因果応報
御 教 歌
なすわざは よかれあしかれ むくふべし
火はあたたかに 水はつめたし
火に近づけば暖かく、水に触れると冷たいように、自分の為した行いには、善かれ悪しかれ報いは必ずくることをお示しの御教歌です。
仏さまは、この世は因果応報であることをお示しです。
「人の世の中の因果は車輪の如くにて、昨日滅(めっ)す主君の為、今日は我が身の上となる報(むくい)の程こそはかなけれ」
これは、織田信長が本能寺で明智光秀から殺害される様を詠まれた歌です。
「因果はめぐる小車(おぐるま)」ということわざがあるように、なせる業(わざ)とその報いが巡り回っていくというのです。
武将織田信長は、家来明智光秀から殺され、その明智光秀も豊臣秀吉から殺されるという、まさしく戦国時代の凄まじい「因果の小車」を呈している出来事です。
御指南に
「一善を行ずれば福至らずと雖(いえど)も、自ら禍(わざわい)遠のく。一悪を行ずれば禍(わざわい)未だ至らずと雖(いえど)も災害自ら近づく。」
「ひとつの善を行なえば、福はすぐに至らなくても災いが自然と遠のくであろうし、逆にひとつの悪を行なえば、災いがすぐ来なくても災害が必ず近づいてくるのである。」
このように、この世の中は全て因果応報であり、なせる業(わざ)にも善き業を積んでいきたいものです。
しかも「人のことで難儀・苦労する」という善業を積んでいくことが、大事・大切なことのように思います。