鷹は死すとも穂はつまず
御 教 歌
もろ鳥の 中にもあるを 人よきけ
鷹(たか)は死すとも 穂(ほ)はつまぬとよ
多くいる鳥のなかにも、「鷹は死すとも穂はつまず」と云われるように、鷹はいかに飢えても百姓の作った稲穂はつまない・・と云うでははないか!
されば、人であるお互いは踏み外してはならない道を弁(わきま)えていくことが大事・大切であることを仰せいただいた御教歌です。
「鷹は死すとも穂はつまず」
鷹はどんなに飢えても、お百姓さんが作った稲穂は食べない・・・
節操のある人は、窮(きゅう)しても不義の財を貪(むさぼ)らない、不義理なことはしないことの譬(たと)えです。
また鷹に関してのおしえがありますので掲載しますと
「鷹は、寒き夜には鳥を生みながらつかみて、我が腹へあててぬくめおきて、明日に放しやる也。その鳥の飛び出し方へは、その日は行かずと也。」
「鷹は寒い夜になると、狩りで捕ってきたひな鳥を我が身体を温めるために抱いて一夜を過ごすのである。
朝が来たら、そのひな鳥を食べることをせず逃してやり、その日一日はひな鳥の飛んでいった方向へは狩りをしない。」
鷹はこのように自分の身体を温めてくれたひな鳥の一晩の恩・おかげを感じて翌日には逃がしてあげる・・・というお話です。
このように、鷹ですら自分が生きていく上での道を心得ているのですから、まして況や人間に於いてをや・・です。
私達は、鷹のように寒い夜に自分の身体を温めてくれたひな鳥のおかげを感じ、餌であるはずのひな鳥を逃がしてあげるような「こころ」というものを持ち合わせているでしょうか?
それどころか翌朝になったら、ひな鳥をお腹が空いたからといって食べたりすることはないのでしょうか?
そんなキレイ事では世の中なんか渡っていけるもんか・・!
背に腹はかえられぬ・・!
このような「心の叫び」が聞こえてきそうです。
でも、私達は人としてのプライドは失くしてはいけませんし、持ち続けるべきだと思うのです。
そのプライドというのが、人として踏み外してはならない道を守り徹していくことです。
「武士は食(く)わねど高楊枝(たかようじ)」
「武士は貧しさの中にあっても、気品を高くもって悠然としているもの。」
このような言葉もありますように、
人としての振る舞いにもプライドを持ち、どんなことがあっても決して道から外れないようにしていくことが大事ではないでしょうか・・・