リピート公開
  1977年9月シングル

J=ビート エッセイ987 57

沢田研二 「憎みきれないろくでなし」をめぐって

 沢田研二 「憎みきれないろくでなし」(1977年9月)
      作詞・阿久悠                            
      作曲・大野克夫
      編曲・船山基紀


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 今回も、前回と同じく、アレンジによって躍動した曲。アレンジャーご本人の回想があるので、引用してみよう。


    「憎みきれないろくでなし」のイントロも大野さんのヘルプでできたもの。ギターがハードな、ロック・テイストの楽曲だが、この頃の沢田さんのチームはロックを目指していたから、それも当然のこと。その「ロック的なもの」を全然知らなかったのが、かく言う私だけだった! ジャズのアレンジは勉強していたものの、ロックはBS&Tやシカゴのようなブラス・ロックしか知らず、ロック系の友人もいない。ゆえに当時の私にはこういうイントロは絶対に作れない。その辺は沢田さんのスタッフもみんなわかっていて、イントロだけは暗黙の了解で大野さんが書き、私はその上にダビングするブラスなどの楽器のフレーズに、わかりやすくメロディアスなものを乗せることが得意なので、沢田さんのチームに継続的に起用されていたのだ。今思い返すと、要は船山にやらせればあまりロックになり過ぎない、適度な仕上がりになると思われていたのかもしれない。
     (『ヒット曲の料理人 編曲家 船山基紀の時代』Rittor Music刊 32ー33頁)
  
 編曲家・船山基紀。1970年代後半、歌謡曲歌手として全盛にあった沢田研二の楽曲のメイン制作陣の一人。阿久悠―大野克夫とともに、幾多のヒット曲を生み出した人物。彼が自らのキャリアを振り返った一冊の中で、最も興味深いのが、この部分。
 船山自身の振り返るところによると、十代でサックス演奏にのめり込んでから、大学でもバンド・サークルの一員として活動するなどし、やがて、渡辺貞夫のジャズ理論を学ぶ機会なども得た。その後、大衆音楽のアレンジャーの道に進む。駆け出しのころ所属したヤマハ。そこで、ポプコンの応募曲のアレンジなどを担当した後、若いアレンジャーを探していた山本リンダの製作スタッフに依頼され、歌謡曲の世界に踏み込む。やがて、渡辺音楽出版との関係から沢田研二の制作陣に声をかけられ、あの黄金の「1970年代後半トリオ」の時代が来る。
 引用部は、「勝手にしやがれ」の後、ノリにノっていた時代のジュリーのシングル「憎みきれないろくでなし」の製作過程を振り返るもの。あの制作陣での編曲家としての船山のポジションが分かる。それにより、作曲の大野克夫さんの存在感が大きさが際立ち、興味深い。もちろん、船山自身の回想なので、他の人が見るよりも彼自身に対して控えめな発言になっている可能性は高いが。
 船山自身は、少年時代から、ビッグバンド的なものに興味を持つ。歌謡曲にあっても東海林修によるオーケストレーションに惹かれ、やがてジャズにのめり込むなど、いわゆる大衆音楽にはほとんど興味をもっていなかった。最初に所属したヤマハでの仕事で歌謡曲的なオーケストレーションやフォーク・ソングのバッグ・アレンジなどは経験していたが、この当時の沢田研二製作班が志向していたロックへの理解はほとんどなかった。つまり、バンドを率いる井上堯之やメロディー・メーカーの大野克夫らを中心としたGSからスタートとしたミュージシャンたちとは、音楽的な出自が全く違う。1960年代に短期間開花したGSサウンドと呼ばれる一群の若いミュージシャンたちは、英米で続々と現れたロック・アーティストたちを意識してキャリアを始めた人たちが多い(※1)。この流れに対し、全く別の方向からアレンジャーとなった船山。サックス奏者であり、ビック・バンド経験者であり、オーケストレーション好きであり、メロディのある伴奏を好み、昭和40年代の四畳半フォークとは異なるフォーク風歌謡曲の情緒的世界の仕立て人としてキャリアを持つ彼。当時の沢田研二製作班の人々が、大野―井上たちをによる「ロック」寄りの音の摸索に走り過ぎないように、バランスを取るために起用され続けたのが自分だったのだろう…。船山はそのように語っている。
 この言葉は、1979年の「ロンリー・ウルフ」で後藤次利が起用されたことを端緒に阿久―大野―船山のトリオが解体されていき(※2)、その後さらにロック色を強める「チーム・ジュリー」の志向を、間近にいた人物が証言したものとも考えられ、貴重だ。
 私にとって興味深いのは、前回(※3)取りあげた「カサブランカ・ダンディ」のボーカルのメロディとサウンドアレンジメントの素晴らしい一体感のみならず、多くの曲で、作曲の大野克夫により全体のアレンジのイメージが決められ、それに船山のブラスやストリングスを中心とした楽器のメロディがアレンジとして加えられる。そういう形で、「歌謡曲のジュリー」が担保されていたのだと、考えられることだ。

