愚かを知るは大切なこと | 人として生きる上で大切なこと 「こころのものさし」

愚かを知るは大切なこと

 

                 御 教 歌

 

          槃特は 捨るちゑなき さひはひに

 

            仏のちゑを わがものとせし

 

 

 仏様の御弟子であった周梨槃特(しゅりはんとく)は、自分の名前すら覚えられないほど愚かだったことが幸いとなり、仏の悟りを頂いて成仏を遂げさせていただいたことを仰せの御教歌です。

 

周梨槃特は、双子の兄がおりましたが、やがて二人揃って仏様の御弟子になります。

 

兄の摩河槃特(まかはんとく)は優れていて、仏様の教えを詩にしては覚えるという修行もこなしていきました。

 

それに比べて弟の周梨槃特は、物覚えが極端に悪く、仏様の教えを詩にする前に忘れてしまい、また自分の名前もすぐ忘れてしまうぐらいのどうしようもない愚か者でした。

 

そういう弟をみて兄は、

 

「お前は仏様の傍(そば)にいても見込みがないから、還俗(げんぞく)して田舎へ帰れ」  

 

と言うのです。

 

けれども、弟は仏様のもとを去りがたく、どうしたら良いか迷い、仏様にお伺いしたところ、一本のほうきを渡され次のように云われたのです。

 

「塵(ちり)を払い、垢(あか)を除(のぞ)かん。と念じつつ、一生懸命掃除(そうじ)を続けなさい。」

 

それから周梨槃特は、来る日も来る日もほうきを持っては「塵を払い、垢を除かん」と言い続けながら一生懸命励まれたのです。

 

その結果、掃除だけは誰にも負けないほど上手になり、長年この修行を繰り返ししていかれた結果、ついに悟りを得たのです。

 

それは

 

「掃除とは我が心を磨くこと、そのことによって我が煩悩欲の垢を取り除くことが出来た。」

 

というのです。

 

この功徳によって、周梨槃特は成仏を遂げさせていただいたというのです。

 

仏様は

 

「愚かの者とて愚かを知るは、まだ賢し。賢しとおもふ愚かの者こそまことの愚かの者とは云ふ。」


「たとえ愚かであっても己の愚かさを知ることは、己のことを賢いと思い込んでいるまことの愚か者より賢いのである。」

 

このように仰せです。

 

周梨槃特のように自分の愚かさを知り、心のおごりを取り除いて

 

「自分は立派ではない、むしろ至らない人間だから教えをいただいて我が心を磨いていくことが大事なことである。」

 

このように思いを馳せて、自分自身をどこまでも磨いていきたいものです。