告知から5年 | 鬼の霍乱

鬼の霍乱

年下の旦那さまと乳がん治療中の嫁の
珍道中的結婚生活をのらりくらりと綴ります。

2013年1月18日(金)



初診察の時


悪性の可能性が


極めて高いと告げられ



最速で


MRIとCT



組織針の時に


「内臓は大丈夫でした」


CT画像を見せられ



会話の途中で


「もし治療になったら」


という言葉が


何度も登場し



「18日は


ご家族と一緒に」


とお約束を言われた。



この状況で。



乳がんじゃない可能性が


1ミクロンもないことは


容易に想像出来た。



なので


この日は



自分が


乳がんであることを


確認するために


病院へ向かった。



私のことだ。



何を聞いても


大丈夫だろうし



自分のカラダのことは


自分で決めたい


という思いから



1人で行くことを


決めていた。



間違いなく家族は


うろたえる。



さすがに


フォローする


余裕はないだろう。



落ち着いて


判断するための


選択だった。



ほぼ予約時間に呼ばれ


のちの主治医から


告知を受けた。



心の準備も


整っていたので



将来を悲観して


嘆くといった感情は


ほとんどなく。



さて、これからが


人生をかけた勝負だな


なんてことを考えていた。



お得意の


次の展開を考える作戦。



この日に


リンパ節の細胞針をして



翌週に


術前化学療法を


提案された。



さすがに


一瞬ひるんだけれど。



攻めの姿勢は


変わらなかった。



ほんと


今だから思うが。



怖さを知らない


私は


最強なのかもしれない。



告知の夜



殿と年末の


ガキの使いの録画を


見ながら爆笑。



この先の未来も


こうして隣で


笑っているために。



自分で出来ることは


全力でしようと


心に誓った。



あの日から


5年。



遠かった未来が


現在になった。



そこそこ元気だ。



今日なんて。





R's Caféで


RIEさんの手料理に


舌鼓を打ち





しこたま


ちらし寿司をいただき






お茶目なお姉さまたちと




いっーーっぱい


笑って過ごした。



1826日という


月日の中で。



胸に同じ痛みを持つ


たくさんの人たちと


出逢えた。



あの頃には


予想もしなかった展開に



正直ちょっと


驚いている。



もちろん


いい意味でね。



今でも


何がしあわせなのか


分からない日もある。



四十路過ぎた


女の人生だもの



そんな日も


あっていいかなと


思っている。



笑っても


泣いても


私の大切な1日を。



これからの


輝く未来へと


つなげていきたい。