実はこの世界は愛しか用意されていないんだなぁとやっぱり思う。




だって

いちにちの始まりは朝焼けが美しいでしょう

体の細胞は寝ている時にも修復してくれているから新しいスタートを迎えられるし

空腹になるからこそお味噌汁は美味しく感じられるし

この体の機能は恐ろしく精巧で細部まで緻密に作られているし


毎日は何をしてどう生きてもいい自由を与えられ(そうとは思えていないけれども、本当の意味では自由であるはずなのに)


仕事、人間関係、衣食住の選択肢はたくさんあり

あらゆるものは更に進化しアップデートして

季節は美しく巡る

沈む夕陽のショーは1日として同じものはなく、どうしようもなく私たちを魅了する。




ただ生きているだけで
この楽しすぎる環境をただひたすらに享受してると言える。




生きているだけで
さまざまな出来事が自然と、勝手に起こるわけなんだけと

そこにはひとつだけ共通点がある


確実に学びとなり、
成長する出来事しか起こらないということ





筋肉が成長するときには筋肉痛があるように
学びと成長があるときには心が痛むこともある


けれどそれは痛めつけたいわけではなく
痛みに耐えろと脅してるのでもなく
虐められているのでもなくて


生物として成長し進化することであって
キミの命は次のステージに移ったよ
というサインなんだよね。


よりこの世の奇跡である自分自身という意味を味わい、堪能し歓喜するために用意された最大の愛のカラクリ、システムなのだという事。






線路を分岐・合流させる岐点は
本来の意味では

さらに行く道を遠くまで案内し、拡大させる地へと連れていくためのキッカケであって

試練とか課題とか
悩み事とか問題とか、コマッタこと
なんて言われるようなものって本当は苦しいつらいイヤなものじゃなかったはずで



こっちにおいで
こちらに行ってより進化し豊かになりなさい

って教えてくれていた豊かさのサイン
なんでしょうね。





それらの成長痛と違和感は
この自分自身を豊かにするためのポイント地点であって

この世界にある全てに対応する規則であり
豊饒という愛の決まり事なんだなぁって思う。




無事に分岐点のレール組み替えを終えることが出来ると、

新しい景色の変化に
私たちは感動することになるし
より美しい世界の光景に感謝したり、
笑顔になる日々が用意されているのよね。






随分とポジティブですね、ってそんな話じゃなくて
本当に「前向き」でしかなかったわけよね
この世界そのものが。



上に伸びる
前を向く
より豊かになる
より進化する


このシステムでしかないわけです
この世そのものが。



だから乗るしかないし
この流れに委ねるしかない、私たち自身が。


イヤだろうが難しいと思おうが
そのキッカケで切り替えるしかなくて
その時に一瞬の痛みを受け入れるしかなくて

痛みを進化に変えて豊かになることを
どんな事があっても肯定し認めるしないということなのよ。




これを非情というのか
これを愛情というのか


それも各人にまた自由を与えられているけど


本来の意味ではそれはやっぱり
愛でしかなかったんだろうなぁ…

というのが私の意見。




コッチが愛だと思えたら
世界の見え方と感じ方が変わるし

アッチの伝えたかったことが
嬉しくて幸せだなと思えてくるから

やっぱりこの世界は
観る側の私たちそのものが主人公で
自分が主役になれればめっちゃ面白いわけよね。



それを乗りこなしていくのが
命の達人なのだとしたら
いったい何回目の転生で上手くそう思えるだろう?



レールは用意されている
システムは今日も準備万端

あとは私たち次第



この差し出された愛をどう受け取るか?
どう観るか?を各々に任されているって思うの。


この愛の表現のスケールが大きすぎて
伝えたかった事の意味が分かりにくかったけど、「愛してるんだ」とずっと伝え続けていたんだとしたら…さぁ、どう受け取ろうかしらね。




この大きく差し出された愛を
どんな顔してこちらはもらうか?って。

ワクワクするじゃない♡?