告知から4年 | 鬼の霍乱

鬼の霍乱

年下の旦那さまと乳がん治療中の嫁の
珍道中的結婚生活をのらりくらりと綴ります。

2013年1月18日。



「蓮華さんの腫瘍は


悪性でした。」



のちの主治医は。



「がん」


という言葉を使わずに


私に告げた。



あれから4年。



今でも


鮮明に覚えている。



とはいえ。



もう初診察の時に


悪性で


ほぼ間違いないと


察していたし。



その日から


告知までの日々も。



乳がんであることを


前提に体質改善に


取り組んでいたので。



心の準備も


整いまくりで。



いつものごとく


次の展開を考えていた。



軍師か。



予告なしで


リンパ節の細胞診をして


翌週に治療方針を


決めることになった。



温存か全摘かを


決めておいて下さいと


言われていたので。



てっきり


手術先行だと思っていた。



なので


術前化学療法を


提案された時は。



さすがに


想定外過ぎて


一瞬意識が


コートダジュール辺りまで


ぶっ飛んだけど。



主治医の


「未来のため」


というキーワードに


心をわしづかみにされ。



豪快にスイッチが入り。



よーし


なるっきゃナイトな


気合いに満ちていた。



い・い・意・味・で


クルクルパー。



放置期間も長く


リンパ節転移もあったので。



すんげー遠いと


勝手に思っていた寿命が


リアルに迫ってくる感覚や。



これから俺のカラダは


どうなってしまうんだ的な


不安もあったけれど。



なんとかなるだろうし


きっと大丈夫さ。



これを乗り越えれば


輝かしい未来が


待っているはずよと


本気で思っていた。



今思うと


「知らない」って


ある意味


無敵かもしれない。



今でもすぐに


限界の向こう側に


行きたくなる私は。



治療中であることを


忘れないように


心掛けている。



元気でいて欲しいと


願ってくれる人のために


そして自分のために


努力もする。



どんなに


メンタルが強くても。



泣かないから


平気ってわけでもないし


ポジティブだから


楽ってわけでもない。



心がちぎれるほど


切ない時もあるし


今でもすべてが


夢オチであって欲しいと


思う日もある。



元には戻らない


この世界を生きていく。



病気になってから。



転んでもただでは


起きないぞーとか


気負っていたけれど。



無理に何かを


成し遂げなくても


いいんだよね?



って誰に聞いてんだ。



元気はつらつでも


ボーっと過ごしても


私にとって大切な1日。



たくさん笑って


飯がウマい。



そんな日々を


過ごして行けたらいいな。