幸せの種まき | 人として生きる上で大切なこと 「こころのものさし」

幸せの種まき

 

            御 教 歌 

  

    まかぬたね はへぬいはれを しらずして   

 

     このみばかりを とるぞはかなき  

 

  

 ことわざに「蒔かぬ種は生えぬ」とあるように、何もしないで善き結果だけを望んでも無理なことであることをお示しの御教歌です。

 

この「蒔かぬ種は生えぬ」という言葉は、物の道理についての教えです。  


「何ぞ種を下さずして果実を穫(と)るものあらん。」  

 

これは、誰彼が決めた事ではなく本来の決まり事です。  

 

私達の生涯においても其の通りで、例外はないものです。  

 

スポーツ選手でも、努力なくして栄光はない筈ですし、一流といわれる人達は、目標設定からそれに向かって実行していく。  

 

己の限界まで追い込むという凄まじい努力を繰り返しているようです。  

 

食生活から競技生活から私生活全てにいたるまで自分を追い込み、そして大会で結果が伴ってはじめて人から認められるアスリートとなります。

 

その時その瞬間は光輝いて見えますが、それまでの長い道のりがある訳です。   

普段からの努力なくして栄光はないように、私達の日常生活においても同じことが言えるのだと思います。  

 

では、私達において何が幸せの種まきとなるのか?  

 

それは

 

「身にそふ物は追へども去らず、身にそはぬ物はまねけども来らず。」  


「我が身につけた徳は、追い払っても去ることはないし、身に徳がついてないものは如何に招いても来る筈はない。」  

 

このようにお示しですから、我が身に徳をつけることを大事にしたいものです。  

 

そして、我が身に徳をつけていくのには具体的にどのようにしていくのか?  

 

「我が身を下りて人を立て、徳は人にゆづりて苦労は我に引きうくるやうにするを、本因妙(ほんにんみょう)と申し候。」  

 

「我が身を下ってでも人を良くしていき、徳を積むための苦労は何処までも自分で引き受けていくようにするところに、本当の徳の積み方があるのである。」  

 

このように仰せで、時には自分が踏み石になってでも人を助けていこうとする生き方に「徳を積む因」があるというのです。  

 

確かにこういう生き方は中々出来にくいことです。  

 

けれども  

 

「俄(にわ)かもうけには俄かのかげがさし、地道の事には地道のかげがさす。されば、時のいたるをまちて・・・云々。」  

 

という教えを信じて、地道に築いたものには地道なりのことが必ずあることを信じて時期を待つことも大事なことす。  

 

我が身に徳を積むための努力は、決してその人を裏切らない筈です。



小牧清立住職のイラスト