「僕と結婚してもらえませんか」
今夜のデートの雰囲気から、そういう話が出てくるかもしれないというのは察していました。
「嬉しい。でもね……」
ですからそう言われた時の返事も、きちんと彼女は用意していたのです。
「条件?」
「うん」
「どんな?」
「結婚しても、いま私が住んでいる家で暮らしたいの」
彼女が一人暮らしである事を、彼は知っていました。
ですから、実家に残って親や家族の面倒を見なければならないという理由ではない辺りまでは思いが回ったのですが、
「よかったら、これからウチに来てみない?」
彼は疑問符を頭に並べたまま、彼女の家へ行くことにしたのでした。
都市郊外に位置するその家は、深い緑に囲まれた閑静な庭付き一戸建ての日本家屋。
と言うと聞こえはいいですが、築六十年を越える物件です。
部屋数はそれなりにあり、一人暮らしとしての広さは十分過ぎますが、家そのものがボロボロであるため家賃は格安。
付近に住宅はありますが、ここまで古いのはこの一件だけ。
お隣さんは歩いて一分。少々騒いだところで怒られる事はなさそうです。
「会社の近くで、もっと良い物件もあるだろうに」
「もちろんあったわよ。でも今はここでないとダメなの」
玄関引き戸の建て付けが悪いのは当たり前。
中に入り彼が土間の沓脱石を観察していると、彼女は奥に知らせる感じで自然な挨拶をしました。
「ただいま~」
「えっ?誰かいるの?」
日本家屋は、間取りによっては、襖を取り払い大きな広間にすることも出来ます。
そんな風につながった居間、客間、各部屋の電球ひとつひとつに手を掛け点灯していると、部屋の奥から、隅から、ワラワラと人影が集まってきました。
「おかえり~」
「おかえり」
「やぁ、彼氏さんだね。いらっしゃ~い」
「あ、どうも…………って、何なの!? 彼らは!」
振り返って彼女に疑問を投げかけた彼の瞳は真ん丸になっていました。
思い通りの反応に、彼女はしてやったりと誇らしげです。
「彼らはこの家の先住民よ」
「先住民?」
「そう。私が来たときにはすでにこの家にいたの」
「そんな物件を紹介されたわけ?」
「でもね、彼らはここにいるだけで、ここで暮らしているわけじゃないのよ」
「どういうこと?」
「彼らをよく見て」
そう言われて目を凝らそうとした時、彼の体をその一人がわざと通過して行きました。
「な……お化け!?」
裏返る声と全身に現れた鳥肌を見て、一同は笑顔になっていました。
「そう。ようするにここは‘いわく付き物件’だったの」
「おいおいおいおい」
「大丈夫よ。今から彼らの催しが始まるわ。ちょっとここに腰掛けて拝見しましょう」
そう言うと彼女は、彼を広い居間の隅に置かれたソファーに座らせました。
「えっ? 催し?」
自らは冷蔵庫から飲み物を取り出し、二人分のコップを用意すると、彼の隣に座ります。
それが今宵の催し物、始まりの合図。
居間の電球が不思議な力で暗くなった後、間を置いて明るくなっていきました。
彼らはこの家を使って演劇の稽古をしていた劇団員たちでした。
随分前の事になりますが、ここからバスで劇場に向かう途中、全員が事故で亡くなってしまったのです。
それは劇団の行く末を決めるとても重要な公演の、直前の出来事。
あまりに多くの思いを募らせたまま亡くなったがゆえに、彼らはなんと、体とは別に思念をこの地に留まらせてしまったのでした。
「すごい、すごすぎる。こんな素晴らしい舞台を見たのは産まれて初めてだ」
その公演当日に彼らが演じるはずだった演目を、彼はたった今ここで見たのです。
「彼らは本当に幽霊なのか?とてもそうは思えなかったけれど」
上演の後、劇団のみんなは姿を消し、何十もの畳が敷き詰められた空間が広がるだけでした。
「私はこの演目は二度目。いつもはもっと短いのよ」
「いつもって?」
「毎日」
「毎日演目が違うのか?」
「普段は昼にテレビでやっているドラマや映画を彼らが見て、それを夜に演じてくれるの」
