我身をくだりて人を立てる | 人として生きる上で大切なこと 「こころのものさし」

我身をくだりて人を立てる



 

              [ 我身をくだりて人を立てる ]
 
教えに

『我身をくだりて人を立て、徳は人にゆづりて苦労は我に引うくるやうにするを、本因妙(ほんにんみょう)と申し候。
此修行の心得は、ヨコヅチを中につりたるやうなるものにて、向ふへおせば、こなたへ来る。御さとりなさるべく候。』


「自分自身を振り返り、謙虚に見つめ、そして人を立てていく。
徳は人に譲り、徳を積むための苦労は自分が引き受けていく。
ここに、仏になるための修行、道がある。と
この修行の心得は、横槌(除夜の鐘をつく堅木)を向こうの方へ押せば、こちらの方へ自然とかえってくるように、身に付けた徳は何処にもいかないことを心得て修行していきなさい。」


このようにお示しです。

果たして自分自身、「我身をくだりて人を立てる」生き方が出来ているのだろうか?

自分を立てるための工夫・努力はしても、人を立てる・人を思いやる心を見失っていないだろうか?

時には、人を立てるためだったら、自分を踏み台にしてでも相手のことを良くしていこうとする生き方。

そこに、人としての本当の「功徳」の積み方があると教えていただいてます。

また

「徳は人にゆづりて苦労は我に引うくるやうにする」

とあります。

「徳」の積み方は、人のことで難儀・苦労すること。

人が悩み苦しんでいる時、その人の心の懐に飛び込み、共にそこから這い上がろうと難儀・苦労する。

そして、人が良くなったら自分のことのように喜ぶ心。

また難儀苦労したことを、決して自分の手柄のように言わないこと。

寧ろ相手の「徳」として称えていく。

「本当に良かったですね。あなたの頑張りがあったからです。」

このように相手の「徳」として称えていく。

そうしていくことで、自分はどのようになっていくのか?

「向ふへおせば、こなたへ来る。」

とあるように、自分が積んだところの「徳」はどこにもいかず、我が身に付いていくのだと。

確かに「心に徳を積む」ことは、目に見えて表れてきませんので、難しいことかもしれません。

けれども、今「徳」を積むことを真剣に行じていけば、いざという時きっと役に立つ時がくる筈です。

その日を楽しみに「心に徳を積む」のが仏道修行でもあります。


   小牧清立住職のイラスト