ~ 」の部分で、1音分上へスライドしているのです。

 

コード進行(ギターのカポ1での表記)を見ると、一目瞭然です。

 

大滝さんは、これと同じようにHappy Endで始めよう」のワン・コーラス中、サビのタイミング(前章の動画の 0:40~、1:23~、2:36~ )でキーをメジャーからBメジャーへ1音分上へスライドさせているのです。

 

かつて、これと同じような“1音上げ”を、大滝さんは「君は天然色」のサビでもやろうとしていました。

 

「 A LONG VACATION VOX 」のDisc-3に収録されているロンバケ・セッション音源を聴いて確認してみましょう。

 

「君は天然色 (Original Basic Track) 」(0:00から5:15まで)

 

「君は天然色」のサビでの“1音上げ”というアイデアの基になったのが、ロイ・ウッドが率いたバンド、ウィザードの「 See My Baby Jive 」(1973年)という曲でした。

Wizzard 「See My Baby Jive」

 

「 See My Baby Jive 」は、幻となった前述の“1音上げ”版の「君は天然色」とまったく同じで、Dのキーで歌が始まり、サビでEのキーに1音分スライドしています。


サビで1音上がってしまうと、2番の始まりで元のキーに戻ってくるのが難しくなりますが、「 See My Baby Jive 」の1:14~のところでは…、

「 ♪ ジャンジャン ッジャ、ジャン 

とAのコードを鳴らして、強引にEのキーから元のDのキーへ戻っています。

 

大滝さんは「君は天然色」で、この“上がってまた戻る”というのをやりたかったんですね。


“上がってまた戻る”バージョンを再現した「君は天然色」を、大滝さんのボーカルとともに聴いてみましょう。

●大滝詠一 「君は天然色」(ボーカル入り・上がって戻るバージョンの再現編)

(↑クリックしてお聴きください)(当該部分の頭出し済み)

 

「君は天然色」で完遂できなかった “サビでの1音上げ” を、大滝さんは「 Happy Endで始めよう 」で果たしたことになります。

 

 

さて、ここからは、“1音上げ”のナイアガラ余話です。
 

取り上げる曲は、大滝さんの「サイダー79(サンシャイン・ガール)」です。

 

この作品は「 ナイアガラCMスペシャルVOL.1 」の30th 記念盤に初収録されました。

 

以下の「 NIAGARA CM SPECIAL Vol.1 3rd Issue 30th Anniversary Edition 」の試聴コーナーで、「サイダー79」をほぼフルコーラス聴くことができます。(いずれも26曲目です)

 

●HMVの試聴ページ

 

●TOWER RECORDSの試聴ページ

 

「サイダー79」は ザ・パレードの「サンシャイン・ガール」(1967年)をカバーしたものだと、大滝さんは明かしています。

 

ザ・パレードのメンバー、ジェリー・リオペルといえば、フィレス・レコードと外部プロデューサーとして契約し、フィル・スペクターの代役としてプロデュースも手掛けたりしていた実力派です。

 

ザ・パレードの「サンシャイン・ガール」は、サビの途中で から半音で3つ分あがって一気に  にスライドしているのです。

 

The Parade 「 Sunshine Girl 」

 

0:32~でサビが始まり、0:45~のところでAメジャーからCメジャーへ上がっています。

 

大滝さんは、“カバー”したと謙虚に言っていますが、「サンシャイン・ガール」は「サイダー79」の“モチーフ”程度に使われていると言ってよいでしょう。

 

本家「サンシャインガール」は、半音で3音分上がったまますぐには戻ってこないのですが、「サイダー79」で特筆すべきところは、上がった直後に“戻っている”ところです。

 

すなわち、こんなふうに。

 

♪ き・み・は、

 

♪ 透明ガール 透きっ通る~

 

♪ 透明ガール 透きっ通る~(2回目で上がって…)

 

♪ 透明ガール 透きっ通る~(3回目で元のキーに戻る

 

「サイダー79」が録音されたのは、'78年11月24日のことでした。

 

その2年余り後に “上がってまた戻る” アイデアを活かして、大滝さんが “ナイアガラ的再生術” で「サイダー79」をリボーンさせた曲がありました。

太田裕美さんへ提供した「ブルー・ベイビー・ブルー」がそれです。

 

太田裕美 「ブルー・ベイビー・ブルー」

 

  Cm7 / F7  | Cm7 /  F  

元気だせよ  Baby blue (Cm→Dbmを挟み…)

 

  Dm7 / G7 | Dm7 /  G7 

淋しそうな  Baby blue (ここで上がって…)

 

  Cm7 / F7  | Cm7 /  F 

もしかすると Baby blue (ここで戻る

 

 

「サイダー79」でのアイデアが、'81年3月21日発売の「恋のハーフムーン / ブルー・ベイビー・ブルー」で成就したわけですね。

 

とあるナイアガラーの友人は、このシングル・レコードを見かけるとほおっておけないようで、なんと、25枚保有しているそうです。

「迷子を保護する感じ」なんだそうです。

 

太田裕美さんは、まさに“戻る”べきところへ戻ったのかもしれません。

 

“戻る” といえば…。

 

Happy Endで始めよう 」では、小間奏で「ウララカ」の中の「オーバー・アンド・オーバー」の要素を使って、転調したサビから元のキーに戻っています。


大間奏では、「君は天然色」の間奏と同じ階段上りのコード進行を経て、「オーバー・アンド・オーバー」の影響下のハーモニカが巧みなワザを披露。
そして、「はいからはくち(シングル・バージョン)」のイントロで聴かれるフレーズをきっかけにして、元のキーに戻って歌が続きます。
 

自身のソロ活動のきっかけになった「ウララカ」の要素を、そのまま下敷きにして作られたのが「 Happy Endで始めよう 」。

 

大滝さんがそこへ加えた、ただ一つの作為は “サビでの1音上げ” です。

 

ただ、それだけでなく “戻る” ことも大事な要素なのですね。

しからば、「 Happy Endで始めよう 」は “ナイアガラの原点回帰” を表現した曲といえるのかもしれませんね。