「それが楽しみで、この家を出たくはないと」
「そうなの」
翌日、翌々日も、彼はこの家を訪れ、彼女と一緒に彼らの舞台を楽しみました。
小道具こそ、その家にある物を使っていましたが、仕草や視線だけで、そこがどんな場所なのか、どういう状況なのかを想像させる演技力ときたらどうでしょう。アカデミー賞級の有名俳優にも劣りません。
それがこの家に暮らす者だけしか見られないというのでは、あまりにももったいなく、彼らも報われないような気がして寂しい限りです。
どうにか上演の機会を与えてあげられないものかという思いが募るのは、ごく自然な事でしょう。
しかし彼らは、この家に思念を募らせたまま留まり続ける地縛霊。
この地を離れて活動はできないのです。
「彼らの演技をビデオに収められないかな?」
「やってみたこともあるけど、時々彼らの体が透けてダメだったのよ」
「問題は照明にあると思うんだ。バックは暗幕にして、光の位置を調整すれば、なんとかなりそうな気はするんだ」
幽霊達と相談し、何日か後に暗幕と照明、それにビデオカメラを三台用意して演技を撮影してみました。
彼の思惑は的中。
背景が黒なので体を通過して写り込むものがなく、姿が消えそうになっても編集でカメラを切り替えれば、そのシーンを上手につなぐこともできたのです。
「これを動画サイトにアップしてみないか?もちろん彼らの許可を得た上で」
「いいと思うけど……」
「けど……、何?」
「世間の反応が良いのを知ったら、彼ら、満足して成仏しちゃうんじゃない?」
楽しみが奪われるのではないかという彼女の心配を余所に、動画の視聴回数はアップロードされる本数に比例して増え続け、徐々に世間の話題にも上るようになっていきました。
『劇団幽霊』と検索すると、様々な評価を見つけることもできます。
そんな彼らの演目の脚本を書いていたのは、実は彼女でした。
数多あるコンテストに応募して、箸にも棒にも掛からなかった小説ですが、内容が決して面白くなかったわけではありません。
今は素人玄人、星の数ほどの物書きが、ネットを通じてしのぎを削る時代なのです。
百万、千万の応募作品の中から選ばれるというのは、希有としか言いようがないのかもしれません。
動画に対し、
>おもしれ~
とか、
>この役者さんすごい
というコメントに混じって、
>シナリオ最高!
といった書き込みが入ると、俄然彼女のやる気にも火が着くのでした。
いつしか『劇団幽霊』に公演の依頼まで舞い込むようにまでなっていきました。
ただ、言うまでもないことですが、それらに対してはお断りせざるを得なかったのです。
例えば劇団員の個々の本職が多忙なため、などと付け足して。
ところが、そういった依頼の中に、しつこくてしつこくて、けれどもどうにも気になるものが混じっていました。
「ねぇ、この人またメール来てるわよ。どうしても演出を担当させて欲しいですって」
「本物かなぁ。超有名な舞台監督から直々にメールなんて」
「劇団のみんなに聞いたら、そんなに有名な監督さんなら、一度演出をお願いしてみたいって言ってたけど」
「じゃあ、僕たちが一度直接お会いして話をしてみようか」
「演出はできても、無観客でしか上演できませんっていったらどう思われるかしら……」
お互いに日程を都合し合い、監督がここを訪れたのはそれからひと月ほど後の事でした。
テレビで拝見した通りの、モフモフに蓄えた髭と刻まれた深いしわ。厳しそうでもあり、優しそうでもあるお顔は、演劇人として無数の人生を経験してきた有様がにじみ出ているようです。
そんな大監督も『劇団幽霊』の名が伊達ではない事を知ると、さすがに動揺を隠せずにはいられないようでした。
ただ、幽霊ゆえに自在に出たり消えたり出来るのを見るや、
「舞台裏を通らずに移動出来るのなら、SFX(特殊効果)として使えるな」
など、新たな可能性まで見い出すあたりはさすがとしか言えません。
