7年前の9/11は火曜日、雲ひとつ無い快晴の朝でした。朝845分に家(フレッシュメドー)を出て、クイーンズのオフィスに向かいました。行く途中はマンハッタン(MH)の町並みを一望できます。

「雲ひとつ無い空に突如として現れたあのどす黒い雲は雷雲か?」 目の前が開けてくると

「あれ、あんなところに高い煙突なんか立っていたっけ?」

すぐにカーラジオから惨事が伝えられてきました。

「The airplane crashed into WTC Building…」

(WTCとはワールドトレードセンターの略です)


会社に着くと皆テレビに釘付けです。

会社の電話が鳴り始めました。


日本の部長と話している途中で携帯からは日本の親父からかかってきて安否を気遣います。10時を過ぎると電話が混線し始め、まったく回線不通となってしまいました。

「ジョージワシントンブリッジが閉鎖されてオフィスにたどり着けません。」他の社員2人は出社できず、通常の倍以上の仕事量と混乱が僕に訪れました

。そうこうしているうちにも惨事は凄くなっていきます。


「もしもし、(中略)いやーこっちもすごいですよ。うわーーきゃーー ブチッ、ツーツーツー」

MHにオフィスがある車両保険のIさんの携帯が切れました。ちょうどビルが崩壊したときでした。


ブリッジやトンネルはすべて封鎖され、緊急車両・報道車両のみがMHに入っていきます。


地下鉄もストップ、完全に都市機能が麻痺し、人々は歩いてマンハッタンを抜け出します。

歩道を歩いている人の興奮が伝わってきます。


それはテロへの怒りとか惨事への悲しみから来る興奮ではなく、実は、好奇心的なワクワク感と言ったところでしょうか、はしゃいでいるのです。



不謹慎ながら僕のオフィスも「次に何が起こり、どのようになっていくか」好奇心を無意識にも持ち、まさに対岸の火事を見ながらこの「非現実」を楽しんでいたといっても過言ではありません。


日本で報道されていた愛国者が悲しむ光景はほとんどクィーンズでは見られなかったのです。(このギャップに当時驚きました)


私は仕事でどうしてもMH内に行かなければなりませんでした。9番クィーンズ線の地下鉄が動いていたのはラッキーでした。


MH内に入るといつもと明らかに雰囲気が違います。


消防車などの緊急車両が行き交い、人々が歩いて避難しています。



通りにはボランティアの呼びかけや献血者募集の張り紙がいたるところに貼られています。

「血液型がO型でマイナスの人は明日の8時に来てください。ABマイナスの人はこの番号か、以下のウェブサイトを訪ねてください。」張り紙の前にちょっとした人だかりを作っていました。

重要な建物や要人が住んでいる建物、イスラム関係?の建物などがあるストリートは軒並み閉鎖されて、ポリスが中に入れてくれません。

驚いたのは、これら閉鎖や募集、緊急ラインの設置など一連の動きが速いこと。そして、徹底しているところにアメリカらしさ感じました。一方で、緊迫感の中でもはしゃいでしまうという茶目っ気さや好奇心はアメリカという国(対処の仕方や立法のあり方)を信頼しているからこそ生まれるのだろうと感じました。


単一民族ではなく人種のルツボであるアメリカでは、人種によってこの事件に対し、

1、真摯に受け止め感情をあらわにし行動する。
2、ただ傍観するだけ。
3、アメリカ(NY)を離れる。

といった反応を示していたと思います。


「アメリカという土地は働いてお金をためるための土壌に過ぎない」とメキシカンのビリーが言っていたのを思い出します。


また、英語と韓国語、日本語を喋れるので医療現場にボランティアに行くという人もいました。
 

愛国心も人それぞれで、みんなたくましく生きているんですよ。もっとたくさんの日常をお話ししたいのですが長くなりすぎるので割愛しますね。



現場では色々な側面で状況を見ることができ、貴重な体験をしましたが、亡くなった方へは追悼の意を表したいと改めて今年も黙祷致します。