イントロダクション


[ 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程(みち) ]


“この題材は、俺に撮らせろ!引退してもいい”とまで言った71歳の巨匠若松孝二念願の作品が完成した。連 合赤軍・浅間山荘事件である。徹底的に実録にこだわって作った3時間10分の大作は、あの頃の世界と日本を吹き荒れた風と、その時代を生きた若者を描き、今の日本を撃つ壮大な叙事詩なのだ。

rengousekigun



1972年2月、連合赤軍の兵士たちは「あさま山荘」を占拠した。猟銃やライフルの銃弾が、包囲する警官たちをなぎ倒していった。雪の別荘地で繰り広げられたのは、日本の歴史で初めて起きた、革命のための銃撃戦だった。
若松孝二もまた、「あさま山荘」への道を歩んできた。

1963年に『甘い罠』で登場した彼は、“ピンク映画”と呼ばれるジャンルを確立し、数々の名作を生みながら'60年代後半を団塊の世代とともに疾走した。そして、「あさま山荘」で銃撃戦が起きる5ヶ月前には、ドキュメンタリー『赤軍-PFLP世界戦争宣言』が公開され、その上映運動が日本からパレスチナへ戦士を送り出した。銃撃戦の翌月、テロの時代の訪れを知らせる『天使の恍惚』が封切られた。それは、連合赤軍の同志たちが山中で粛清されていたことが明らかになった直後だった。
若松孝二の作品は時代を表すのではなく、時代そのものを生んできたのだ。
しかし、時代が変わっても、若松孝二に終わりはなかった。'76年にプロデュースした大島渚の作品『愛のコリーダ』は日本の映画界に衝撃を与え、'80年代には『水のないプール』が新たな地平を開き、『寝盗られ宗介』は'90年代の代表作となった。そしていま、2000年代、彼が行き着いた先は、やはりあの冬だった。

1963年に『甘い罠』で登場した彼は、“ピンク映画”と呼ばれるジャンルを確立し、数々の名作を生みながら'60年代後半を団塊の世代とともに疾走した。そして、「あさま山荘」で銃撃戦が起きる5ヶ月前には、ドキュメンタリー『赤軍-PFLP世界戦争宣言』が公開され、その上映運動が日本からパレスチナへ戦士を送り出した。銃撃戦の翌月、テロの時代の訪れを知らせる『天使の恍惚』が封切られた。それは、連合赤軍の同志たちが山中で粛清されていたことが明らかになった直後だった。
若松孝二の作品は時代を表すのではなく、時代そのものを生んできたのだ。
しかし、時代が変わっても、若松孝二に終わりはなかった。'76年にプロデュースした大島渚の作品『愛のコリーダ』は日本の映画界に衝撃を与え、'80年代には『水のないプール』が新たな地平を開き、『寝盗られ宗介』は'90年代の代表作となった。そしていま、2000年代、彼が行き着いた先は、やはりあの冬だった。