しかし、それ以上に監督を驚かせたのは、劇団員の演技力の高さです。
監督の指示を的確に理解し、変幻自在な感情表情で応える技術を見せつけられると、芝居素人の二人でさえ驚かずにはいられません。
劇団にすっかり惚れ込んでしまった監督は、すぐに新しい作品に取りかかる事を決めました。
しかも空き部屋がたくさんあるのを知ると、その日のうちからこの家に泊まり込みを決定。
それを聞いた彼もまた、結婚前の彼女に何かあってはいけないと、同じくすぐに同居を決めたのでした
そんな監督は相当なヘビースモーカーで、喫煙所を探さなければならない都市部と違い、どこでもタバコが吸えるというのが、実はココを気に入った理由のひとつでもあったようです。
稽古は翌日から始まりました。
脚本は彼女の小説をベースに監督が手を加えます。
舞台をネットで有料生配信する事も決まり、広告も打たれたのでした。
知名度が上昇しつつある劇団幽霊と、日本を代表する舞台監督とのコラボレーションとあって、ネットで話題に上がる回数も日に日に増えている状況です。
生配信の準備も含め稽古期間は一ヶ月。
熱が入るにつれ、監督のタバコの本数も増えていきますが、幽霊たちは副流煙も気になりません。
より良い撮影、録音をするために専用の機材も持ち込まれましたが、劇団幽霊の秘密を公開出来ない以上、スタッフはこの家に暮らす三人だけ。
必然的にアシスタントにされた二人は、ネットの操作、機材の操作に慣れるのに必死です。
そして、何度ものリハーサルを経て迎えた本番当日。
公演は大成功。
幽霊の劇団員たちも、技術担当の三人もかつてない緊張から解放され、心地よい疲労感に浸っていました。
視聴者数は目標数に達し、感想も続々届いています。
これからも録画配信で視聴回数は伸びていくことでしょう。
その夜は酒も飲めない、料理も食べられない幽霊たちと一緒に、打ち上げパーティーが行われました。
「劇団幽霊の未来を祝して、かんぱーい!」
ビールが注がれたグラスは三つだけでしたが、沢山の笑顔と満足感に包まれた宴となったのでした。
ところがその夜のこと。
灰皿に山積みにされていた監督のタバコが元となり、火事となりました。
古い木造家屋は火の回りが殊の外早く、高価な機材一式を運び出すのが精一杯。
あっという間に家は完全に炎に包まれてしまったのでした。
「あぁ、劇団のみんなが……」
「あぁ、俺たちのマイホームが……」
「あぁ、あたしの家財道具一式が……」
現場検証の後、黒焦げの骨だけになった家をいつまで見ていても、幽霊たちが帰ってくることはありませんでした。
「とても良い舞台だったのに、私のせいで彼らにも、君たちにも本当に悪い事をしてしまった。申し訳ない」
「いいえ、監督。これで良かったんだと思います。本来彼らはこんなとろにいてはならなかったのですから。きっと生まれ変わってみんな新しい人生を歩んでくれることでしょう」
「初めての生公演が、最終公演になってしまうとはね。もっと活躍して欲しかったが、来世での公演に、今のところは期待するしかないな」
後日、大家に火災保険が下りたのを機に、監督はこの土地を買取り二人のために新たに家を建てる事を誓いました。
資金には今回の有料配信によって得られた収入も充てられるようです。
そして新しい家が完成するまでの間を利用し、二人は結婚式を挙げたのでした。
その後、新婚旅行から帰って来た時には、新居が完成していました。
「って、監督!これって本物の稽古場じゃないですか!」
「大丈夫。君たちの部屋は二階にちゃんと用意してある。でもって、ワシの部屋はこっちに」
「また、一緒に暮らすんですか~」
「三人だけじゃないぞ、こいつらもだ」
「げ、成仏したんじゃなかったのか」
「やはり舞台の醍醐味は満場の拍手とカーテンコールだからな。ネットの評価だけではイマイチ満足できなかったんじゃないかなぁ」
「いいじゃないの。今度は教育資金を稼いでもらいましょうよ」
「あ、まさか!」
おわり