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 船山のアレンジ曲で、私が最も「ガチャガチャした曲」の印象を持っていたのが、この「憎みきれないろくでなし」だ。
 もちろん、少年時代の私は、アレンジが誰かなどとは全く考えていなかった。詩には興味があったので、作詞が阿久悠という人だということだけは知っていたけれど。当時の印象としては、「勝手にしやがれ」があまりにも鮮やかだったので、「ずいぶんガチャガチャした、うるさい曲だなあ」と、少しがっかりしたくらいだった。
 また、詞も、子どものころの私には意味不明に感じられた。どうやら浮気っぽい女の人に振り回されている男が「(憎もうとしても)憎みきれないろくでなし!」と、女性を罵倒する曲だと思っていた。
 ぞれからずっと、「憎みきれないろくでなし」は、毛嫌いしてほとんど聴かなかった。
 だが、今回、自分なりにジュリーの曲を掘り下げる企画を始め、当時の裏方のスタッフの方々の回想が書籍化されたりネットに公開されたりするのを少し注意して見た後で改めて聴き返すと、この「憎みきれないろくでなし」を魅力的に感じ始めた。
 
 まず、最初に聴く者の耳をうつ「(高く)ジャジャジャジャジャ! (低く)ジャンジャジャンジャジャ」というギターのリズム。この時、その下の低音部でグルグル回るようなベース音が鳴り続けている。
 比較的高音部から始まるジュリーのボーカルは、一つ間違えば調子っぱずれになり、金切り声にもなりそうな所をしのぎ、やがてBメロの「♪ 傷つけ合うのが嫌いだからと」から彼の最も色っぽい音域に入り、少し声を掠れさせる表現を用いる余裕を見せる。
 この時、要所要所でブラスセクションの「パッパッパー」という高音部が鳴り響き、ベースと交互に高―低の落差で、サウンドそのものでも、聴く者をノラせ続けるリズム感を作りあげる。
 決めのフレーズ「♪ 憎みきれないろくでなし」では、全ての楽器がジュリーのボーカルをもり立てるように頂点まで駆け上がって一瞬鳴りを潜め、ジュリーが歌い切った時点で一斉にあのリズミカルな演奏を奏で始める。
 間奏ではしばらく、船山の回想によると「矢島賢」によるギターソロが続く。さらに、一曲の最後も実に律儀に、きっちり終わる。この終わり方は、全く歌謡曲的な印象だ、ロック・バンドではあり得ないような印象の音を残している。全体的に、聴く者を飽きさせない、ゴージャスな音遣いなのだ。
 改めて、全体像を考えてみよう。
 このような全体的な印象を引き立てるのは、歌の高音よりも、低音部に回り続けるベース音だ。ボーカルであるジュリーの声に合いの手を入れるように律儀に支え続けるベースの見事さ。これもデジタル・リマスターの効果なのかもしれないが、昔「ごちゃごちゃした」と感じた音が、今度聴き返すと、「グラマラスなわかりやすさ」に変わっていた。
 イントロを作った大野克夫のイマジネーションとスキルは見事だが、「ロック」っぽくという方向性だけでは、あれだけジュリーの声を支えきるサウンドは作れなかっただろう。その意味で、船山らしいブラス・アレンジの「抜けっぷり」こそが、歌謡曲として大衆に支持される一般的な訴求力を与えたことは確かだと思う。さらに、おそらくは大野が行ったのではないかと思われるベース音への注力から、数年後のジュリーの方向性が予見されている感じもある。すなわち、GS―ロック・サイド(しかし、彼らは日本の「ロック」の人々からは、商業主義の化身としての歌謡曲の潮流の中にある人々と思われていたことを忘れてはいけないが)の大野と、ジャズ―フォーク―歌謡曲の流れに位置する船山の共存がもたらした一曲であるが、この中に伏流した幾つかの流れのうち、そのベース音と間奏時のギター音の印象深さを考えると、「ロック・サイド」へという「チーム・ジュリー」の方向性の優位は動かないようだと思う。
 サウンド自体が「勝手にしやがれ」後の「ジュリー」の分岐点を成す、楽しくも興味深い一曲である。

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 最後に、今回、新しい魅力を感じたこの曲だが、私なりの歌詞の解釈も変わってきたことを付け加えておきたい。
 私は「男性が浮気性の女性に振り回される歌」と解釈していたのだが、いま聴き直すと「浮気な男性(「♪ 昨日は昨日でどこかで浮かれて過ごしたはずだが 忘れてしまったよ」)」などと嘯く男性に「♪ 気障な台詞だね」などと女性がツッコむ関係性。すなわち、「浮気な男性に『♪ 憎みきれないろくでなし!』と罵りながらも振り回される女性の歌」と解釈するほうが自然なようだ。
 なぜ、子どものころ私が「♪ あなたは あなたは どうする どうする つもり」という歌詞を聴いても、男性が女性に訴える歌だと思ったかというと、おそらく「あなた」という呼びかけがジュリーの中では年上の女性に用いられるという世界観に慣れていたからだろうと思う。
 ここにも、この曲の分岐性があるように思う(※4)。

(※1) GSは、ビートルズなどのロック・バンドの影響に拠るよりも、エレキ・ギター・ブームにより、エレキギターが若者の手に普及し始めた影響が大きいとみる説もある。
(※2) ここでは制作陣の話なので名前を出していないが、井上堯之と井上バンドとの決別も、「ジュリー」の活動の大きな変化だったと私は考える。
(※3) 当ブログの「Jビート987の56 沢田研二・傑作『カサブランカ・ダンディ』をめぐって」のこと。
(※4) 当ブログの「Jビート987 8 『勝手にしやがれ』試論」(全六回)で、私は1970年代のジュリーの曲の女性への呼びかけが「あなた」から「おまえ」に変わっていく事実を論じている。


                                                  藤谷蓮次郎
                           二○二一年六月八日

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