猛暑が続いております。
本来ならクーラーの効いた涼しい室内でゆっくり過ごしたいのですが、若い生命体は体を動かすことが仕事のようで、引っ越し前に何度か通った公園へ娘を連れ出しお散歩です。
極力日陰を、極力ゆっくりと歩くのですが、身体を包み込む空気自体が暑いので噴き出す汗はとまりません。
新聞ではモスクワの猛暑、中国の豪雨、南米の寒波と地球気候の変動が一面で大きく取り上げてしまいましたが、何でもかんでも地球温暖化の責任と結びつける報道やマインドコントロールはやめていただきたいモノです。
さすがの暑さで園内は人気も少なく、広い緑の大地を我が物顔で走りまくる子供のパワーに圧巻です。
今回初めて知ったのですが、園内の隅に日本家屋か残されていました。
緑地開発時、解体を惜しみ保存したモノと思われます。
隣接したマンモスマンション群の景観とは対照的で、一時の安らぎを与えてくれます。
こちらは子供達の教育の場としてビオトープも設けられていました。
ビオトープとは生物の生息環境(空間)を示す生物学用語であるが、生物の住みやすい環境造りという意味合いでも用いられています。
日本ではバブル後期あたりから、コンクリート化した都会や人工的河川を自然環境に近づけたいと言う想いで、屋上に水を有した緑地を作ったり、河川護岸を改良し生物の生息環境を取り戻したりする行為として浸透しました。
実は私的には、この人工的な生態系を築き上げる「ビオトープ」の定義がどうも好きになれないのです。
子供達の教育の場、職場の労働者の憩い空間という意味合いでは否定はしないのですが、人工的な環境はもろく手入れをしないと崩壊する、そこで泥遊びをされたら生物が死んでしまうので見ているだけにして下さいといった擬似的環境が嫌いなのです。
開発による自然破壊も生態系を崩しますが、人口ビオトープもそこにいないはずの生態系を持ち込むわけですから一種の環境破壊の枠に入ります。
破壊は一瞬ですが、それを取り戻すには数十倍の費用と年月が必要になります。
ビオトープ・・・
いい響きですが、危険な人間のエゴに通じるモノでもあります。
自然に対する行政・民間企業の考え方も諸外国を見習い良い方向性に向きつつありますが、予算確保のための無駄な開発、それをカバーする自然環境改善のビオトープ、良い答えがなかなか見つかりません。
自然と向き合う人間の力は非力です。
話が直ぐにそれてしまうのも私の悪いクセ。
暑さで脳の神経回路が若干エラー気味ですw