自分は立派ではない

取り柄もない

自信なんてない

だから怖い

なんとなくうまくならないかと思ってる

相手がどうにかなればいけるのではないかと思ってる




でも本質が違う



自信なんてなくても、怖くても、

そんな自分を認めることから始まる

そしてそれでも君が好きだと、君と一緒にいたいと伝えること、表現することで変わる

その行動に移せることが真の強さであり、想いなんじゃないのか




それはどんなことでもおなじで、

勝算があるからやるんじゃない

できそうだから挑戦するんじゃない

自分がそうしたいから

それが本当の自分の声ならその声に耳を傾けて従っただけ

用意された条件で決めることではない

例えそれが前人未到のことでも、敵わない相手でも同じこと

そうしたいならそうすればいい

どんな結果でも必ずそこには爪痕がのこる

それは自分の行動の証であり、どんな結果でも誇れることだと思おう






そんな風な攻める1年にしよう


友人が私に聞いた

仕事とはなんだろうと

ここ最近は考えてなかったテーマだ

去年一年嫌ってほど考えていたことなのに



今も私自身もその答えは分からない



彼女は言った

毎日寝るために働いてるんじゃないんだけどなって



朝早くから遅くまで、仕事じゃない時間も仕事のことを考えてる

休みの日も遊んでてもなんだか感じる罪悪感

家族や友達との時間は少ない

今や大好きだった実家を離れて一人暮らし





私にとって仕事とは?トレーナーとは?




そもそもここ最近は自分がトレーナーとして今後どうなりたいかを考えていない

実際のところビジョンがあまりない

沢山の現場、対象、レベルがある中で大きなこだわりがないからだ



それは否定的なことだと聞こえるけど、いい意味でもある

何故なら、どんな場所でもどんな人でも相手が満足してくれれば、そのサービスを与えられればトレーナーとしてそれで充分だと思ったからだ

これは私がこの半年間で学んだこと

感じたこと



だからこそ今の環境に不満もなければ満足もない

自分のやるべきこと、課題、興味のあることは沢山ある

そこに日々対峙して毎日が過ぎていく

そうやってなにかしらを得ていく

そのなにかしらを得ていくことができる日々には満足している

そんな風に思えるのはきっと、トレーナーというものを仕事にしてるからだと思うから




そう考えると、仕事とは?トレーナーとは?とゆう問いに対して今自分が出せる答えってそーゆーことなんだろうな

トレーナーをしてるとなにかしらを得られるから

なにかしらを得られると感じることができるからトレーナーやってる

仕事してる

まあ、どんな仕事だってなにも得られないわけじゃないと思うからトレーナーだからってことはないけど

私がやってきたこと、知ってる世界で選んだ場所がたまたまトレーナーだっただけであって




今はもう少しこのまま、そうやってなにかしらを得ていると感じる自分を軽く見つめながら進んでいこうかな

あえて先は見ずに、もう少し目の前の相手だけを見て

漫然としてるかもしれないけどそんな自分でもいいんじゃないかと許してあげる

昔から、他の誰しもが自分のことを諦めても自分だけは自分のことを信じ続けたいと思ってる

でも完璧でもないし強くない自分だってことは認めてる
人よりも器用じゃないことも

だからこれで今はいい

きっとそれじゃだめだって思うときがほっといてもくるからそのときはダッシュする

それまではスキップくらいの感覚で



高校のときの話。



高2の末、進路を考え始める時期だったんだけど、当時は歌の専門に通うつもりだった←

歌は昔から得意だったし何よりも好きで

まあそれは今も変わらない程、トレーナーやってる時と同じくらい好き



それに、自分が死んでも声が形にもなって残っていくってのが本当に魅力的に感じてた

死んで肉体が消えるといろんなことを思い出すのが大変だけど、いちばん声って忘れられていくような気がして

だから歌いたかったし歌手ってもんになりたかったんだよね

まあ今考えればプロにならなくてもCDは作れるんだけど笑



まあそんなことはさておき、当時の自分はひどく安易だったけど笑、歌に異常に自信があったとか売れるとかそーゆーことを考えていたわけではく、
単純に歌が好きで歌いたかっただけなんだよね(..)

周りがどう見ようが関係なかった




今は別の道を進んでるけど、トレーナーもおんなじ

勝ち負けやなにが偉いとかじゃない

自分がいいと思えるものをやるのみ

足りないと感じるなら変えるだけ

変なこと考えてたらなんにもならないよなあー



そんなことをふと、ソルティライチの広告を見てたら思いました←