偉い人ってどんな人 | 蜜蜂と銃 〜タロットと数の言霊〜

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あの世とこの世と数とタロット占い。

『哀と孤高の天才タロッティスト 柏木です♥』

というのは冗談ですが、私が身を置くこの世界も「言った者勝ち」的な要素が多分にあるものです。

○○カウンセラーや○○コンサルタント、○○ヒーラーなど一見しただけではその違いや能力も解りにくいものです。弁護士や医師、教授などは名を冠するまでに多大な努力と才能を必要としますが、その力量に差があるのは間違いありません。

さて、上に挙げた職業は「先生」と呼ばれることが多いものです。これには敬意、尊敬、礼節や信頼が込められています。私も「先生」と呼ばれることがありますが、むず痒さを覚えます。が、言葉を遮ってまで否定することはありません。

そこには礼節を感じますから、呼びたいように呼んでいただければいいと思うのです。普通に「柏木さん」でも「柏木君」でも「蓮さん」でも構いません。
さすがに「おい!柏木」は止めてね。呼び捨ては泣きます(笑)

先生と呼ばれる人は俗に言う『偉い人』です。では偉いとは一体なんでしょうか。
優れた技術、知識が豊富、豊かな人生経験、先進性がある、革命的、経営能力が高い、類い希な才能がある。職業から考えれば、政治家、大臣、医師、教授、弁護士、経営者、トップアスリート、芸術家、作家、教祖、著名人、社会的地位の高い人、などかな。

どの才能もどの職種も確かに偉い感じがします。凡人ではありません。
しかし、それは才能や職業や役割について廻る『イメージ』であり『一部に都合のいい虚栄』かもしれません。このイメージ戦略にまんまと騙されて苦い思いをした方も少なくないでしょう。政治などは良い例かもしれません。

では本当に偉いとは何か。

私の考える『偉い』とは職業や能力ではなく『生き物としての魅力』があることです。理論や知識は勉強すれば身につき、必要であれば資格を取得すれば事足ります。占い師も同様、肩書きだけでは偉くもなんともないのです。

『魅力』は生き物が本来持っている能力を環境や周囲との調和を大事に考え、切磋琢磨しながら育てることでしか手に入らない掛け替えのないモノです。瞬時で伝わる魅力もあれば、じっくりと観察しなければ気がつかない魅力もそこにあるのです。

知識や肩書き、職業や地位、生まれた家柄を過信して『生き物としての魅力』を育て忘れた人。
どれだけ世間が「偉い人」と賞賛しても、魅力を感じない人を偉いとは思えないのです。

勉強が苦手でも、友達のピンチに颯爽と助けに現れる小さな子の方が『偉い人』で間違いありません。
私はそういう人になりたい。

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