心を揉み解す
[ 頑なな心を揉み解す ]
教えに
「心ここに在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食えどもその味を知らず」
「漫(そぞ)ろ心で物事を見ても見えないように、聞いても聞こえず、食しても味がわからないもの。」
このようにあります。
今自分の心が何処にあるかで、見るもの 聞くもの 味わいまで変わってくるというのです。
心にゆとりがないとき、焦っているとき、落ち込んでいるときなどは、まさに「心ここに在らず」ということでしょうか。
また自分の中に頑ななところがあり、人の忠告も聞こうともせず受け入れない自分がいたりします。
そういえば、仏さまの教えに「聞不能解(もんふのうげ)」とあります。
これは「聞くとも解(げ)すること能(あた)はず」ことで、聞いても理解することが出来ない、分かろうとしない心のことです。
頑なな心があると「忠言耳に逆らう」で、人の忠告も受け入れないものです。
よく「心を無にしてごらんなさい。」と聞きます。
空っぽな心で、素直正直な心で教えを受け入れるようになれたらしめたもので、昨日までと違う自分を発見することが出来るような気がします。
そんな柔軟な心に揉みほぐしていくところに円満性も出てくるのでしょうね。