連絡帳を書くにあたって、

土台に持っていたほうがいい考えがあると私は思っています。

いつも意識しなくていいけれど、

なんとなく心に残っていて、必要な場面で「そういえば」

と思いだすような、かすかな記憶とでもいいましょうか。

親として持っておくとよいと思える「土台」を

海津敦子さんの本からご紹介です。

 

 

「わが子のことを伝える」ことについて

です。

 

『発達に遅れのある子の親になる②』

 

 

通常学級に障がいのあるわが子を就学させる親の中には、

「事前に話しをして変な先入観を与え、

子どもが不利な扱いを受けるようになってもよくないので・・・」

という理由で、担任にも子どもの障がいについて、何も伝えず

わが子を新しい環境に送り出すことがあります。

しかし「変な先入観をもたせてしまうと、子どもがかわいそう」

という危惧はむしろ、その子どもへの理解を遅らせ、

子どもに困難な状況での生活を強いることにつながる危険性のほうが高くなります。

 

子どもというのは、周囲の友達は理解しているのに、

自分だけが「わからない」「できない」ということを先生に

伝えずらいものです。

その代わりに「いまはやりたくない」といったふざけた態度や言葉をとってしまい

そのため先生からは「わがままでやらない」といった誤解を受ける結果となり、

周囲の子どものからかいの対象にされやすくなります。

 

つまり、子どもの障がいについて親が語らないということは、

現実には、さまざまな憶測を担任や周囲の保護者にもたせてしまうきっかけにもなります。

「親のしつけがなっていない」とか「子どもの障がいを認めたくない親」と

陰でささやかれ、「子どもがかわいそう」と思われるだけにすぎないことが多いのです。

 

 

障がいのある子どもは、やはり典型的な発達をする子どもとは

多少なりとも「違い」がありその子に応じた特別な支援が必要なのです。

 

例えば、知的には問題ないけれど、席にすわっていることや、

列に並んでいることが苦手なことや、

絶え間なくしゃべりつづけたり、

集団で行動することが不得手で話し合いに参加できない。

場の雰囲気を読めずにその場にそぐわない行動をしてしまったり、

思い通りにならないとすぐにキレて怒ってしまう。

衝動的に行動しているように見えることが多い。

特定の物や順番にこだわったり、

忘れ物を頻繁に繰り返してしまうなどなど、

何かしらの「違い」が出てくるものです。

 

その「違い」は周囲にはちゃんと見えています。

周囲の親や、子どもを介して伝え聞いたり、授業参観などの様子から、

障がいの可能性を感じるようになります。

けれど、その子どもの親自身の口から「障がい」ということを前提とした話がないと、

なかなか理解しずらく、「違い」に対しての戸惑いが、いつしか恐れにふくらみ、

逆に排除の気持ちへとつながっていくこともあります。

周囲の子どもたちは、親にさまざまな質問をします。

そのとき、どう答えてもらうか、その答えしだいで、

子どもの学校生活はずっと厳しいものいなってしまうこともあります。

 

 

先生も周囲の親たちも、子どもたちが違いのある子のことを

批判的に話したり、不思議さを感じている時に、どう説明すればいいのか、

どう話をすればいいのか、案外困っているものです。

「あの子は何か違う」「障がいでは?」と感じても、

その子の親に面と向かって

「お宅のお子さんは、何かしら特別な支援が必要なのではないですか?」

「専門の先生には見てもらっているの?」

「うちの子どもにどう話せばよいかしら?」

などと、「障がい」を連想させるようなことは、ほとんど言ってきません。

担任でもなかなか言えないほどですから、周囲の親たちであれば、なおさら、

表面上は沈黙しています。

当の親が何も言っていないのに、自分たちが尋ねたら

「わが子を障がい児扱いされた」と激怒されるのではないか、

「傷つけてしまうのでは・・・」

「人権侵害だと訴えられるのではないか」とすら思うのです。

 

 

周囲の親は、親みずから子どもの障がいを口にしてくれて初めて、

その子どもに必要な支援や配慮、理解のための疑問を、

ざっくばらんに語り合うことができるようになります。

多くの子どもとの違いが障がいに起因するものであることを

はっきりと親の口から聞けると、

「育て方では・・・」「親が障がいを認めないために・・・」

といった批判的な目や誤解を、暖かい見守りへと変えるきっかけになります。

 

 

(わが子のことを伝えることは)周囲の親が学校生活での問題解決に向けた理解者になり、

協力者になっていく下地にもなります。

「障がい」という言葉を伏せたままで話をすると、周囲の人々は理解できず、

批判や誤解を進行させるだけになることもあります。

「障がい」という診断を受けているなら「発達に遅れがあって・・・」

などといった曖昧な表現より、他の子どもとの違いを「障がい」という言葉を使って

説明したほうがずっとわかりやすいのです。

 

 

さらに「うちの子どもは普通です」といった姿勢を長くつづけたあとに

「障がいがありますので、どうぞご理解ください」と同意を求めても

「もっと早く認めてくれれば授業崩壊には至らなかったのに・・・」

などといった批判は鎮まらず、

かえって時間もエネルギーも必要になってしまうことがあります。

何より、障がいのある子どもへの手立てが遅れ、本人が混乱したり、

困ることが多くなってしまいます。

 

 

子どもの特性を最初からくわしく話す必要はないにしろ、

保護者会などでは、子どもに障がいがあることがわかっていれば

「うちの子どもには、〇〇の障がいがあります。

もし気にかかることや、お子さんとのかかわりで困っていることがあれば、

自分に直接でもいいし、担任の先生を通してでも、

いつでも率直に言ってください。

『どうすれば解決していけるか先生だけでなく、専門家にも相談して手立てを考えますので・・・』

と伝えておくことからスタートするとよいでしょう。

保護者会で、どう周囲に伝えたらいいかわからないときは、

子どものことをよりよく知ってくれている専門家や、先生に一緒に考えてもらえばいいのです。

 

 

まず、親が子どもの実像を語り、

ありのままに社会につながっていこうとする姿勢が欠かせません。

そのうえで、周囲には「障がい」という言葉にとらわれずに、

その子どもの学校生活の質を高めることができるよう協力を求めればいいのです。

理解してくれた人は、いつかわが子に障がいを告知した時に、

本人が「障がいを持っていることは生きづらい」と思うことなく、

前向きに生きていく時の何よりの応援者にもなってくれます。

応援団は一朝一夕にはつくれません。

 

 

 

『発達に遅れのある子の親になる』

 

わが子のことを隠さずに話したり、臆することなくいろいろなことに

参加していくのが、遅れをもつ子の親の役割のひとつと受け止めている人たちがいます。

東海林朝子さん

「障がいのある子をもったからこそ実感できるさまざまなことを

言葉で具体的に話していくのは大切です。

また、子どもが人に伝えることが苦手であるなら、

親が子どもの代弁者にもなれます。

そこで初めて、他の人々に障がいを正しく理解してもらえると思っています。

また、そうすることは、わが子にとって生きやすい世の中にしていくことにもなるでしょうし、

これから大人になっていく子どもたちが、認め合う豊かさの中で、

伸びやかなに人生を過ごしていくことを考える材料を提供できると思っています。」

 

 

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色々なお子さんや保護者を見てきた私の子育ての経験からみても、

この文章は「本当にそう!!!!」と強く言えます。

おすすめしたいです。

 

 

伝えることは、怖いことですが

どんどんやっていっていいと私も思います。

 

周りの保護者もそれを望んでいる、

とわかりました。

 

もちろん、全員ではありませんでしたが

理解してくれる人はゼロではありませんでした!!