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良い先生とは・・・
<Seiryuのつぶやき>NO226
良い先生とは・・・
以前私は、「良い先生のお手本」として、ある小学校の先生のお話を聞いたことがあります。
それは、次のような先生なのです。
ある日、クラスのなかでいじめがあるのを薄々感じていたのですが、誰も何も言ってこないのです。
しばらくは静観していたのですが、クラス全体の雰囲気も暗くなり始め、これ以上放置しておくと良くない!と判断した先生は、ホームルームの時
「なあーみんな!今のクラスおかしくないか?先生はこのクラスに入ってくると、とても暗~い気持ちになるんだけど、みんなはどう思う?」
と話し掛けたのですが、クラスは静まり返っているのです。
誰一人、口を開こうとしないのです。
それを見て
「先生は、クラスのなかでいじめがあるのは薄々知ってるよ・・・でもその犯人探しみたいなことはしたくない。でも、今いじめがこのクラスのなかであるからみんなも暗いんじゃないの?」
更に
「先生はみんなに期待していることは、辛いときには辛い・・・苦しいときには苦しい・・・いけないことはいけない!と言える勇気をもって欲しい・・・ということだよ。」
「同じクラスにいて、仲間が困っていて可哀そうだ、何とかしてあげよう・・・とか、みんなで助け合おう・・・とか思わない?」
「それって恥ずかしいことなの?かっこ悪いことなの?」
「違うでしょ・・・自分に勇気がないだけでしょ?そうじゃない?」
「先生は、みんなが大人になったとき、いけないことはいけない!とハッキリ言える人・・・困ってる人がいたら人目を気にせずに助けてあげられる・・・そんな心の強い人になって欲しい!と思ってる。」
そのように、先生が噛み砕くように話かけていると、1人の生徒が泣きだして
「先生、ごめんなさい・・・実は・・・」
と言いかけた時、先生は
「それ以上言わなくていいから・・・でも、よく勇気を振り絞ってごめんが言えたね。先生嬉しいぞ!」
先生も思わず涙していたら、2人・3人と次々に泣きだして
「ごめんなさい!」
とみんなが言い始めたそうです。
先生は、クラスみんなに
「先生はお前達の先生で本当に幸せだ!ありがとう!」
と言ったのだそうです。
私は、このお話を聞いて思わずもらい泣きをしてしまいましたが、今どき「こんな良い先生もいらっしゃるのだな」・・・と思うと何だか嬉しくなりました。
このような「心を大事にする」人こそが、真の教育者であり指導者なのだと思います。
それは、学校関係だけに限らず、どの分野においてもいえることではないかと思います。
最近の出来事を見聞きしますと、今こそ「心を大事にする人」を育てるための、真の教育者・指導者が求められているのではないでしょうか・・・
雨宿り
雨宿り

昔、あるところに親元を離れ、一人優雅な暮らしをしていた男がいました。
ある日のこと、親が危篤との知らせを聞き、急いで帰宅したのですが、途中通り雨に遭ったのです。
雨を凌ぐため、雨宿りをした軒が、偶然にも傘屋だったのです。
通り雨のように思うけど、中々止む気配もないし、かといって傘を買うのも勿体ないし・・・
傘をただでくれる筈もないし、雨が止むまで暫く待とう!と決めて待ち続けたのです。
やっと雨が上がり、親元へ急いで帰ったところ、親の死に目に会えなかった
というお話です。
何気ない話かもしれませんが、普段私たちが忘れかけている「大事なこと」を教えてあるようです。
現在の私達は日々の生活に追われ、「大事なこと」を忘れかけているのかもしれません。
生きている中で最も大事なものは何か?を考えさせられるお話です。
イザという時のために、常日頃から「大事なこと」の順序・次第を身につけておきたいものです。
損と思うことは徳也
御 教 歌
何事も 楽しむ程は しばしにて
苦しむ事の 長き世の中
楽しむことはほんの僅かで、、苦しむことは長く感じるのが、この世の出来事のように思える我々凡夫の心情を仰せの御教歌です。
我々凡夫は、生活している中で楽しい・嬉しい出来事より、辛い・苦しい出来事のほうが、より長く感じてしまうものです。
殊に、辛く苦しい時など1日の長く感じることは、私1人だけの思いではないかと思います。
病気をした時、失恋したとき、人間関係で裏切られたりしたとき、自分の思うようにならないとき・・・等々。
挙げたらキリが無いですけど、嬉しい事・楽しい事はそれに比べたら少なく、時間的にも短く感じるものです。
何故、このように辛く苦しい出来事のほうが長く起こってくるのか?
仏さまは
「凡夫顛倒(ぼんぶてんどう)」
このように云われ、
「仏法の算盤は凡夫勘定(かんじょう)と逆也。」
このようにお示しです。
仏さまから観た物の見方と我々の物の見方は、逆さまである というのです。
我々は、煩悩という目先の欲、自分だけの欲に囚われて、その欲を満足させるために一生懸命苦心するのですが、仏さまから見たらそこに悩み・苦しみの因(もと)を作っていると・・・そこに真逆な考え方が起きてくるのです。
御指南に
「大功徳を煩悩の欲心に殺して、地獄の業(ごう)をこしらへ、かさねたるを徳したりと思ふ迷は、苦を楽と見る。」
「徳を積むための苦労を、自分の煩悩欲を満足させるための苦労につぎ込むことを得したりと思える迷いこそが、苦を楽と逆さまに見てしまうのである。」
このようにお示しです。
「顛倒(てんどう)の凡夫損と思ふことは徳也、徳と思ふことは損也。」
このことを、日々の生活のなかの「心のものさし」として充てていきたいものです。



