昨夜は

(о´∀`о)猫猫zzzzzz

にゃんこを腕枕して。。(-""-;)

可愛いけど
寝心地が。。




昨日は
一粒万倍日だったようで
田辺さんのブログから

本日、2023年7月23日は

「一粒万倍日」となります。



「一粒万倍日」は

「一粒のモミが万倍にも実る稲穂になる」

 

という意味があり…

 

良きことを思えば

それが大きく実って

あなたにかえってきます。



また、今日は「大安」でもあります。

 




運気が「GOサイン」のときは

宇宙は必ず

あなたにわかるような「合図」をくれます。



その合図とは…

「シンクロニシティ」

(意味ある偶然の一致)

 

が多くなること。




 

例えば、

こんなような「シンクロ」が

多くなるんです。

 

☆「あの人とまた逢いたいな」

と思っていたら

自然な流れの中で再会する。



☆「こういうものをやってみたいなあ」

と思っていたら

自分のスケジュールの

空いているところに

ぴったりそれが入ってきた!
 



「そうそう

これがほしかったの!!!」

 

と思うようなことが

まるで向こうからやってくるように

連続して起こるようになります。




 

これが、いわゆる「シンクロ二シティ」
 

「意味ある偶然の一致」です。


 

これって、実は宇宙からの

「その方向に進んでいいよ!」

というサインなんですよね。


〜〜〜〜〜〜〜〜〜

時々
シンクロが起こるんだな〜〜


今、何しているかな?と
思っていた恩師と
再会して
仕事ができたことは
シンクロかな。


セキセイインコ青セキセイインコ黃オカメインコセキセイインコ黃セキセイインコ青セキセイインコ黃オカメインコセキセイインコ黃セキセイインコ青セキセイインコ黃オカメインコセキセイインコ黃セキセイインコ青セキセイインコ黃オカメインコ

朝から
ジブリ映画「君たちはどう生きるか」を
観た。


いきなり母が空襲で亡くなる場面から
始まり、
途中からインコが出てきたり、
子どもの頃のお母さんが出たり
おじさんが積み木をしていたり
それでも
表情を変えない主人公がいて
掴めない展開が続く。。

最後に
生の世界に帰る時に
主題が見えた。

子ども時代のお母さんに
息子が
「この世界で燃えて亡くなるんだ、それでも、帰るの?」
ということを問いかけると、母は
「こんな可愛い子どもを産むんだもの、絶対に帰るわ!」
と明るく話す。
短い人生であっても
我が子に出会うために生の世界を選んだ母。

そうして
母の深い愛に包まれ、
母の死を受け入れられたようだ。


最後に
米津玄師の主題歌「地球儀」の
サビの歌詞に
「僕が愛したあの人は、誰も知らない所へ行った
    あの日のままの優しい顔で 今もどこか遠く」

この歌詞に涙が溢れてきた。

主人公は
突然、親を亡くした喪失感や悲痛さ、虚無感に
心が覆われながら
「生とは、死とは」をずっと問い続けたであろう。

心が生と死を行き来しながら
母を思うと感情が溢れだす。
口を縛って、感情に流されないように
固い表情で過ごしてきた。

戦争で幼くして親を亡くし
負けまいと歯を食い縛って生きてきた
戦中生まれの人たち。
母ならば、もっと共感できたかも。

父を亡くした私だから
喪失感と
ともすれば、感情が溢れだす気持ちが
共感できた。

そして、
そんな親を亡くした人達へ
それでも
「あなたが生まれて嬉しかった」と
伝えてくれた作品かもしれない。

そうした感情すべてを原動力に
あの人の愛を表現していくんだ、
という宮崎駿の決意みたいな作品だ。




「地球儀」では
宮﨑駿と米津玄師の間で
愛しい対象を喪失することの痛み、
そしてその痛みこそが今を生きる自分を突き動かす源であるという確信が共有されていると言えるだろう。

 その確信は最終盤にある
〈扉を今開け放つ 秘密を暴くように/手が触れ合う喜びも 手放した悲しみも/飽き足らず描いていく〉
という歌詞へ結ばれていく。

豊かな出会いと悲痛な別れを繰り返しながら、その全てを糧に想像と創造を続け、この世界と繋がろうとしてきた宮﨑駿、米津玄師の意思が共鳴して生まれた奇跡的なセンテンスと言えるだろう。



うむ、

後味の方がよい作品かも。。