慈悲と優しさの違い
御 教 歌
しかるをば おやの慈悲とは 申すなり
しかられてこそ かしこにはなれ
叱るべきことは叱り、教えるべきことを教えるのが、まことの親の慈悲というものであり、そこに物事に対し思慮・分別のある人となっていく因がある。
このように仰せの御教歌です。
叱るべきことは叱り、教えるべきことは教える・・・
とても大切なことです。
叱られて身に付き、教えられて心に刻み込まれることは多いものです。
子供を育てていくのに、道を踏み外したときは叱ってでも教えます。
そのように、子供自身も心に痛みを覚えることによって身についていくようになります。
本日の御教歌に
「親の慈悲」とあり、慈悲は思いやりとか優しさより更に深いもので、慈しみあわれむ心のことです。
更に、その慈悲の心には相手の苦しみを抜き楽を与えたい!という心があります。
それだけ親の子供に対する思いは深いものがあるというのです。
ですから、慈悲の深い親は叱るべきことを叱り、教えるべきことを教えていこうとします。
そのことが、子供のためになっていくものです。
そのためには、教えていくべき親自身が、踏み外してはならない道を身につけておきませんと、子供自身も迷ってしまうことになります。
そして、慈悲と優しさは違う・・ということを認識しておきたいものです。
単に可愛がるのではなく、時には厳しく、時には優しく、時には諭すかのように「叱るべきことを叱り、教えるべきことを教えて」いきたいものです。
そういう中で育った子供は、社会に貢献していく大人に成長していくのだと思います。
そういう姿を「まことのかしこ」と教えていただいます。
そういう「まことのかしこ」の人が多く育っていけば、きっと秩序が保たれ、安心して暮らしていける世の中になっていくと思います。
そのためにも、慈悲の心を持って「叱るべきことを叱り、教えるべきことを教えていく人」になっていきたいものです。