私は、私たちは今回、
何のために生まれたのか
何をしたくて生まれたのか
その理由を探すために生きているのかもしれない。


でも反対に言える事がある

それは、この命は
誰かの機嫌を取るために生まれたのでも
親に愛されるために生まれたのでも
お金を稼ぐために生まれた訳でもなく
子供をちゃんと就職させるために生まれた訳でももちろんなくて
人を変えたり
悪い人を成敗したり
ローンを返すために
この命を与えられたのだろうか?


命はなんのために?
は生まれた者の永遠のテーマであり
その答えは各人によって様々な答えを持つ

だからこそ誰かに聞くことも
答えをもらうことも出来ず、正解かどうか確かめることさえ不可能だからこそ難しい。


しかし反対にいうならば
生まれてきてよかったと思える時、感じる時
というのはある




美味しいものを食べたとき
心地よいふかふかのベッドに寝転ぶとき
あったかいお風呂に浸かるとき
愛する人たちと一緒に語り合うとき
共に喜びや豊かさを分け合うとき
人と心が繋がり合うとき
自分の想いを表現できたとき
自分から生まれる愛おしさを表現できた時など


そんな時に
生きている喜びと生まれてきた意味のような感覚を得る。



つまりは
あなたは、私たちは、

「しあわせだ」と感じる時にこそ
生まれてきてよかったぁ
命があるからこそだぁ
生きてて良かったぁ!と思う


つまり、そんな瞬間に命の意義を感じてるし
命を燃やしているのだということ。




「しあわせじゃない」事が尊いのは
自分が知らなかった本当に望んでいたことを教えてくれるからであって

ずっと「しあわせじゃない」ことを
自分に許し続けているなら
命を燃やしていないということであり
命を生きていないということでもあるんだ



絶対にしあわせを感じて生きるべき存在
それが私たち。


いましあわせでないならば
いま苦しめられている環境、景色
人との関係にあるならば
つらくて心が苦しいなら
息が吸いにくくて生きた心地がしないなら

そんなものは要らない
そんなものは人生になんの必要もない。



強さをくれて
望みを教えてくれる日々の生活に学んで
もっと行きたい人生へと近づくために
いま、今日、ここから「笑う」
いつかの未来なんて待たない
我慢なんてしない
もうこの瞬間から幸せにならなきゃ嘘だ。


そして

いま、今日、この瞬間から
「しあわせに生きる」
と決めるんだ。



それは執着心にも似た使命かもしれない。


私は命ってそのくらい大切に思ってる
命の時間を大切に思ってる。